インドネシア独立記念日に思ったこと
去る8月17日はインドネシア独立記念日だった。街中は赤白の国旗で溢れ返り、人々はLomba(運動会)を楽しむ。なんなら今もまだ国旗は至る所にあるし、イベントもぬるっと行われている。
12月25日まではクリスマスの装飾、それ以降はお正月ムード、のようにpunctualな街並みを見慣れている日本人からすると、なんともゆるい。
日本では8月15日は戦争の犠牲者に追悼を捧げる特別な日である一方、インドネシアでは日本からの独立を記念し建国の精神を今一度思い起こす日である。
勿論史実として認識をしていたが、「ああ、そうか」とはじめてそのギャップを実感した。そして日本人である私は、独立記念日を祝うインドネシア人に対して一体どんな感情を抱いたらいいのだろうか、となんだかここ数週間モヤモヤとしてしまった。
今回の独立記念日を通じて、知ったことや感じたことをこの記事に残しておきたいと思う。
日本の軍政に対する評価
「インドネシアにおける日本軍政への功罪(芳賀 美智雄)」にて、それぞれの立場や価値観・基準の相違から、全く統一された見解を持つことは不可能との前置きがありながら、日本軍政の正負の遺産の詳述があった。
負の遺産は知るところではあるが、正の遺産もあるのかと興味を持った。それらは日本軍が当時意図した目的とは違ったが結果論的に独立に役立ったと解釈されるものが多いようだ。
例えば、インドネシア語の普及については興味深い。当時日本軍はインドネシアでも日本語使用を強制するも、当然ながら外国人が日本語を短期間で習得することはまず持って無理だろう。従って、各地域を繋ぐリンガ・フランカとして使われていたインドネシア語をやむを得ず公用語とし、「インドネシア語整備委員会」まで作ってインドネシア語の体系化を行ったのだ。国家において、国語の果たす役割は大きく民衆の心をひとつにし、独立及びその後の発展に大きく貢献したと言える、とのことだ。
あわせて、結びに印象的な文章があった。インドネシアの独立記念日を祝う人たちに対して、日本人として「ごめんなさい」に近い気持ちを持ちつつあった私は、この感情も単純な二分法で到底割り切れるものではないと思った。
前田少将の貢献
日本の軍政における正の遺産は結果論的なものが多かったが、個人レベルで見るとインドネシアから独立への貢献を大きく評価されている人物がいた。
前田精少将は、インドネシア国家・国民へのたぐいまれな貢献の栄誉として同国建国功労章を授与されている。
前田少将の貢献は以下の記事によくまとまっていた。
この海軍武官宅は、ジャカルタ・メンテン地区にあり独立宣言文起草記念博物館として公開されているらしいので、必ず近々足を運びたい。
インドネシア人の認識
前述の小川氏のコラムに影響され、書店に赴き高校教科書(高校2年生)を買ってみた。自分のインドネシア語レベルを考慮して、本当は中学生レベルがよかったのだが、発見出来なかったため、やむを得ず高校の教科書にした。種類はいくつかあったので表紙で選んだ。ちなみに値段はRp16.500(160円)、激安である。
特に、8月17日の記載は克明であり、なんと10ページ以上も割かれていた。(内、1ページは前田少将についてのコラムであった。)
私が覚えている限り日本の教科書は淡々と事実を記載しているイメージだが、それよりも物語調で書かれている。
日本の統治下の歴史についても仔細に記載があり、先のインドネシア語の普及以外にもプラスの影響として農業技術の高度化などが挙げられていた。
また全ての日本人が悪いわけではなく、インドネシア人と日本人の間には個人単位で絆が生まれたケースもあった、と記載がされていた。
「日本人である私はどう思ったらいいのか」という私のモヤモヤは、主語が大きすぎたかもしれない、と思った。
心から、おめでとう
最後に、偶然Youtubeで「インドネシアがもし植民地化されていなかったら何が起きたか?」という簡単なアニメーションの動画をみた。
コメント欄を読むと、インドネシアという一つの国家が、この国にとって8月17日がどれほど大切かが伝わってきた。
色々知る過程を経て、私の最初のモヤモヤはすでに晴れていて、独立記念日をとにかくお祝いしたいという気持ちになっていた。
インドネシアという国がこれからも幸せであるように発展するように祈念して、心から独立記念日おめでとう!
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