[AI試運転]スパーリング・ウィズ・ツクモドウ
「ルールは三つ。まず、これはスパーリング。サイバネがオーバーヒートしたらその場で負け」
「うす」
目の前の男は、サイバネ化した右手の指を三本立てる。
そいつの名前は九十九堂。色々あって、オレに稽古をつけてくれている。
「二つ目。制限時間は五分。その間に、俺に有効打を一発でも入れられれば、ヒカルくんの勝ちでいい」
「うす」
難題だ。九十九堂は、はっきり言ってかなりの手練れ。上には上がいるとはいえ、今のオレにとっては雲上人だ。
「最後。終わったらさっさと帰って、美味いメシ食え。始めるぞ」
「うす!」
九十九堂が言い終わるやいなや、こちらから仕掛ける。
拳に力を込め、飛び出すように接近。
身体能力は九十九堂の方がずっと高いが、敏捷性ならオレに軍配が上がる。
「ふんッ」
「いッ……!」
胴部にパンチを放った直後、硬いものに阻まれた感触が伝わって来た。
九十九堂は、サイバネ化した右半身を駆使して、攻撃を受け止めたのだ。
予想通りの展開。
その隙に反撃。左足でローキックを打つ。
オレは、相手の動きを読む事に長けている。だから、九十九堂のアクションがわかる。
「ふッ」
九十九堂は、獣めいて地面を這い、背後に回ってオレの足を払う。
まさに、人間離れ。
彼は、機械の動きを習得しており、数多くの技術を扱える。
「ちぇッ」
体勢を立て直すと同時に、腹部に拳を入れる。
しかし、やはり空振りだった。
九十九堂の防御力は半端じゃない。オレのパンチも一瞬で完全にいなされる。
「ヒカル。お前は強くなった。だが……気合いが足りねえんじゃねえか?」
九十九堂の言葉に、思わず足を止める。
パワーでは、九十九堂の方が上。それは認めよう。
だけど、攻防の中で油断した事なんて無い。オレはこの二年、必死に鍛錬を重ねて来たのだから。
「俺は本気だぜ。お前が目指す道が見えてる」
「分かってる。あの日、師弟関係を結んでもらった事に対する恩返しだ」
そう、あの日。オレは、九十九堂の元に居候させてもらう事になった。
この土手でイジメに遭っていたオレを助けてくれたのが、彼だった。
そして、九十九堂と出会った事で、オレの人生は変わった。
「負けるつもりは無い!」
「ふッ!」
拳を振り下ろした瞬間。
足が地面から浮き、空中へ投げ出される。パリィ。
なんとか体勢を立て直したものの、抵抗する余地はほとんど残されていなかった。
「やば……!」
「フッ! もう終わりか?」
「まだだッ!」
落ちる寸前、オレはバク転を決めた。
相手の攻撃を機械の腕で受け止め、反撃を叩き込む。
何度も何度も試みた、師匠お得意の技だ。
「甘いなッ!」
完全に見切られていた。避けられると分かっていたように、九十九堂は容易にオレのパンチをいなした。
もはや、距離を取ってくれる気配は無い。
このまま戦えば、勝ち目はゼロ。でも――
「逃げねぇよッ!」
「良いぞッ!」
サイバネ使いは、一種のプライドの持ち主だ。その心理が、彼を大きく成長させた。
オレは拳を振り下ろす。必死に、ひたすらに。
「やるじゃねえかッ!」
九十九堂の行動は、弟子相手でも容赦がない。
だから、この場合有効打と言われるのは、確実に戦況を変える一撃だ。
狙うは、生身の左足。
身体能力が高い九十九堂は、視界内からの攻撃に対応出来る。
だから、低い位置を狙う。有効打に到達する為には、奇襲のタイミングが重要。
「ハッ!」
左のジャブ。
見切られている事は分かっていた。だけど、この一発はただの目眩まし。
「ハアッ!」
右のアッパー。
サイバネの威力が乗った一撃で空気が破裂し、威力が急激に上昇した。
これも揺動。
「シィッ!!」
アッパーの反動で身をかがめる。
そして――
「よくやったぞヒカルッ!」
『オレの』左足を、九十九堂は払い飛ばした。
地面に投げ出されたオレは、無様に顔から着地する。
完全に虚を突かれた形だった。
「やるじゃねえかヒカル……あんな一撃、初めてだ」
「くそっ……!」
油断していたわけではない。
最初に教わった基本的な戦い方だ。
ただ、相手が九十九堂という大きな壁だっただけだ。
「お前は強くなった。だが、俺にはまだ勝てねえ」
「……分かってる。努力するよ」
「フッ……いつまでも付き合ってやるよ」
今日の稽古は終了だ。九十九堂は、オレを起こしてくれた後、アジトへ戻ろうとした。
オレは、立ち上がりもせず、膝を抱え込む。
「師匠。もう少し時間を下さい」
「……何?」
「次こそ勝ちます。師匠に勝って見せます」
「ハァ……まぁ良いだろ」
どうせ、無茶苦茶言って来る事は予想出来ていたらしい。
九十九堂は、あっさりと許可を与えてくれた。
「じゃあなヒカル。早く飯食って、風呂入って、ベッドで寝るんだぞ」
去って行く背中を見送る。
オレは、今度こそ本気で勝ちたいと思っていた。
一方的に負け続けている状態が長く続いていたからこそ、そう思ってしまう。
サイバネ化した右腕は、確かに強力な武器だ。
だけど、心の問題は全然解決していない。
動きは完璧でも、精神面が追い付いていないのだ。
「強くなりたいよ……!」
小さくつぶやいた声は、夜の静寂に溶け込んで消えていった。
オレは、自分の戦い方に限界を感じていた。
技術も上達しているはずだ。だけど、師匠には遠く及ばない。
何故、こうも差が出てしまうのか。
考えれば考えるほど苦しくなる。
「……帰るか」
九十九堂に続き、オレもまた夜に紛れる。
焦る必要は無い。
師匠も言っていた。時間をかけて稽古して行けば良いと。
一人前になれるよう、精進し続けるのみ。
目の前には、その道の先が見えている。
ひとまず、疲れ切った体を休める事にしよう。
朝日が登る頃に起きて、また学校。
心の中で、そう決意する。
そして。
その悩み多き少年の姿を、二つの赤い目が見つめていた。