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リサフランクの「2024オールジャンルベスト」を発表します

師走だーーー!!!!!!!

ドカーン!


師走です。
そうこうしているうちに、師走でした。

今年は晴れて社会人デビューを果たしたこともあり、文章とか全然書けない年でしたね。
個人アカウント・Water Walk・脱コミ、合わせても記事5つしか書けなかった。

ツイート頻度すらもかなり下がった。
悔しいねえ。

元々は頭の中から自然と溢れ出してくる言葉の放出先が目の前の世界にはないという理由で始めたツイッターだったが、日々が忙しくなってくるにつれて、そうポンポンとは言葉が出なくなってくる。
そしてそういう生活の中で気が付いたんだが、考えていることを言葉にしていないと、だんだん自分が何を考えているのか分からなくなってくる。
余裕がなくなって言葉が出づらくなり、そうすることで自分が何を考えているのか分からなくなり、またそれで余計に言葉が出てこなくなり…という悪循環に陥ってしまった一年だった。

就職から8ヶ月、最近はようやく生活が安定し時間が作れるようになってきたので、そうした状況からのリハビリ的な意味合いも兼ねてこの文章を書いている。
言いたい・書きたいことが自然と出てくるのを待っていてももうしょうがなさそうなので、これからは絞り出していきたい。

2025年、絞り出していきます。


そんな宣言をしたところで、この記事では今年のオールジャンルベストを発表し、何故それが「ベスト」だったかをそれぞれ書いていこうと思う。
オールジャンルなので、ここにはあらゆるリサフラの「ベスト」が載っている。
読みながら、あなたの「ベスト」は何だったかを、思い出してみてほしい。

なお、順不同です。




1. 銚子の美しい風景

今年の一月に行った千葉県銚子市、そこで見た風景が未だに忘れられない。
街のどこに居ても遠くに見える壮大な水平線。
荒々しく岩を打つ白波。
ひたすらにどこまでも青く澄んだ世界。

一度は『アマガミ』の聖地巡礼で訪れたことのあるこの街だが、今年になって改めて心打たれたというわけである。

リサフラは横浜出身であり、わりと海は見慣れている。
しかし、海がこんなにも力強く美しいものだとは。

あと、銚子のまとう、どこか静けさのある独特の雰囲気も印象に残った。
これはこの街が寂れているとか、そういうことを言いたいのでは決してない。
「地球の丸く見える丘展望館」や「犬吠埼灯台」といった観光地には平日にもそこそこの人が集まっており、単純な盛り上がりようでいえばむしろ賑やかなのだが、そうした賑やかさの中に、何人たりとも踏み入ることのできない聖域的な静けさが確かにそこにあるように感じたのだ。
あのような雰囲気を持つ街は他に知らない。

あと、風景とは関係ないけど、海鮮丼もめちゃくちゃ美味い。

銚子、天国に最も近い街です。


2. ゴンチチ

今年最も大きかった出来事は、ゴンチチの魅力に気付いたことである。

そのきっかけとしては、翌月に控えた社会福祉士国家試験に備えて勉強に専念していた一月(銚子はその息抜きとして行ったというわけです)。
ひたすら机に向かって年金制度や障害者総合支援法などといった複雑な物事を記憶するというだけではメンタル的に辛かったので、何か楽しみを用意する必要があった。
そこでゲームのサントラやジャズといった、聴こうと思いつつ中々聴けていなかった色んなアルバムを聴きつつ勉強することにした。
その中でふと気まぐれに再生したゴンチチの音楽に度肝を抜かれてしまったのである。

もはやゴンチチの音楽がいかに素晴らしいかなど、リサフラの口から語るまでもない。
とにかく聴けばわかるので、まずは聴いた方がいい。
「必聴」という言葉、あまり使わないようにしていますが、ゴンチチに関しては流石に使わせてもらいます。必聴です

そんなゴンチチには、今年という一年、本当に多大なる影響を受けた。

まず、音楽的な面でいえば嗜好が随分とブラジル音楽・イージーリスニングに寄った。
「ショーロ」という音楽ジャンルは、恥ずかしながら元々名前すら知らなかったのだが、ゴンチチをきっかけに聴いてみたら、あまりに良すぎて驚いた。
ボサノヴァにちょっと飽きたら、ショーロを聴きましょう。ショーロにちょっと飽きたらまたボサノヴァを聴きましょう。」とはゴンザレス三上さんの言葉らしいが、本当にそうです。はい、そうさせていただきます。

あと、思想的な部分においてもかなり影響を受けているという自覚がある。
ゴンチチのお二人はYouTubeで『ゴンチチハウスチャンネル』というチャンネルを開設しており、そこでは「No Talk, No Gontiti」と称してフリートーク的なポッドキャスト番組を配信している(しかし、更新は1年前くらいから途絶えてしまっている。寂しい!)。
『ゴンチチハウスチャンネル』で展開されるのは、お二人がこれまでの人生において体験してきたちょっと不思議な出来事をユーモアを効かせつつ話すエピソードトークである。
まず、単純にそのエピソードトークが抜群に面白い。
お二人とも大阪出身であるということも関係しているのか、内容自体は他愛もないような話であっても、その絶妙な加減の語り口によりなんだか笑えてきてしまう。
なお、現時点において特にお気に入りなのはジンギスカンの回である。

そんな『ゴンチチハウスチャンネル』を聴いていて本当に面白いのが、このゴンザレス三上さんとチチ松村さんの穏やかなやりとりが、ゴンチチの音楽作品におけるお二人のギターの掛け合いそのものであるかのように同一の印象を覚えることだ。
おそらく、お二人はごく自然体で会話をし、そしてごく自然体で演奏をしていらっしゃるのだろう。

そんなゴンチチの在り方にものすごく憧れる。
なんだか、良いなぁって思う。

それはまず、ポッドキャストをやっている身としての憧れである。
リサフラは昔から口下手であるという自負があり、だらだら喋るとあらぬ方向に話が脱線しがちなため、基本的に「必要なことだけを手短に伝える」というのを常々心がけてきた(しかしその結果ただの言葉足らずとなる場面も多く、切なさを感じている)。
その関係で、ポッドキャスト番組のホストとして話すというのは完全に自分にとってイレギュラーな状況であり、今でこそ慣れてはきたが、それまでは毎回めちゃくちゃ身構えていた。
だけど、もうそんなに気張りすぎず、のびのびやってもいいのかもしれないな、と『ゴンチチハウスチャンネル』を聴いて思ったのだ。
ゴンチチのお二人のようにうまくオチを付けられるわけではないし、そもそもの話まったく方向性の違うポッドキャストではあるが、少なくともそういう心持ちで収録に臨めれば絶対もっと楽しいな、ということだ。
実際にそれを試みたのが以下の回だが、この収録はとてもウキウキでした。

また、その延長線上として、ポッドキャストにかかわらず、あらゆる状況下において全体的に肩の力を抜けるようになった。
「Like a Gontiti」の精神である。


そして、ツイートの文体についても大きな影響を受けた
今年に入ってから基本的にツイートの文末には「!」を付けるようにしているのだが、これはチチ松村さんのツイート形式を意図的に模倣してのものである。

これは非常に恥ずかしい自己開示であるが、でも模倣している以上はしっかりと明言しておいた方がいいような気がしたため、自分なりの誠実さを以て明かすことにした。
なぜ模倣し始めたかというと、「温かい方がいいな」って思ったからである。
例えば上記のチチ松村さんのツイートで言えば、内容だけ見れば「正和堂書店で文庫本を買ったら牛乳石鹸のブックカバーと良い匂いがするしおりが付いてきた」というありふれた日常的な報告であって特筆すべき点は特にないように思えるが、文末に「!」が付くことにより、なんだか微笑ましく思えるような温かみのある印象が加わっている。
セットで挙げたリサフラのツイートについても、今までであればおそらく「ゆっくりながら着実にカゲプロを読み進めており、たった今4巻を読了しました」と句読点のない文章を添えていたはずだが、ここに「!」が加わることで、何とも言えないわんぱくさが生じ、これまた温かくなっている。

絶対に、温かい方がいいのだ。
昨今叫ばれる「冷笑」への対抗と呼べば実に陳腐な試みの一環として受け止められてしまうかもしれないが、ただ文末に「!」を付けるだけでちょっと温かくなるのなら、付けた方がいいに決まっている。
この「!」の効果の凄さについては、まぎれもなくチチ松村さんのツイートから教わったことだ。
引き続きこの模倣は続けていきたいし、またこれを読んでくれている方々にもぜひ試してみてもらいたいと思う。

「ゴンチチ」だけでまあまあな文量を使ってしまった。
もしかしたら「ゴンチチ」オンリーでも一本記事が書けたかもしれない。


3. 社会福祉士試験合格

2月に受けた社会福祉士国家試験には合格した。
これは自分にとって一、二を争うくらい大きかった出来事だろう。

リサフラは高校、大学とそれぞれ品行方正パワーを用いてAOで進学している(というか、そもそも両方とも福祉系だったので一般的な学力はそこまで求められなかった)ため、実はこういった学力だけを試されるような試験に臨むのは初めてだったかもしれない。
そうした意味ではいい成功体験になったような気がする。

国試対策の勉強法としては、YouTubeチャンネル『カリスマ社会福祉士』の一連の動画を2周ほど観て、その後過去問のアプリを解きまくるというものだ。

『カリスマ社会福祉士』、流石にカリスマというだけあって、それぞれの科目の要点が非常に分かりやすくまとまっており、このチャンネルの動画を観ているだけで各省庁の役割分担といった複雑な部分についても比較的簡単に理解が深まってしまう。
あと、社会福祉士の国試はわりと過去問から直接引用しているような問題も出題されるので、過去5年分の問題を繰り返し解きまくっているだけでそれなりの点が稼げるようになる。
本格的に試験勉強をする前、とりあえずテキストは買っておくべきかと思い、そう安くはない金額を使って中央法規のものを4冊ほど揃えたが、それらが使われることは結局ほぼなかった。
有料のテキストよりもYouTubeの動画の方が分かりやすいのだから、時代が違うなぁと思う。

そうした勉強法により、150点満点中128点(合格ラインは90点)というまあまあな好成績を取ることができた。

しかし、2024年の社会福祉士国家試験、合格率が異様に高かった。
どれくらい高かったかというと、例年の合格率が大体30%くらいだったが、今年の合格率は58.1%だったのだ。
この合格率は自分には何ら影響を及ぼすものではないが、謎に複雑な気分にさせられた。

なぜこんなことが起きたのだろうか。
合格ラインが下げられているわけではないし、体感だとそこまで易問化したというわけでもないと思う。
そうなると、もはやこの合格率の高さの要因として考えられるのは、ひとつしかない。
みんな『カリスマ社会福祉士』を観ているのである
本当に、そうとしか考えられない。


4. 初任給

4月になると、これまでアルバイトとして勤務していた職場で正社員に昇格した。
そしてその職場はわずか1か月ほどで退職した(それについての詳細な話は下記エピソードを参照してほしい)。

その職場の給与は翌月25日振込であり、そしてリサフラが退職したのが5月15日だったので、正社員としての初任給をもらったのは無職となった後だった。
今までに見たことのないような振込金額、あの「暗闇に射した一筋の光明」感たるや。
正直、次の職場を探すのはとても憂鬱だったが、このレベルの額を毎月もらえるというなら多少苦しんででも働いた方がいいと心から思えた。
金にすごく元気をもらえたのである。

それにしても、初任給をもらったら何かしら家族に還元したいと思っていたのだが、先行きの見えないタイミングでもらってしまったがゆえに、それを叶えられなかったことが少し心残りだ。
第二の職場で安定してから色々食事に行ったりはしているが、こういうテンプレートな“メモリアル感”は大事にしたい方なので、機を逃して悔しい。

とはいえ、あの振込金額を見た時の快感は何物にも代えがたいものがあった。
あの瞬間はまさに今年の「ベスト」であったように思う。


5. 運転

今年から車を運転できるようになった。
免許を取得したのは去年の暮れだったが、自家用車の保険が適用されるようになったのが今年の2月あたりからなので、約2か月のブランクを経て解禁される形となった。

これがもう、本当に楽しい。

まさか自分がここまで運転好きになるとは思わなかった。
送迎業務のある職場で働いているため、ゆくゆくは必要になるだろうと思ってやむを得ず免許合宿に行くことにした(そしてはねられた。これも下記エピソード参照)というような感じだったのだが、これは取っておいて本当に正解だったと思う。

まず、移動手段が増えたことにより行ける所が増えたし、どこかに行こうということへのハードルがかなり低くなった。
例えば休日に「特にすることもないけど、かといって家にずっといるのもつまらない」という時、車さえ運転できれば軽い気持ちでラクラク近場のショッピングモールに行けてしまう。
夕飯を作ろうと思って冷蔵庫を開けたら全部揃っていたはずの食材に肝心なものが欠けていた場合にも、車で行けばほんの少しの時間で買いに行くことができる。
とにかくQOLが上がった。

これについてはそもそもの前提として、ちょうどあまり使われていなかった自家用車があったというのが非常に環境に恵まれていた。
しかもその自家用車というのが日産デイズ、つまり運転しやすい軽自動車だったというのも更に恵まれていた。
おかげさまで随分乗り回した。
今年だけで3000kmとか走ったんじゃないだろうか。

元々リサフラは移動が趣味である。
旅行でも観光地やホテルそのものより道中の電車や高速道路を楽しむタイプだ。
好きな時に好きな所へ行く、行けるということ、その自由さはとても気持ちがいいし、少し足を伸ばせば見たことのない景色がいくらでも広がっているということに途轍もなくワクワクする。
自分が「生きている実感」を感じられる瞬間とは何だろうと考えてみると、それはやはりどこかへ移動している時だなぁと思う。

そうした自分にとって、車が運転できるようになったのは本当に大きい。
電車やバスを使っても遠くには行けるが、それらは停まる場所やルートなどが決められていた。
そのような制限があるというのもまた一興ではあるのだが、そこに真なる意味で自らの行きたい場所へ思うように行ける移動手段が加わったことで、ただ便利になっただけでなく、生きるのがとても楽しくなった。

また、こうして免許を取っておいたことは、再就職の際にめちゃくちゃ役立った。
リサフラは5月15日に退職し、そして6月頭には既に新たな職場で働き始めていたのだが、もし「運転できます!」と面接時にアピールできていなかったら、こんなにスムーズにはいかなかっただろう。

しかし、その代償としてそれなりの洗礼も受けた。
というのが、今までデイズしか運転していなかった身であったにもかかわらず、7人乗りでそれなりのデカブツであるトヨタのシエンタを運転させられることになってしまったからだ。
この今までとまったく異なる車体感覚に慣れるまでは3、4回擦った。
何なら、送迎先のお宅のバイクにうっかりバックで突撃してしまい、車体にマフラーがぶっ刺さってしまったこともあった(幸いにもちょうど外れるパーツの部分に刺さってくれたため、両方とも大して傷がなかった。これだけでは構図が全然分からないと思うが、とにかく絶妙な刺さり方をしてくれたということです)。

でもそんな中で頑張って運転していたら今では大分慣れてきた。
というか、もはやデイズよりもシエンタの方が運転頻度が圧倒的に多くなったため、むしろこっちの方が安定するようになってしまった。
こう言うのもアレだが、自家用車で擦ったら相当落ち込んでいたと思うので、ある程度擦ることも許されている社用車でこのサイズに慣れることができたのは良かったかもしれない。

そんなこんなで公私共に運転しまくるようになってから、車自体も大好きになってしまった。
いま『ベター・コール・ソウル』というアメリカのドラマを観ているが、作中に登場する色んな車を見て楽しんでいる。
つい先日も『ゆるキャン△』の劇場版を観ながら「ジムニーも良いな」と思っていたところである。
リサフラの人生を彩ってくれてありがとう、運転。


6. BUMPツアーファイナル

これについてはわりと最近の体験である。

12/8、BUMP OF CHICKENの通算10作目となるアルバム『Iris』リリースに併せて行われたライブツアー『Sphere Rendezvous』が最終公演を迎えた。
リサフラは偶然にもその最終公演のチケットを得ることができ、今年の2月にBAD HOPの解散ライブに行った(そっちも本当によかった)時以来の東京ドームへと足を運んだ次第である。

BUMPは自分にとって特別なバンドである。
絶対に人生で一番聴いたアーティストだし、初めて自らの意思でライブを観に行ったのもBUMPだった。
中学時代に家族4人で観たライブツアー『BFLY』の日産スタジアム公演、その一番初めに演奏された「Hello,world!」を聴いた時の感動は未だに忘れられない。
なお、今回もその4人で観に行った。
今や家族全員が揃うことは中々ないのでそういう意味でも楽しかった。

しかし、このライブ、正直なことを言えば元々心から楽しみにしていたというわけでもなかった。
というのも、9月にリリースされた『Iris』がどうしても好きになれなかったからだ。
収録されている大半が既発曲かつタイアップソングという構成、それ自体は素敵な出来栄えだった前作『aurora arc』もほぼ同じようなものだったのでまだ良かったが、『Iris』については全体としてまとまりに欠けている印象で、素朴すぎるジャケットにもピンと来ていなかった。
そんな『Iris』のリリース記念のライブツアーというのだから、果たしてそこで演奏される楽曲たちを聴いて楽しむことができるのかが不安だった。

だが、いざ開演してみたら、そんな不安は冒頭から吹き飛んでしまった。
「Sleep Walking Orchestra」→「アンサー」→「なないろ」と非常に飛ばした並びからファンにとっては懐かしのカップリング曲「pinkie」と続くセットリスト。
その曲目自体にも感動する部分があったが、それ以上にどっしりと構えた4人の演奏そのものにすっかりやられてしまった。
ツアーファイナルということもあってかなり熱が入っていた演奏だったし、リサフラも8年前と比べると大分聴き方が変わったので、歌だけでなくバンドサウンド全体を楽しむことができた。
めちゃくちゃかっこよかったです。

『Iris』の収録曲たちについても、生で聴いたことによって良さに気付くことができた。
例えば「邂逅」については、音源で聴いている限りでは何やら面白めな展開をする曲だと思いつつ、打ち込みサウンド中心で低音不在のようなアレンジが気になってしまい、いまいちパッとしない印象だった。
しかし、ライブでバンドとして演奏されてみると物凄く深みが出てたし、元々の構成のプログレっぽさが引き立っていた。
何ならギターソロもデヴィッド・ギルモアみたいな音が鳴ってた気がする、聴き返しようがないので真偽は定かではないが。
とにかくこの曲については絶対にライブ音源をリリースした方がいい。

そしてこのアルバムのリード曲だった「strawberry」は、初めて聴いた時には何となくメロディやコードに手癖で作った感を感じてしまい、あまりちゃんと聴けていなかった。
だが、この曲についてはむしろそう在るべくして在っているのではないかと、生で聴いて思った。
この曲の歌詞はおそらく我々観客に向けた想いが書かれている。
BUMPのライブは複数回観ているが、藤原基央がMCで言うことはわりと一貫している。
彼は「本当は観客一人ひとりと話がしたい。どんな気持ちでここに来たのか。嫌なことがあった人もいるかもしれないし、楽しいことがあった人もいるかもしれない。そういうのを全部聞いていきたいが、どうしてもそれは無理で、それがもどかしい」といったようなことをいつも言っている印象がある。
そのようなことを思い出してから改めて「strawberry」の歌詞を読み返してみると、

これほど近くにいても
その涙はあなただけのものだから
ああせめて離れたくない こぼれ落ちる前に
受け止めさせて ひとりにしないで

「strawberry」の歌詞より

普段MCで言っているのと同じようなことが歌われている。
そう気が付いた時に一気に腑に落ちた。
藤原基央が藤原基央として観客に向けて歌う曲だからこそ、むしろ手癖的なものが光るように感じられた。
それから「strawberry」は愛聴するようになりました。

そんなこんなでこのライブはとても楽しく観れた。
なお、余談として、16時開場・18時開演のところを16時ぴったりに入場したため、ライブが始まるまでにかなりの時間があったのだが、その間は会場内にいた売り子さんからビールを買って気持ちよく飲ませていただいた。野球場って最高すぎる!
そういえば今回の「ベスト」にうっかりベイスターズ優勝を入れ忘れたが、あれも本当に最高の瞬間だった。
来シーズンはぜひ野球も生で観てみたいと思う。


7. シーバスで川崎の工場夜景見学

川崎の工場夜景見学とか言っておきながら、みなとみらいの夜景しか写真に撮ってなかった

夏にはシーバスで川崎の工場夜景も見た。
これは彼女がリサフラへの誕生日プレゼントとして企画してくれたもので、大変楽しめた。

シーバスとは横浜の海を走る水上バスである。
リサフラは一応幼少期に一度シーバスに乗ったことがあるものの、どういう体験だったかはほぼほぼ覚えておらず、ルートもベイクォーターから赤レンガあたりまで移動する短いもので、幼心に味気なさを感じたような覚えがある。
そのような背景と、リサフラが横浜市民でみなとみらい自体かなり身近な街であるというのも相まって、自分の意思で「シーバスに乗ってみよう!」というのは生じ得ない発想だったと思う。
そうした意味で、正直初めにこの企画について切り出された時は果たして楽しめるのかという半信半疑の気持ちですらあった(ごめんなさい)。
が、ちょうど『ルポ川崎』(磯部涼)を読み終えて工場夜景というのに興味が湧いていたタイミングだったし、まあ行ってみれば楽しめるだろうと思い、お誘いに乗ることにした。

これが本当に楽しかった
工場夜景とか関係なく、シーバスで海上へ出ることそのものに大興奮してしまってヤバかった。
まったくもって想定外な大満足だったのである。

小学生の頃、父が『NARUTO -ナルト- ナルティメットストーム』というゲームを買ってきた。

『NARUTO』は親子で愛読していた作品だったので、元々このゲームは父が自分でプレイするために買ったものだったのだが、ちょくちょくリサフラもプレイさせてもらっていた。
このゲームでは原作における“木ノ葉崩し編”までのストーリーをなぞるシナリオとキャラ同士の対戦を楽しむことができ、この手の作品の中ではCGもゲーム性もハイクオリティで高めの評価を得ている。
そんな本作において自分が最も気に入っていたのが、木ノ葉の里を縦横無尽に駆け巡りながら様々なミッションをクリアしていく「アルティメットミッションモード」である。
まだ“オープンワールド”と呼ばれるようなシステムのゲームが浸透していないような時代だったので、この自由度の高さは自分にとって初めて経験するものであり、楽しすぎて意味もなく里中を飛び回っていた(ゲームの中ですら移動するのが好き)。

なぜこのタイミングで『NARUTO -ナルト- ナルティメットストーム』の話をしたかというと、普段臨港パークからよく眺めていたみなとみらいの海上へとシーバスが出港した時に、このゲームで建物の屋上にまで登ることができると知ったあの時と同じような感動を覚えたからだ。
無意識に“行ける場所ではない”と思い込んでいた場所へ行けてしまった時の、一気に前提が崩されて世界が広がっていく快感。
ある程度世界の底が知れてしまっている今となっては中々味わうことのできない貴重な瞬間である。

そうして初っ端から最高潮の興奮状態となったリサフラは、「ベイブリッジの下通るっぽいぞ!」「あれいつも何なのか分かんなかったけど○○の工場なのか!」などと、ハイテンションで喋りまくった。
その結果、工場夜景のスポットに着く頃にはそこそこ落ち着いてきてしまい、うっかり写真すらも撮らずにスルーしてしまう事態が起こったというわけである。
陸はそれなりに自由に移動できるようになったが、海は盲点だった。
今後色々と他の場所へも行ってみたいと思った、三浦半島から千葉へと出ているフェリーに乗るのもいいかもしれない。

なお、夜景スポットへ行った後はもちろん引き返してみなとみらいへと戻っていくわけだが、その帰路にてガイドの方が「皆さんそろそろ飽きたでしょうから、じゃんけん大会でも開きましょう」と、じゃんけんで勝ち抜いたらマリーンルージュ(これまた横浜にて運航するレストラン船)のチケットをプレゼントという、素敵な余興を用意してくださった。
リサフラ・彼女の両者共に一瞬にして敗北したものの、このじゃんけんも非常に楽しかった。
ここまでじゃんけんで盛り上がったのは久しぶりだった。
あのアツいじゃんけんもいつかまたやりたい。


8. 極楽湯横浜芹が谷店の壺湯から見た夜空

今年から新しく加わったリサフラの趣味として、「スーパー銭湯巡り」というのがある。

元々リサフラは風呂に入るのがかなり好きで、どこか大浴場があるような旅館へ一泊した時にはチェックイン後すぐ・食後・翌朝と3回入浴するくらいには好きである。
Water Walkで書いた記事の中で一番評価されたこの記事も、元々は温泉旅行に行きたいのに行けない悔しさを昇華したものである。

なので当然スーパー銭湯もめちゃくちゃ好きであり、小学生の時には家族でよく行っていたし、中学一年生の時には散歩中に偶然見つけた店にて勢いで入浴し、帰宅したときにしっとりしている髪を祖父に見られて驚かれた覚えがある。

にもかかわらず、なぜ今まで「スーパー銭湯巡り」が趣味でなかったかというと、それにはふたつの理由がある。
スーパー銭湯は駅の近くにあまり無くて行きづらい。
あと、風呂上がりで歩いたり電車乗ったりしたくない。
風呂自体は好きではあるものの、そうしたネガティブな要素がどうしても上回り、これまではあまり行く機会がなかったというわけである。

しかしこのネガティブ要素、車さえあれば一瞬で解決する。
それに気付いてからというもの、今まで存在自体は知っていたものの入店することは叶っていなかったスーパー銭湯たちをひとつひとつ巡っていくというのがすっかり休日の楽しみとなっている。

そんな中で訪れたのが極楽湯横浜芹が谷店だった。

極楽湯といえばスーパー銭湯界においてはかなりの大手であるはずだが、今まで一度も行ったことがなかった。
横浜芹が谷店も例によって最寄り駅の東戸塚駅を徒歩範囲に含めるにはいささか離れすぎている絶妙な場所に位置しており、これも車が無かったら中々行けなかったであろう店舗である。運転万歳!

店内に入ってみると予想していたよりもかなり広くて驚いた。
食事処は相当な席数だし、くつろぎスペースやベンチなども各所に用意されていてゆったり過ごせるようになっている。
極めつけに瓶ジュースの自販機まである。
こういう自販機を見ると絶対にファンタ買っちゃうんだよな(ちなみにこの日はジンジャーエールを買いました)。

そんなこんなで入浴前から既に好印象を受けたが、肝心の風呂はどうだったのかというと、これもまた非常に良かった。
黒湯、薬湯、炭酸泉と、あったら嬉しい温泉揃い踏みといったような豊かなバリエーションにもワクワクしたし、やはり浴場も広い。広いのはいいことだ。

しかし何といっても壺湯である。
壺湯がこれまでの人生における入浴体験の中でも断トツで良かった。
「壺湯」自体はわりと色んなスーパー銭湯にあるしそこまで珍しいものでもないんだけど、極楽湯横浜芹が谷店のそれは他と比べて大きめに作られているような印象で、無理に身体を丸めたりせずにのびのび浸かれて、まずそれがとても良かった。
あと水温が比較的低めなのもありがたい。
リサフラは風呂好きな反面のぼせやすい体質のためあまり長風呂というのができないのだが、ここの壺湯についてはいつまでも浸かっていられるような気がした。

11月頭にしては暖かい方だといえども濡れた裸の身には肌寒いそよ風を浴びつつ、壺湯に浸かりながら夜空を見上げた。
風に乗って流れていく雲と、その合間からこちらを覗く星々。
その雄大さは圧巻で、空とはこんなにも広いものだったかと衝撃を受けた。

中学生の頃、『最近、空を見上げていない』という小説を読んだことがある。

正直なところ内容自体はさっぱり覚えていないのだが、そのタイトルだけが強く印象に残っており、この時もふとそれを思い出した。
こうやって空を見上げるのは果たしていつぶりだろう、もしかしたら高校時代に散歩ついでに多摩川の河川敷に寝そべった時以来かもしれない。
最近はスマホに慣れすぎて入浴中ヒマに感じてしまうことがあるのが悩み事のひとつなのだが、この空についてはいつまでも見ていられるような気がした。

結局、最終的に30分ほどずっとそうして夜空を眺め続けていた。
今年という一年を振り返ってみても、これほどまでリラックスした瞬間は他になかったように思う。


9. 何食っても美味い町中華

就職してからは週5でフルタイム労働の日々であり、楽しみというのを見つけたり作ったりするのがこれまでと比べて断然難しい。
そんな中でどうにか毎日に彩りを加えていこうとなると、やはりそこで焦点が当たるのは「食」なわけである。
昼休憩の時間に何を食べるか。
何か買って家に戻るもいいし、どこか店で済ませてしまうもいい。
自分が“何腹”であるかを考えつつ、その日にとって最善のプランを検討する。
そこに楽しみを見出してからは一気に出勤時の憂鬱が軽減された。

そうした生活を数ヶ月ほど続けて、職場周辺(近場で働いているので自宅周辺でもある)の店は大体一度は行ったことがあるような感じになってきたのだが、やはり安定を求める心が強く、どうしてもチェーン店の類に落ち着いてしまいがちな傾向が出てきた。
別にそれでも全然いいとは思うし、特に困ることもないのだが、でも不思議と何となく罪悪感を感じてしまう(こういう気持ちについては一度ポッドキャストでも話したことがある、あれは旅行先での話だったけど…)。

罪悪感というと聞こえが悪いが、要はせっかくこの町にいるのならそこにしかない店に入った方が面白いんじゃないかと思ってしまうということだ。

そんなこんなで、ある日一念発起して入店したのが、今回めでたく「ベスト」入りした職場近くの中華屋である。
この店では就職する以前に一度ラーメンと半チャーハンのセットを食べたことがあるものの、まだその時には特段好きというわけでもなかった。
普通にめっちゃ美味しかったけれども、四六時中どこにでも行けてしまう暇人大学生にとってはわざわざそこで立ち止まって食事をする必要性がなかったので、リピートするまでには至らなかったのである。

まず、店の入り口に立ってみると、定食一覧を示す看板がある。
麻婆豆腐、青椒肉絲、油淋鶏といった無難なものから、中華屋としては珍しく生姜焼きなどもあり、選択肢が多くて迷う。
入店してメニューを開いてみれば、一品物についても麺類や丼ものなど種類豊富で、なおさら迷ってしまう。

確かその時に注文したのは回鍋肉だったような覚えがある。
いざ運ばれてきたものを食べてみると、もう人生で一番美味しかった
おそらく味噌が使われているであろうピリ辛な味付けと、でかめに切られた人参が入っているのがうれしい。
普段はどちらかというと食べるスピード遅めなリサフラだが、この時ばかりは物凄い勢いでがっついた。

考えてみれば、以前食べたラーメンとチャーハンも普通の中華屋とは一風異なる美味しさだったような気がする。
例えばラーメンについては、こういう所で注文すると赤めのチャーシューが乗っていたりして、美味しいには美味しいけれども自分が普段馴染みのあるのとは若干方向性の違うものが出てきがちだ。
しかしこの中華屋で注文したものは具も味付けも意図的に日本人好みなものに調整されている印象で、胡椒ベースで香りづけされた唯一無二の激美味い独創的な醤油ラーメンだったのである。
チャーハンに関しても色んな野菜がみじん切りで入っていて食感が楽しく、隠し味程度に入っているにんにくもちょうどいい存在感で最高だった。
とにかく両方とも美味しかった。

ラーメン・チャーハン・回鍋肉と食べてきたわけだが、そのどれもが予想の斜め上をいく美味しさだった。
では、他のメニューだとどのようなかまし方をしてくるのだろう
それが気になり始めたことで晴れてリサフラはこの店の常連となり、毎回違うメニューを頼んではその期待を超えてくる美味さに感動しているわけである。
本当に何を頼んでも美味いからすごい。

振り返ってみると、こういう風にどこかの店の常連になるのって初めてかもしれない。
しかも自分が住んでいる町の店で、である。
そうなると段々店員の顔を覚え始めるわけだが、生活圏が被っているようで、家の近くのスーパーで買い物をしていると「あ、あの店の人だ」となったりすることも時々ある。
こうして同じ店で食材を買う。同じ町で暮らす。
そのことについて、別にその店員と仲良く喋るような関係性でもないというのに、何だか温かみを感じるようになった。

リサフラは移動が趣味なため、暇さえあればいつもどこかへ行ってしまう。
つまるところ、今までは自分の住む町から離れている時間が長かったわけだが、自宅近辺の職場に就職したことにより、一日がその町だけで収まる日というのがかなり増えた。
それの影響によるものだと思うが、この一年を通じて、「自分はこの町に住んでいる」という今まで感じたことのなかった感覚を強く感じるようになっている。
そして中華屋の店員にかかわらず、薬局の隣の家に住んでいるおじいさん、よく落ち葉を集めているおばあさん、やけに古い型のノアに乗っているおじさん、よく自転車で集まっている東南アジア系の人たちとか、この町に住んでいる人々への眼差しが、ただの他人に向けるものではなくなったと我ながら思う。
もちろんまったく会話したことはないが、でも全然関わりがないといえば嘘になる。そんな距離感。

こうしてはっきりと帰るべき場所だと言えるホームタウンができて心地が良い。
2025年もこの町の中華屋に通い続けたいと思います。


10. 浜松市楽器博物館再訪

6月、彼女と浜松旅行に行った。
彼女と旅行に行くのは初めてだったし、自分で運転して旅行に行くのも初めてだった。

しかし、浜松自体は初めてではなかった。
リサフラは色々あって通信制の大学に在籍していたのだが、その大学というのが中部地方にあって、対面の授業で受けなければならない科目については新幹線で移動して各地の会場まで向かっていた。
で、その各地の会場というのの中に浜松が含まれていたため、訪れたことがあるどころか、わりと馴染みある土地だったのである。

そんな中、なぜ今回の旅行先を浜松に定めたかというと、その理由のひとつが「浜松市楽器博物館」だった。

リサフラはここにも一度来たことがあったのだが、閉館時間間際のタイミングで入館してしまったため、かなり駆け足で鑑賞する羽目となったというのが心残りとしてあった。
その話を彼女にしたら、「じゃあいつかまた二人で行こう」ということになっていたのだった。
彼女も中学時代は吹奏楽部、高校時代はマーチング部と、演奏する側として音楽に触れてきた身であり、元からこの楽器博物館のことも気になっていたらしい。
そんなこんなで浜松旅行の企画が決定したのである。

改めて訪れてみても、やはりこの博物館はかなり良い。
まず展示されている楽器の数が物凄くて、世界にはこれほどまでに沢山楽器が存在していたのかと感動してしまう。
各地方ごとに独自の発展を遂げていて面白いし、それぞれの場所からそれぞれの形で「音を鳴らすためだけの物」が生まれるに至った背景を想像すると、音楽の力はやっぱり凄いなーと、そんな月並みな感想が思い浮かぶ。
あと、展示コーナーでは、それぞれの楽器が演奏されている資料音源を試聴することができるのだが、それらを聴いていくにつれて、自分がイメージする「音楽」の枠がどれだけ狭いかも実感させられる。
“ワールドミュージック”という括りがいかに暴力的なものであったか。

まあそれらについては前回来た時にも思ったことを再認識したような感じなのだが、今回彼女と二人で来てみたことにより、予想していたのとはまた違う楽しみ方もできた。
彼女が楽器体験コーナーでめちゃくちゃはしゃぎ、置いてある楽器のすべてを制覇するような勢いで片っ端から試奏していったのだ。
そしてそれぞれ試奏し終えると「試してみれば?」というような感じでリサフラに手渡してくる。

自分は楽器演奏の類に苦手意識があるので、前回来た時はこのコーナーを完全にスルーしていた。
そして今回もスルーするつもりでいた、というかそもそも目に入っていなかった。
が、手渡されてしまったものを何もせずに戻すのもアレなので、それぞれ試しに弾いてみる。
それが思っていたよりも楽しかったのである。
何か曲を弾けるわけではないし、馬頭琴などに関してはろくにまともな音すら出せなかったのだが、でも自分の手でこうやって楽器を持ってみたことによって初めて感じられる触感や重み、そしてワクワク感。
楽器というのは観たり聴いたりするだけでなく、自らの手で演奏してなんぼなものなのだという当たり前の話に、ここで初めて気が付いた。

二度目の鑑賞だったが前回以上に楽しめて大満足の日となった。
また、この旅行では他に浜松城やさわやか(ハンバーグ屋)などにも行き、それらも非常に楽しかった。
今後も度々振り返るであろう思い出になったような感じがする。
なお、旅行から帰ってきた翌日、彼女が胃腸炎にかかって天国と地獄の気分を味わったこともセットで忘れない。


11. GUのデニムスーパーワイドカーゴパンツ

母はよく服屋でリサフラに似合いそうなものを見つけた際に「これいいよ!買いなよ!」と言ってくる。
繰り返し、繰り返し言ってきて、果てには「買えって言ってるのに全然買わないじゃないか!この頑固野郎が!」的な感じで怒ってくる。
もう本当に困っちゃうわけだが、今回「ベスト」入りしたGUの『デニムスーパーワイドカーゴパンツ』もそうして紹介された服のうちのひとつだった。

母親の服のセンスはリサフラとあまりに異なっているため、おすすめされる服もピンと来ないことが多い。
ので、『デニムスーパーワイドカーゴパンツ』を初めて写真で見せられた時、“またか!”と思い、正直ちゃんと見ずにその場しのぎで「必要に迫られたら買う」と曖昧な返答で濁してしまった。

その認識を改めざるを得なくなったのは、同じく母からのおすすめを受けていたリサフラのきょうだいがこのジーンズ(黒)を履いているのを見た時である。
GUのデニムはあまり買ったことがなかったので値段相応にしょぼいんじゃないかという勝手なイメージがあったのだが、実物を見てみると普通にめちゃくちゃ様になっている。
その時ちょうど『ブレイキング・バッド』を観ており、ジェシー・ピンクマンの全体的にダボっとしている着こなしがかっこいいと思っていたので、タイムリーに欲しているものを見つけたような気分になった。

ジェシー・ピンクマン

これひとつで持ってるTシャツやパーカーのほぼ全てに合わせることができるんじゃないかという汎用性の高さにも惹かれ、その日購入することに決めた。信じてあげられなくてごめんなさい、お母さん。

それ以降かなりの高頻度でこのジーンズにはお世話になっている。
当初の目論見通り、とりあえずこれを履いておけばどんな服と組み合わせてもわりといい感じになるので、今年の下半期は本当に助けられた。
最近(とはいえ流行に敏感な人にとってはもうすでに過去のものになりつつあるのかもしれないが)はワイドめなパンツを履くのがトレンドっぽいので、まっとうに若者っぽいファッションを着ることができているような感じもする。こういう感覚はこれまでの人生において初めてかもしれない。

7~8年ほど前、スキニージーンズが流行っていた。
流行っていただけに、あの時好きだったアーティストなどもそういうファッション性の人が多かった。
自分にとってモデルとなるような人々が軒並みピチピチズボンを履いていたので、当時のリサフラもまたそれに倣ってピチピチズボンを履いていたのだが、これが驚くほど似合わない。
当時のリサフラはかなりの細身だったため、美脚を通り越して、もはや心もとない感じになってしまっていた。分かりやすく表現すると、Deemoみたいになってしまっていた。

Deemo

あと足にまとわりついてくる感覚が普通に嫌いだった。動きにくい。

その時代において最もイケているとされるファッションスタイルが自分に似合わないというあの疎外感。
今思えば人によって似合う・似合わない服があるというのは当然のことなのだが、当時のリサフラはそんな単純なことにも気付けず、自分のファッションセンスが悪いからこんなにパッとしないのだという自己嫌悪の状態にまで陥っていた。
そうした影響から、一時期敢えて意識してファッションに無頓着になろうともしていたような気がする。
多感な思春期の時期にはわりと大きなコンプレックスだったというわけである。
結局最終的にはジョガーパンツという逃げ道を発見することによって事なきを得たわけだが、それ以降、慢性的に自分の服の着こなしみたいなものに対する自信がない状態だった。

しかし今はそんなことない、なぜなら『デニムスーパーワイドカーゴパンツ』を持っているから。
「流行っているから買った」のではなく、「個人的にいいなと思って買ったものがたまたま流行していた」のも大きかった。
街で見かけるちょっとおしゃれ目な同世代の人が、自分と同じような服装をしている。
それを見た時に、“あっ、リサフラってファッションセンス悪くなかったんだ”とすごく安心したし、呪いが解けていくような感じがした。

ありがとう、ジェシー・ピンクマン。
ありがとう、『デニムスーパーワイドカーゴパンツ』。


12. 『ARIA』

5月中旬に退職してから、少しの間何もすることのない時期があった。
ちょうど『ヴェネツィア 水上の迷宮都市』(陣内秀信)という本を読んでヴェネツィアに興味が湧いていたこともあり、以前すこし観ていたものの途中で止まっていた『ARIA』というアニメ作品を観進めることにした。

『ARIA』は火星に創られた都市“ネオ・ヴェネツィア”にて立派な水先案内人になれるように奮闘する主人公・水無灯里と、それを取り巻く人々たちの物語である。
このアニメはストーリーだけでなく、作品全体をまとう落ち着いた空気を楽しむ、いわゆる“空気系”と呼ばれるタイプのものだ。
上記の本において陣内さんは、ヴェネツィアには「独特のゆったりした<時間間隔>がある」(p.42)と述べており、また「この心地よい時の流れは、いつの時代にも変わることのない水の流れからもたらされているのだろう」と続けている。
まさにこのヴェネツィアについての説明が『ARIA』の空気感をそっくりそのまま表しているように感じる。
ヴェネツィアには全く行ったことがないのでよく分かりませんが、おそらくこの作品はヴェネツィアの雰囲気を完全に再現しています。

話を戻すと、つまりリサフラは、“癒し”を求めてこのアニメを視聴した。
『ARIA』はキャッチコピーとして「未来系ヒーリングストーリー」というフレーズを用いており、実際にそれは適切に作品の特徴を表していると思う。

しかし、『ARIA』はただの癒しアニメに留まるものではない。
この作品は当初自分が想定していたよりもはるかに物凄いメッセージを内包していたのである。

この作品において徹底して描かれているのは「変化を肯定する」姿勢だ。
それが最も顕著に表れたエピソードが第1期11話の『その オレンジ色の日々を…』である。

主人公の灯里には藍華・アリスという同期的な立ち位置の友人が存在し、いつもお馴染みの見習い三人組として水上案内の練習をしている。
そして3人にはそれぞれお世話になっている先輩がいるのだが、その3人の先輩たちもまた、かつては灯里たちのように見習い三人組として仲良く練習している日々を送っていたことがこの回では明かされる。
今やネオ・ヴェネツィアの中でもトップレベルで有名な水先案内人であり大忙しの先輩たちも、在りし日には自分たちのような日常を送っていたのだということを知った灯里たちは、自分たちもいつかこうやって集まることができなくなるのだろうという未来を想像し、ナイーブになる。

そんな様子を見た先輩たちは、以下のようなことを言う。

アテナ「確かに、今のままではいられないと思う。時間は時に優しく、時に残酷に全てを変えていくものだから。でも、少なくとも私には、今だってまんざらじゃないのよ。お仕事も楽しいし、それにかわいい後輩もできたし…とか」

アリシア「そうね、アテナちゃんの言う通り。あの頃の楽しさにとらわれて、今の楽しさが見えなくなっちゃったらもったいないものね」

晃「“あの頃は楽しかった”じゃなくて、“あの頃も楽しかった”だな」

アテナ「きっと本当に楽しいことって比べるものじゃないのよね。あの頃も、今も、これからも、一緒に過ごす人との時間の中に、いくつもの小さな楽しいことが生まれては消えていく。その一つひとつを捕まえることができたら、楽しいことが尽きることはないのよ…いつまでも、ずっとね」

アリシア「それとワンポイントアドバイス。今楽しいと思えることは、今が一番楽しめるのよ?」

リサフラはこの回を観て大泣きしてしまった。
なぜなら『ARIA』を観ている今の自分こそ、最も変化を恐れていたからだ。

3月までのゆるやかに過ぎ去っていく日々は一変し、日中の大半の時間を労働に費やすこととなり、果てには耐え切れず退職してしまった。
どうしてこうなってしまったのか。
もはや罪悪感なくしてのんびり生活を送ることはできないのだという現実を叩きつけられることとなったこの5月、リサフラはかつて撮影した動画などを見返し、ひたすら過去にすがりまくっていた。
未来にはあの頃以上に楽しいと思えるような出来事が存在しているのか。

そんなリサフラに、アリシアさんは「あの頃の楽しさにとらわれて今の楽しさが見えなくなったらもったいない」って言ってくれた。
晃さんは「“あの頃は”じゃなくて“あの頃も”」って教えてくれた。
アテナさんは「本当に楽しいことって比べるものじゃない」って気付かせてくれた。

そう言われてみれば、確かに今の自分にだって楽しみはある。
昔と違って運転できるし、初任給貰えてうれしいし、母がディズニープラスに契約してくれたおかげで色々観れるものも増えた。
確かに時間が奪い取っていったものは大きいが、与えてくれたものだって大きいじゃないか。
決して悪いことばかりではない。
そう考えてみると、今までの閉塞的な思考が一気にポジティブな方向へと解放されていくような感覚を覚えた。

『ARIA』はこの回を軸として、灯里たちを取り巻く環境もだんだんと変わっていく。
藍華の特徴的なツインテールはある出来事をきっかけにショートヘアになるし、灯里の乗っていたゴンドラは経年劣化で引退となるし、かつての見習い三人組は次第に一人前となって次世代を育成する側へと成長していく。
様々な不可逆を前にしても、3人は今を楽しみ、時には過去を懐かしみつつも、臆せず未来へと向かっていく。
大切なことはもうあの夜に教えてもらっているからだ。

6月、リサフラも心機一転、新しい職場へと就職した。
どれだけ環境が変わろうとも、そこに新しく生じる楽しみを取りこぼさず大切にすれば、何となくやっていけそうな気がした。
もしどれだけ探しても楽しみがひとつたりともなかったのなら、その時はその時。
とにかく変化を恐れずに動いてみようと、そう思った。
『ARIA』のおかげでそう思えたのである。


「未来はちょっぴり不安顔です。だから、笑顔で、一緒に会いに行きましょう」

最終話冒頭の灯里のモノローグ







以上がリサフラの2024年ベストだ。
気付いたら2万字を超えてしまった!
久しぶりに書くのだからもう少し軽めでいこうという風に考えていたのだが、いざ書き始めてみると自分は思っていた以上に色々なことを思っていたのだということが分かった。
連想に次ぐ連想で、自然と次の言葉が浮かんでくるような感じだった。
やはりこうやって文章を書く、言葉にする機会を設けることは大事である。

大変楽しく書くことができたのでぜひ来年も同じようなことをやりたいと思う。
こうして振り返ってみると2024年は実に色々あった年なので、来年もこれに負けないくらい色々あってほしい。
ただ、退職だけは絶対に勘弁してほしい。

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