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【インドネシア語】"Sudah menikah?"に覚える違和感

インドネシア人は心理的なパーソナルスペースが狭いと思う。
どれくらい狭いか、というと初対面で"Sudah menikah?(結婚をしていますか?)"と余裕で聞かれる。忘れもしない、先日日本に一時帰国した際のイミグレでの会話を紹介したい。

職員「日本には何日帰るの?1人で帰るの?」
私「うん。」
職員「結婚してるの?」
私「うん。夫は仕事だから1人で帰るんだよ。」
職員「子供はいないの?」
私「いないよ。」
職員「なんで?」

「・・・な、なんで?」あなたは私の友達かなにかでしたっけ?と思わず聞き返すところだった。
後日インドネシア人の友人にこの話をしたところ「空港職員としてのプロフェッショナリティに欠ける。若い世代ではそんなこと初対面で聞かない。インドネシア人として恥ずかしい。」と憤慨していたので、少しホッとした。

Basa-basi(バサバシ)

インドネシアでは「Basa-basi(バサバシ)」というお作法があり、ちょっとした雑談を好む。さすがにすれ違い様に毎日結婚しているか?とは聞かれないが、「Ke mana?(どこ行くの?)」「Sudah makan?(ご飯食べた?)」とかはよく聞かれる。
最初は、「Ke mana?」とか聞かれると、「え?何この人?もしかしてついてくる気?!え、どうしよう。」とか考えてしまい、デュヘヘへとなんとも気持ち悪い苦笑いで返してしまうこともあった。

30年も生きているとこういう場合の大体の対処法は思いつく。聞かれる前に聞けばいいのだ。会う人会う人に「Ke mana?」と聞きまくっていたら、さして相手の答えには興味ないということがよくわかったので、以降は適当に答えている。ただ、ハローと挨拶するよりは、若干のオリジナリティが生まれて温かみがあるし楽しい。

結婚することは前提?

”Sudah menikah?”とは、インドネシア語の結婚するという動詞(menikah)と現在完了形(すでに〜した)を表す副詞(Sudah)の組み合わせである。
すなわち、結婚することは前提で「もうしたか?」という表現をされる。ちなみに子供がいるかどうかも同じ聞き方をされるし、否定する場合は"Belum(まだだ)”という。

結婚をしない友人や、子どもを持たない友人が当たり前にいる現代日本人の私としてはこの表現に違和感を覚えるが、先述のインドネシア人に今度はこの話をしたところ、話としては理解してもらえたがピンときていなさそうだった。

確かに、日本でも職場の年長者から言外に(まだか?)という意味を含んで聞かれることはあった。結婚はするもの、子供は産むもの、こういう価値観が言語表現に表れているのは面白い。

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