【うちのこPSO2-20】カレー屋のとてつもなく長い一日

◆序章◆

 「……よし」
 朝の仕込みを終え、キッチンを見渡す。
 鍋には、多種多様なカレー。釜には米。石窯も暖気は済んでいる。

 カラコロ、と正面ドアのベルが歌う。
 「ダストの旦那、張り切ってんねえ」
 入ってきた男はフロアに漏れる香りを嗅ぎ、そう漏らす。
 「当たり前よ、ゲイリーちゃん。だって今日は――」

 「らん先輩が来る。でしょ?」
 うさみみメイドコス姿のアルバイトが机を拭き終わり、言葉を続ける。
 「そう。貴方にもキリキリ働いてもらうわよ、ルノフェットくん」
 
 「給料は弾んでよね!」
 忙しくなるわよ。そう言ってから、パンと手を叩く。

 「じゃあ、開店と行こうかしら!」

 ◆lirukのうちのこSS一部最終章◆

 ◆カレー屋のとてつもなく長い一日◆

◆九十九堂、桜之宮の節◆

 「待ってくださいよぉ、九十九堂さぁん」
 太陽が一日の折り返しへ向かわんと雲間から顔を出す頃、女性のキャスト(注:ハルファにおいては、人権を持つ全身サイボーグのことを指す)が半サイバネの男を追って駆けていた。
 女性の名は桜之宮なこ。薄桃色を基調としたパーツに、流線形をした新緑のヘッドギアを装着している。
 「悪ィ、最近ソロで動くことが多くてな。俺のペースになっちまった」
 そう答えるのは九十九堂。顔の左半分と、右腕が機械化されている。
 「全くもう。生身の頃から『運動は苦手』って言ってるじゃないですか」
 彼女は腰に手を当て、頬を膨らませる。

 彼女の来歴を知らないならば、この仕草を可愛いとも思うだろう。
 知っている九十九堂の反応はこうである。

 「やめてくれ、そういうムーブされるとマジで調子狂う。お前のほうが一回り上なんだぞ」
 「むうう」
 「今はチーム組んでッから誰にも言わねえけど、正直俺は今でもお前のことが怖い。敵だったときに情報を操って敵味方の境界を崩壊させやがったの、マジでトラウマだかんな」
 「それは褒め言葉ですー!」
 「メンタル太すぎかよ。ほら、目的地だぞ」

 彼らは一軒の飲食店にたどり着く。
 
 屋号は、「カレー屋・剣舞」。立て看板にはカラフルなマーカーで本日のおすすめメニューがいくつか書いてあり、側には「Curry」の吹き出しとともに、キュートな豚の絵が描かれている。

 「何の変哲もないな。マジにこの店か?」
 訝しがる九十九堂に、桜之宮は数秒CPUをフル回転させた後、「ですね」と答える。

 「まあ、マヤーレちゃんの話に裏が取れたってトコだな」

 言い残し、九十九堂は踵を返す。

 「ちょっ!? ちょっと待って下さいよ! 食べて行かないんですか!?」
 引き止める桜之宮。
 「え?」
 「こんなに美味しそうな匂いが漂ってるんですよ? 食べましょうよ!」
 「何を……うおっ、右腕を掴むな! 取れる! 取れる!」
 「ずっとクイックフードばっかりだったんですよぉ! お願いですから!」
 切実だ。彼女は基本的に赤貧なのだ。
 「あー、もう! 分かったよ……クソ。任務外だが付き合ってやる」
 「さすが九十九堂さん!」
 こうなっては彼女を止めることはできない。桜之宮は優秀だが、癖の強い女性であった。

 観念して、カレー屋のドアを開ける。

 「いらっしゃいませ! 二名様ですか?」
 
 元気の良い接客係の少女が、彼らをテーブル席に通す。
 「お冷とおしぼりをお持ちしますね―。メニューはそちらをごらんください! お決まりでしたらボタンを押してお知らせください!」
 「ありがとう」
 九十九堂は、最低限の社会的な笑みで応対した。

 「今のホールの子、男ですよ」
 桜之宮が耳打ちする。
 「名前はルノフェット・ラビットイヤー。デューマンです。成人していますが、容姿を固定していますね。容姿固定の費用的には、ただのバイトではありえないです。仕草から、今日来店する誰かを待っていると推測できます」
 「一瞬でそこまでやるかよ。本職の情報屋、マジで怖いわ」
 入口に佇む接客の少女……いや、少年は、耳をピクリとさせ、はにかんだ気がした。
 「まあ、害意はなさそうですし、放っておきましょう。さて、メニューを見ましょうか」
 
 「ふむ」
 基本はカレーライス。ナン対応。キャスト食対応。種々のルー、トッピングを用意しているようであった。
 九十九堂は頭を掻く。
 「迷うな、組合せ爆発をナチュラルに起こしているぞ」
 一方、桜之宮はパラパラとメニューをめくり、一瞬で決めてしまった。
 「私はキャスト標準、ライス小盛りにしますね」
 「はえーよ。とりあえず俺はライスの方のおすすめAにしとくわ」
 彼は検討を中断し、ハズレがなさそうなメニューを選んで、ボタンを押した。

 ポーン。小気味良い電子音が、店内に響く。

 彼らはルノフェットに各々の注文を言い渡し、内装を見渡す。

 第一印象としては、十分にモダナイズされている。清潔感はあるものの、過度な眩しさはない。
 電球色のライトが場に落ち着きと暖かさを与え、黒い木製のテーブルと椅子、ソファが最低限のストイックさを補強している。
 「良いですねえ。地球に居たときは、こういう飲食店を探るのが唯一の楽しみだった気がします」
 ふっと息を吐き、グラスの水を少し飲む。
 「公務員の悲しみが見える。俺だって社畜だし似たようなもんだけどさ。週イチくらいでそこそこの店に行って、ビールと揚げ物突っ込むの楽しかったよなあ」
 九十九堂の方は背もたれに体を預け、過去を思い返している。
 「私はお昼ですね。出張も多かったですし、現地のお店にはお世話になりましたねえ。カツ丼とか、ハンバーグとか。恋しくなっちゃいますね」
 「まあ、またそういうクエストは来るよな」
 「来てほしいですねえ」
 なんだかんだで、仲は悪くないのであった。
 
 雑談をしていると、ルノフェットがカレーを運んでくる。
 「おすすめA、キャスト標準小盛りです!」
 「ありがとう」
 湯気を立て、嗅覚を刺激するカレー。
 「ほう」
 九十九堂のカレーには、ざくざくとしたチキンカツが乗っており、桜之宮の方も、キャスト標準と言いながらも、リアルフードと遜色ない見た目だ。

 いただきます。

 ◆◆

 「美味いわこれ。エアリオ産の肉だよな。揚げたてのカツは心の滋養に良い」
 「キャスト食、こんなに美味しいのもあるんだ」
 「泣くほどかよ。確かにこの店は相当うまい部類だけどさ」

 「いらっしゃいませ! 三名様ですか?」
 少年と、二人の少女が来店する。

 「さて、帰ろうぜ。一応任務の途中なんだ、気合い入れていこうや」
 「はあい」

 九十九堂は二人分の会計を済ませ、店外に出た。

◆紅、シラカ、あやめの節◆

 「――しゃいませ! 三名様ですか?」
 「さ、三名です」
 接客の少女(然り、彼らからは少女にしか見えていない)の可愛さに思わずどもってしまった少年の名は、紅恭也(キョウヤ)。もしもう少し背が高ければ、皆に格好いいと言われたであろう男である。
 また、キョウヤと同じくらいの身長で、動きやすいフィールドワーク服を着ている少女が砂原海白花(シラカ)。可憐なショートヘアは、淡い橙だ。
 最後に、二人より頭一つ背が高い子が、月紀寺あやめ。ガーリーファッションに身を包み、グラマラス。肩まで届くロングヘアーは、光に照らせば紫の輝きを返す。

 「了解いたしました、テーブル席にご案内しますね!」
 「どうも。って痛っ!? なんで蹴った今!?」
 キョウヤはシラカにかかとを蹴られ、その様子を見てあやめはクスクスと笑う。
 彼らの中ではよくあるコミュニケーションである。ちなみに、シラカの蹴りは大体6割がキョウヤに、3割があやめに飛ぶ。残りの1割は両方だ。

 「お冷とおしぼりをお持ちしますね! メニューはそちらをごらんください! お決まりでしたらボタンを押してお知らせください!」
 「はーい」
 あやめがにこやかに答え、三人はメニューを見る。
 「さっきどもったでしょ」
 「どもったよ、どもったけどさあ」
 カレー屋でいきなりうさみみメイドが出てきたら、店間違えたかなって思うでしょ。彼は弁解した。
 その弁解の行き着く先は、つま先を踏まれるといういつもの展開であった。
 
 痛みをやり過ごしたキョウヤに、あやめが言葉を続ける。
 「痴話喧嘩は終わった?」
 「「痴話喧嘩じゃない」」
 二人同時に否定した。
 (さっさとくっつけばいいのに)そう思いながら、彼女はメニューを開いた。

 「ノッシカツ、ラッピーカツ、からあげ、ソーセージ、フライ、フライ、フライ……」
 シラカはトッピングのリストを読み上げる。
 「ダメだ、ほとんど全部重いやつだ。でもトッピングなしもなー」
 そのままメニューを立て、頭を覆う。
 「シラカもキョウヤも少食だもんねえ」
 あやめは既に決め終えたのか、冊子を畳んで置き直す。
 「あー、どーしよ。十分くらい悩みそう」
 「うーん」
 キョウヤはメニューを端から端まで読み、気づく。
 「シラカ、これ」
 「んあ?」
 顔を起こし、キョウヤのメニューに目をやる。
 指は、パンを平らに伸ばしたような形状の、ナンと呼ばれるものの画像を指していた。
 「ナン?」
 「ナン」
 二人は顔を見合わせる。
 「美味しいよ、それ。N市に居た頃何度か食べた」
 あやめが言及する。彼女の舌には、ある程度の信頼をおいている。
 「ナンにしよう」
 「わかる」

 キョウヤは、ボタンを押した。

 ホールの少女がてこてことやってくる。
 「ご注文を伺いますね!」
 「バーディカレーのナンセット、二つ。あやめは?」
 私はね……と少し間を置き。
 「ノッシカレー、唐揚げ乗せ、大盛り、チーズ追加でお願いします」
 「うわ」
 「おっも」
 他の客が、どよめいた気がした。
 当時、周りの子がシュークリームとかチョコレートとかを主食にしていたときでも、彼女だけはまともな食事を取っていた。
 つまるところ、胃袋の頑丈さが違うのだ。
 「かしこまりました! もうしばらくお待ち下さいね!」
 少女はメニューをキッチンに伝え、別の客の対応に向かう。
 
 雑談が、始まる。
 「よくそんなに食べて太らないよね。チートでしょチート」
 シラカが、実に羨ましそうにあやめに不平を漏らす。
 「後衛だけどトレーニングはしてますー! 二人こそちゃんと食べないと大きくなれないよ?」
 「それもそうだけどさあ」
 キョウヤとシラカがまともな食生活を始めたのは、ここ最近のことである。
 食生活を変えてまず思い知らされたことは、偏食が祟って胃が普通の食物を受け付けられなかったことだ。
 そのため、徐々に「慣らして」いる。先月の段階で、ようやくお子様セットくらいなら完食できるようになったとか。
 なお、あやめの方は、元からモリモリ食べていたので平常運転である。

 「話変わるんだけどさ、入れ替わりに出ていったの、九十九堂さんと桜之宮さんじゃね?」
 身を乗り出し、キョウヤが切り出す。
 「あー。あんまり関わったことないけど、確かに九十九堂さんだったかも」
 「そうそう。あの二人、たまに一緒に居るよな」
 うんうん、とあやめ。
 「ひょっとしたら、ひょっとしたらなんだけど」
 一拍。
 「デートだったりするのかなって」
 「ないでしょ」
 シラカが即座に否定する。
 「私らみたいな学生、いや今は学生じゃないけどさ。学生とかはともかく、しっとりした大人だったらもっと別のスポット選ぶんじゃない?」
 「しっとり、なあ」
 「だって想像してみてよ。キスするにしたってカレーの匂いがするんだよ? どこ行ってもインドから逃げられないじゃん」
 彼女は、呆れたふうに言い放つ。
 「言われてみれば確かに」
 納得しかけるキョウヤ。そこに、あやめが割って入る。
 「じゃあさ、私は逆に『アリ』の立場から言ってみようかな」
 「へー、どうぞ」
 「九十九堂さんが会計するとき、どっちが払ったか覚えてる?」
 「そうきたかー」
 指で額を押さえるシラカ。
 「九十九堂さんが、二人分。あっ!」
 「そう! つまり!」
 あやめは語気を荒げる。
 「九十九堂さんのおごり。決して割り勘ではない。完全にビジネスライクな立場だったらこうはならない! あの二人の間になにかあることは明白っ!」
 「ギアが上がってきたな」
 なおも続ける。
 「たとえカレーだろうとラーメンだろうと、九十九堂さんは桜之宮さんに奢るはず! これは下心があるんじゃないですかー?」
 「うーん、これだからカプ厨は」
 シラカが容赦なく刺しに行く。
 実際、その反応はやむを得ないものである。あやめは重度のカップリングオタクであった。

 そして。
 「おまたせしました! バーディカレーナンセット二つと、ノッシカレー唐揚げのせ大盛りの、チーズ追加です!」
 話題は有耶無耶になり、カレーがやってきた。

 「あ、ありがとう」
 今日の昼食を見るなり、キョウヤとシラカは後悔した。

 そこには、二つ皿があった。
 一つは、小ぶりなステンレス皿にそそがれた、粘度の低めなカレー。
 もう一つの方が問題であった。
 戦略机に広げられた世界地図の如き巨大なナンが、皿からあふれるように鎮座していたのだ。
 「でっか」
 キョウヤが声を漏らす。
 シラカは、助けを求めるように、ナンとあやめを交互に見る。
 「行けるでしょ。厚さはそんなにないから、量も大したことないよ」

 シラカは諦め、意を決し。

 いただきます。一人は期待に満ちた声で、もう二人は震えながら、食事に取り掛かった。

 ◆◆

 「あやめの言うとおりだったわ」
 結果として、キョウヤとシラカは勝利を収めた。
 ナンはザクザクとして甘く、彼らの舌に合うものであった。
 あっさりとしたカレーは風味の点で際立っており、ナンを折りたたんで浸すと調和が生まれる。
 皿に盛られた世界地図はその版図を徐々に減らし、気づけば彼らは征服しきっていたのだった。
 「ごちそうさま」
 少し遅れて、あやめも完食する。
 「さて、行こうか。昼休憩終わったら座学だってララモイ先生から連絡が来てた」
 端末を開き、キョウヤ。
 「うげー。あの人の講義難しいんだよなあ」
 シラカは腕を伸ばし、軽くストレッチする。
 「一足飛びな教え方するからねえ。じゃあ、会計済ませて出……よ……」
 ドアの方を見たあやめの表情は、不意に凍りつく。

 入り口では、先生たるララモイとツーズーが今まさに入店しようとしていた。

◆ララモイ、ツーズーの節◆

 「ゆゆ、悪くなゆ」
 ぶかぶかの割烹着を着たその女は、キョウヤやシラカよりもなお小さき者であった。しかし、その身にまとう気迫を浴びれば、敵は震え上がるだろう。
 彼女はララモイ。実のところ彼女はポテサラエルフだが、ここではニューマンとして登録されている。
 「よいしょっと。全く、バンブーの氏族に『カレーを食いにいけ』とはまた変なクエストだよな」
 身長2メートルはあろうかという隻眼の大女が、ドアをくぐって入ってくる。筋肉ではちきれそうなタンクトップにカーゴパンツ。ちらりと見える腹部も、よく鍛え上げられている。
 彼女がツーズーだ。同じくニューマンとして登録されているが、バンブーエルフである。〈咬合力が強すぎる鬼教官〉〈竹魔法戦士〉などの異名を持つ。

 「よう、チビども。今食い終わったトコって感じだな。美味かったか?」
 ツーズーはキョウヤたちを見つけ、ヒラヒラと手を振る。
 「アッハイ、美味しかったです」
 ぎこちなく答えるキョウヤ。
 無理もない。戦闘訓練では、割と容赦なくボコられているのだ。
 しかも一対三で、である。実力差がありすぎるので、最近は回避を重点的に教えている。
 「そりゃあ良かった。ちゃんと食えたようでな」
 その心境を知ってか知らずか、彼女はニカッと笑う。
 少なくとも、気質は英雄のそれなのだ。
 
 ララモイが背後で接客の少年とのやり取りを済ませ、ツーズーを引っ張っていく。
 「じゃ、後はよろしく」
 入れ替わりで出ていったキョウヤたちを見送ると、彼女たちは席についた。

 「しっかし、アタシらの口に合うメニューはあンのかねえ」
 二人はメニューを開く。
 「うゆゆ……ぽてさら……ぽてさら……」
 ララモイも、ツーズーも偏食家ではある。
 ただし、その偏食はどちらかというと種族としての本能に近く、個人の嗜好とは趣を異にする。
 「あっ、付け合せにあゆ!」
 ララモイの方は目当てのものを見つけたようだ。
 「うゆ、『じゃがいもごろごろカレー』も良さそゆ。」
 一方、ツーズーは。
 「流石に青竹はねェよな。ユアンスウのトコが例外なんだよなー」
 右手で頭を抱え、メニューを読む。
 然り、バンブーエルフは、青竹を噛み砕く瞬間のために生きている。
 「タケノコで探したほうが早いか」
 「ゆゆ、ツーズー、これ見ゆ」
 ララモイはメニュー冊子を裏返し、ツーズーに見せる。
 「ほう」
 春の野菜たくさんカレー。ファジーな名前だが、期待はできる。
 「店員さん、ちょっといいか」
 ツーズーは接客の少年を呼び止め、このメニューにタケノコが入っているかどうか問う。
 「はい! グリルしたタケノコの他には、グリーンアスパラガス、それととろとろになるまで煮詰めたタマネギが入ってます!」
 「良いねえ。じゃあ、オーダーもそれでいこう。大盛りで頼む」
 「ぽてちは『じゃがいもごろごろカレー』。付け合せのぽてさら多めを頼ゆ」
 「かしこまりました! もうしばらくお待ち下さいね!」
 接客の少年は、てこてこと去っていく。

 雑談が始まる。
 「で、さっきの話の続きをしようか」
 切り出すのはツーズーだ。
 「ゆゆ。ぽてちたちは、夢の中で数百年経過した元の世界に戻ってたゆ。それで、ぽてとぴあとかいう国の皇帝となっていたヤモイをぶん殴って、程なくして目覚めたゆ」
 ララモイは腕組みし、続ける。
 「で、実際はそれは夢じゃなかったゆ。一時的な転移ゆね。朝起きたらボディの世代が変わっていたので、恐らくあっちでヤモイにやられて、そこで種芋から生まれ直したのはほぼ間違いなゆ」
 「やられたのが種芋から復活できるララモイだったのが不幸中の幸いだったと言うべきか。やー、それでも災難だったな、ホントな」
 「ゆゆ。ツーズーやられてたら最悪ゆ。まだマシゆね」

 沈黙。

 「で、まだなんか言いたいことがあるんだろ?」
 ツーズーが促す。
 「それでまあ、ヤモイとは姉妹なので分かゆが……」
 言いにくそうに、続ける。
 「ヤモイ、こっちに来てゆ」
 「マジかよ」
 右手を口に当て、のけぞる。
 「ぽてちが戻ゆときの痕跡をたどってテイルゲートされたゆかね。ヤンデレストーカー怖ゆ。頭痛ゆ」
 「この感じだと、アタシらをハルファから呼び戻したのもアイツの計画の一環だろうな。全く、あンのトラブルメーカーめ」
 「だいたい、年齢差というものがあゆ。転移前が150歳差。ハルファへの転移時期があっちの世界で言えば450年前で、実年齢ならあっちのが300歳上。まるで親子ゆ。それで妹扱いされたがゆの、絵面がエグゆ」

 もう一度、沈黙。エルフは長命だが、それゆえに認識のギャップが有る。

 気持ちを切り替え、ツーズーが提案する。
 「ンまあ、そうだな。どこにいようが付いてくるンだったら、逆に振り回せるんじゃないか? こっちの文化に馴染んでもらって、あのクソな書類作業をやらせるとか」
 「ゆゆゆ」
 ララモイは少し考え、ニヤリと笑う。
 策略家の、湿度の高い笑みだ。
 「ゆっふっふ、悪くなゆ。さんざん引っ掻き回したツケは、体で払ってもらゆ。そのプランで行ゆ」
 「悪い顔してるぜララモイ。その話はそれで行こう。カレーも来たことだしな」

 接客の少年が、おまたせしました、とカレーを置く。

 いただきます。

 ララモイは、まず付け合せのポテトサラダを見る。
 黒い粒はコショウか。薄切りのハムと、ダイス状のニンジンが彩りを添えている。
 試してやろう。そう思い、スプーンを入れる。
 ねっとり感はさほどでもないか。想像はしていたが、食卓のメインを張るためのポテサラではないようだ。
 ポテサラに刺したスプーンを抜き、カレーに手を付ける。
 半分に切られた、ゴロゴロとしたジャガイモは、スプーンを入れればバターのように崩れていく。
 そのさまを見て、不意に笑みが浮かぶ。
 崩れたジャガイモ、ルー、ライスをまとめて口に運び、咀嚼。
 悪くない。ポテサラエルフでも、問題なく噛み切れる。
 二口程堪能した後に、今度こそポテトサラダに挑戦する。
 「ゆふふ」
 糸のように細かく切られたオニオンの刺激は、カレーの辛さとはベクトルと違う。
 付け合せとして設計されたポテトサラダは、口内をリセットするためのものであった。

 至福であった。

 一方のツーズーは、タケノコでいっぱいのカレーをガツガツと食べている。
 いつだったか、『うまい飯は、うまそうに食うのが礼儀だ』と言っていた。
 最初に会った時を思い出す。竹に詰めたポテトサラダを、貪っていたっけな。

 程なくして、彼らの皿は空となったのだった。

 ◆◆

 「いやー、食ったわ。こう、胃袋が満たされるのは、ヒトの食事ならではだよな。青竹もストイックで良いが、こういうのも良いよ、ウン」
 きしむ背もたれにもたれかかり、ツーズー。
 「うゆ、そろそろお昼休憩終わゆ。おちびちゃんたちへの講義、張り切ゆ」
 ララモイは手を合わせ、立ち上がる。
 「っしゃ行くか。そろそろ飯屋もピークタイムだ。席が埋まる前にさっさと退散すっかね」
 ツーズーも追随。お代を払い、礼を言い、店を後にした。

 「ひゃあんっ」
 その少し後、背後で接客の少年が可愛い悲鳴を上げた。

◆ツィール、マヤーレI、いおどの節◆

 「いらっしゃいませ! 何名様ですか?」
 メイド服を着た接客の少年の目に映るのは、二人の少女と一人の男の娘だ。
 少女のうち一人が、残りを連れてきているという表現が正しいか。引率の少女はツィール・ハフィー。光を吸い込む青黒い肌に、面積の小さなビビッドレッドのチューブトップと腰布。肌と同じ色のレオタードをその下に着け、社会性を保っている。
 連れられてきた方の少女は、マヤーレ・インフリア。薄群青のショートヘア。子猫のようにあたりを見渡し、どこかに行こうとしては、ツィールに右手を捕まれ、呼び戻されている。
 最後に、スカート丈を切り詰めた、巫女服の男の娘。名前は黑入鹿いおど。マヤーレと対象的に、おどおどとしている。
 「んっ。三人だよ」
 「かしこまりました! 席にご案内……」
 背を向ける少年。
 ツィールは、さも自然な流れであるかのように、紙片とトークンを少年の尻ポケットにねじ込んだ。
 「ひゃあんっ」
 彼は可愛い悲鳴をあげる。
 「そういうお店じゃないですよお」
 抗議する少年に、ツィールはウィンクして弁解する。
 「んっ、ごめんね。今のチップだから」
 「もう」
 その光景を見て、(やっぱりししょーに付いてきてもらったほうが良かったかも)と思ういおどであった。
 
 「お冷とおしぼりをお持ちしますね! メニューはそちらをごらんください! お決まりでしたらボタンを押してお知らせください!」
 少年は顔を赤らめ、てこてこと去っていく。
 「さて、何があるかな」
 ツィールはメニューを開き、二人に問う。
 「二人はカレー、よく食べる?」
 「たべる!」
 マヤーレは即座に答える。
 「ピュリファイアおねえちゃんが作ってくれる!」
 「えっ、ピュリさん料理するのか。ああ見えてご飯美味しいのかな」
 「おいしいよ!」
 ツィールの預かり知らぬことではあるが、マヤーレはチームメンバーの作る料理について、大体口にしている。可愛いので皆が食べさせたがるのだ。
 「マジか、知らなかったな。今度好みとか聞いてみよ。いおどくんはどう?」
 「えっと、わたしは」
 一呼吸。
 「カレーは好きで結構食べるんだけど、からいのは苦手かも」
 「そっかあ。カワイイスパイスさんのトコだし、やっぱり美味しいんだろうなあ」
 「うん、ししょーのごはんはおいしい」
 メニューを読みながら、答える。
 「んふ。良いよね、そういうの。ウチも今度、なにか作ろっかな」
 「食べに行っていい!?」
 マヤーレは食いつく。
 「ん。イイよ。いおどくんと一緒に来なよ」
 「やったあ!」
 そうこうするうちに、彼女たちはメニューを決め終え、ボタンを押した。

 ぽーん。

 ホールの少年がてこてことやってくる。
 「ご注文を伺いますね!」
 「ウチはガッツエビ煮込みカレーのライス。いおどは?」
 「ええと、ノッシカレー、甘口でお願いします。ライスです」
 「了解いたしました! そちらの方はいかがなさいますか?」
 マヤーレは息を吸い込み、答える。

 「ノッシカレー! エビフライ乗せの五辛!」
 「うええ!?」
 「マヤーレちゃん!?」
 二人は振り向く。
 「マヤーレちゃん、辛いもの好きだったの……?」
 裏切られたかのように、甘口ノッシカレーのいおどは声を絞り出す。
 「? 好きだよ?」
 「というか、食べれるの……?」
 念のため、ツィールは確認する。
 「うん。五辛はたべれる。十辛はまだむりだった」
 「『まだ』かあ」
 ツィールは、マヤーレの行く末が心配になり、それから、考えるのを保留した。
 まあ、美味しく食べられるなら良いのかなあ、と。

 「か、かしこまりました! もうしばらくお待ち下さいね!」
 少年は、てこてことオーダーを伝えに行った。

 「ところで、ツィールさんは普段どういうものを食べてますか?」
 いおどは、話を切り出す。
 「うっ。ええと」
 逡巡。
 実のところ、彼女は「食べる」から連想される凶悪な下ネタで返そうとし、相手が子供であることを考慮して思いとどまっただけである。
 とにかく、ツィールは自他共に認めるビッチである。見た目はともかく、成人している。先程接客の少年にチップと一緒に渡した紙片には、直通の連絡先まで書かれてある。そして、こういうムーブを幾度となくやっている。
 「ツィールさん?」といおどは訝しむ。
 「わたし知ってる! エビとかイカとかよく食べてるよね!」
 マヤーレは、自覚なしに助け舟を出す。
 「そ、そうだよ! ウチのもともと居た世界、とにかく海が広くてさ」
 「海ですか。となると、お魚は懐かしい味ってことですか」
 どうやら、話題は修正できたらしい。
 「そだねー。めっちゃデカいエビが居るよ。こっちの単位で言って、大体5メートルくらいのがゴロゴロ釣れる」
 「5メートル!」
 「おっきい!」
 子供組は、ほえーと話の続きを促す。
 「それでさ、肉も分厚いから、四角く切って、オリーブの油と絡めてステーキにするとイイんだよね。美味しいかって言われると大味で微妙なんだけど、たまに食べたくなる」
 「エビのステーキですかあ」
 いおどは想像し、食材が良ければ美味しいかな、と考えた。
 「おっきいエビフライもある!?」
 「まるごとは流石に火が入んないかなあ」
 「そっかあ」
 シュンとするマヤーレ。
 「ああ、でも。成形すればこっちでも似たようなのを作れるんじゃない? 加工技術で言えばハルファの方がだいぶあるから、北エアリオでエビいっぱい集めればなんとかなるかも」
 目をキラキラと輝かせ、復活。
 「んふー。食べ終わったら集めてこようかな。いおども一緒に行こっ!」
 とにかく目まぐるしく感情が動くのも、マヤーレの特徴であった。
 「あっ、カレーができたみたいです」
 いおどが気づき、接客の少年は、おまたせしましたとカレーを置く。

 いただきます。

 「マヤーレちゃん、どう……?」
 いおどはノッシカレーを食べ進めながら、恐る恐る彼女の様子をうかがう。
 ぱくり。
 「んんんんん」
 少し固まり。
 「おいしい!」
 「よかったぁ」
 脱力し、また口に運び始める。ツィールも同様だ。
 (さっき「懐かしい味」ってことにして言ったんだけど)
 言葉にせず、続ける。
 (あそこまで大きいエビ、暴れられると〆るのが大変な上に大体は貴族が高値で買い取っちゃうから、ウチらスラムの住人はよっぽどのことがないと食べられなかったよね)
 カレーの中でも存在感を残すシュリンプを味わい、思い返す。
 (まあ、ウチは貴人専門のアサシンだったし、良いか悪いかで言えば悪いことなんだけど、『よっぽどのこと』は何度かあった。また食べたいってのはあるから、夕方までマヤーレちゃんたちについていこっかなあ)
 思っていると、不意に。
 「ごちそうさま!」
 「マヤーレちゃん食べるの早いよ!」
 グループの中で一番元気な子は、既に五辛を完食していた。

 ◆◆

 「はい、代金。おいしかったよ」
 「ごちそうさま!」
 「ごちそうさまでした」
 「あ、ありがとうございました!」

 最後に、ツィールは接客の少年に耳打ちする。
 「じゃあ、ウチは待ってるから。楽しい夜にしようね」
 「ひゃ、ひゃい……」
 ツィールは、二人に少し遅れて踵を返した。

 彼女らがいなくなったことを確認し、少年はガッツポーズした。
 装いはともかく、彼は色に飢えた男であった。

◆ピュリファイア、カワイイスパイスの節◆

 午後一時。太陽がサンサンと輝くころ。
 「い、いらっしゃいませ! 何名様ですか?」
 接客の少年の目の前には、二人の美女。
 一方はウィンクしながら右手をピースサインの形で顔に近づけ、「二人」であることを示している。
 私はカワイイスパイス。ショッキングピンクのロングヘアで、出るところは出ているつもりだ。チームのマネージャー、会計管理が主な仕事である。
 横で無言を貫きつつも、恐ろしいしかめ面をしている方がピュリファイア。長身にしてスレンダー。銀髪を横にまとめ、小さなドリルを作っている。チームとは別の枠組みで作られたとある組織の、実質的なリーダーである。
 「せ、席にご案内しますね……」
 「うん、よろしく」
 少年は威圧感を覚えながら、私達をテーブル席に誘導する。
 「お冷とおしぼりをお持ちしますね? メニューはそちらをごらんください、後、お決まりでしたらボタンを押してお知らせください!」
 定位置に帰っていく彼を見送ってから、「ピュリ、顔に出てる」と指摘した。
 「スパイスお姉さま」
 ピュリファイアは顔を寄せ、ささやく。
 「あの男、最低でも十人と致してますわね。穢れが……うっ。けほっけほっ」
 彼女は、人の心を見透かすための訓練を受けていた。副作用として、見たくないものまで見えるようになってしまったようである。
 「ああ、うん。そういうことだろうと思った。難儀よね」
 「お姉さまをお守りするためなら、いかなる悪事にも手を染めましてよ」
 この子はいつもこうだ。恥ずかしいセリフも、平気で言う。
 「いつでもお慕いしておりますわ」
 「もう。メニュー見るわよ」
 話が進まない気がしたので、今日の食事を選ぶことにした。

 「ふむ」
 ピュリは、軽くメニューを読んでから、冊子をパタリとたたむ。
 「えっ、もう決めたの?」
 顔を上げ、驚きながら問う。
 「ええ。正確には、確認だけさせて頂きました」
 髪のドリルを左手で弄りながら、続ける。
 「この店には、組織の子が何回か来ております。ここに来るとHalppherに流したところ、メニューとおすすめを数件頂きました」
 右手で、瀟洒な白い端末を示す。
 「『エアリオ産タウベルのカレーとナンセットはおすすめですよ!』、『ピュリお姉さま! コスパで言えば日替わりが最強です!』。果ては『は? ピュリお姉さまがダブルノッシカツカレー食べるの見たいよね???』」
 一呼吸。
 「最後のは悪ノリとして、他は割とまともに思えるわね」
 率直な感想だ。
 「他にもありますわ。『暗黒イカスミカレーはマジでヤバい。普通のイカスミと思って食べると、トぶぞ』『たまに付け合せが謎野菜の漬物になるんだけどあれなんなん。味は良かった』『あのあの! エアルマシュルのカレーとってもおいしかったよ!』」
 「謎野菜ってのが気になるけど、概ね好評みたいね」
 「そのようですわ。これだけ選択肢がございますと、流石に迷いますわねえ」
 ピュリは端末を閉じ、グラスの水に手を付ける。
 「まあ、迷ってるのは私だけなんだけどね」
 コト。半分ほどの水量となったグラスが置かれる音だ。
 「迷っているお姿もお美しい」
 「そこまで来ると嫌味よ」
 ため息とともにメニューを置き、ボタンを押す。

 ぽーん。

 ホールの少年がてこてことやってくる。
 「ご注文を伺いますね!」
 「お先にどうぞ」
 ピュリが促す。
 「そう? じゃあ、私はエアリオ産タウベルのカレー、ナンセット。ラッシーもお願いね」
 「わかりました! そちらの方はどうなさいますか?」
 「わたくしは……」
 溜める。
 「エアリオ産タウベルのカレー。二十辛。ナンセット。ドリンクはラッシー」
 店内がどよめく。
 「ピュリ、今」
 「ええ、二十辛。せっかくの外食ですからね。たまにはわたくし一人が食べたい物を選びませんと」
 周りから聞こえてくる、「二十か」「やるな、あの姉ちゃん」「背筋がピンと伸びてる。かなりのやり手だぜありゃあ」「流石はピュリファイアお姉さま!」などの声は、聞き流すことにした。
 「貴女、そのうち胃を痛めるわよ」
 一応の忠告。
 「食後の地獄も含めて楽しいのではありませんか」
 対応に慣れている。彼女を助けようと思った私がバカだった。
 「りょ、了解いたしました! 二十辛の方は少しお時間頂きますが、よろしいですか?」
 接客の子も作り笑いだ。迫力に気圧されている。
 「あっ、遅い方に合わせて貰えると助かるかな」
 「お気遣い、素敵ですわ」
 「わかりました! そ、それでは!」
 彼はジャングルの猛獣を相手にするかのように、背を向けずに去っていった。

 雑談が、始まる。
 「にしても」
 切り出したのはピュリの方だ。
 「いおど様と一緒でなくて、よろしかったのですか?」
 「うっ」
 的確に痛いところを突いてくる。
 実際のところ、私は彼を溺愛していると言って良い。
 そう、言っていいのだが。
 「まあ、そうね」
 グラスの水に口を付ける。
 動揺を隠すように、湿らせる程度に。
 「ほら、ピュリには話したと思うんだけど、そもそも孤児院から拾ってきて、私と結婚できる年になるまで育てる予定だって話だったじゃない」
 「ですわね。地球で言うところの、ひか、ひかる……」
 「光源氏計画、ね」
 ピュリは手をたたく。
 「そう、そうでしたわ」
 「それで、その計画自体はとても順調で、どこまで行ったかも分かってると思うんだけどさ」
 「はあ」
 私のなにか引っかかる物言いに、ピュリは首を傾げる。
 「内心思うところが出てきたと」
 心を読まれた。
 「そういうことよね、要は。体を重ねたときに分かっちゃったことがあって、あの子、私しか見てないんじゃないかなって」
 「それはむしろ、計画通りなのでは?」
 彼女は腕を台形に組み、片目を閉じて促す。
 「異性としてはそうね。異性としては」
 目頭を押さえる。柄にもなく悩む。
 「なんだけどさ、私って、自分で言うのもなんだけど色々見てきてるじゃない。子供の頃から親交のある人も居るし、貴女のことだって、実際気にしてる」
 「光栄ですわね」
 手をゆっくりとテーブルにおろし、もう一度水を飲む。
 「あの子には、私よりももっと色んなことを経験させたいって思うのよね」
 ピュリは、ただ微笑んでいる。
 「今になって親子の情が湧きましたか」
 「ん。そうなるのかなあ。結局、今回あえて別行動したのもそれが原因ね」
 「なるほど、腑に落ちましたわ」
 彼女は、ふふ、と笑い。
 「つまるところ、彼はまだ一つしか色の塗られていないキャンバスのようなもの。ここから貴女が望めば、どんな色の絵の具でも彼を色彩豊かな男にするに違いありませんわ」
 「ま、踏ん張りどころはここからってことでしょ」
 接客の少年が、カレーを持ってやってくる。
 「話聞いてくれてありがとね。食べましょ!」

 いただきます。

 「とは言ったけどさ、二十辛えっげつないわね」
 ピュリのカレーは、香りだけでむせそうな湯気を立てながら煮えたぎっている。
 さらに言えば、鮮やかな赤いオイルと焦げ茶色のスパイスが美しい曲線を描いており、どちらかというとアートとして評価する人すらいるかもしれない。
 「んん、これを待ち望んでおりましたの」
 彼女は、そんなカレーにナンを浸して楽しそうに食べている。
 陶器のような肌は上気し、赤みがさしている。辛いには辛いのだろう。
 「スパイスお姉さま、『私も食べてみたい』と顔に出ておりましてよ」
 「うぐぐ」
 私は、悲しいことに好奇心の人であった。
 こう言われれば、食べざるを得ない。
 「じゃあ、ナンに付けてちょっとだけ貰って良い?」
 「ええ」
 恐る恐るナンを近づけ、掬う。
 香りを嗅いでみる。
 「わあスパイシー」
 食欲が出るのは間違いない。行けるか……?
 「じゃあ、いただきます」
 ぱくり。
 「~~~~~~!?」
 辛い!
 いやむしろこれは、辛いというより、「痛い」だ!
 水を飲もうとして考え直し、ラッシーのグラスを必死でつかみ、ゴクゴクと飲む。
 痛みをどうにかやり過ごし、息を整える。
 「ううっ、思ってたのより数倍辛いじゃない」
 「二十辛ですからね」
 気を取り直し、自分のカレーを食べ進める。
 「ピュリ、ホント胃は大丈夫?」
 「ええ、流石に頻度は抑えておりますので」
 「そう、なら良いんだけど」
 「ええ」
 なお、後でマヤーレちゃん経由で分かったことだが、自室でも辛いものをそこそこ食べているようだった。

 ◆◆

 「あ、ありがとうございました!」
 最終的に、ピュリは無事完食。会計を済ませ、畏敬の念を一身に受ける彼女とともに、店を後にした。

◆スキップ博士、ユアンスウ肆式の節◆

 カレー屋、外。
 「遅いぞユアンスウ! せっかく私から誘ったというのに遅れるとは!」
 ペストマスク、ベルトまみれの黒いウェア。当然、素顔は見えない。
 彼女はスキップ博士と呼ばれている。本名も、誰も知らない。
 「遅れるも何も、待ち合わせは一時間前じゃないですか! 探しに行ってたんですよ私は」
 息を切らしながら、ホバーでふらふらとやって来たのは男のキャスト。彼はユアンスウ肆式。スキップ博士の被造物にして、助手である。
 「それはアレだ。研究に身が入るとだね、時間というものは如何様にでも短くなる。私はその相対的な存在にしてやられたのだよ」
 「『時計を見るのを忘れていた』をそんな自信満々に言われても困りますよ」
 「最終的に合流したから良いではないか! 入るぞ」
 ユアンスウは、はーっと深く息を吐き。
 「博士はいつもこうだ」
 そう呪い、結局彼は博士の後を追った。

 「いらっしゃいませ、何名様ですか?」
 「二人だ。生憎テーブルってガラじゃない。カウンターだと嬉しいが」
 接客の少年は店内を見渡す。
 ピークタイムは過ぎ、客はまばらである。
 「なるほど、承知いたしました! お好きな席にお座りください!」
 「そうさせてもらうよ」
 博士は最奥の席に陣取り、ユアンスウは一つ手前の席に座った。

 「お冷とおしぼりをお持ちしますね! メニューはそちらをごらんください! 注文お決まりでしたらボタンを押してお知らせください!」
 「どうも」
 お冷を受け取り、すぐさま博士は席を立つ。
 「ああ、ユアンスウ。私はもう注文を決めたから、君のタイミングでボタンを押せ。それまでにちょっと野暮用済ませてくるわ」
 「はあ」
 キョトンとする彼を背に、博士は店の奥に足を運ぶ。
 「じゃ、あとよろしく」
 彼女は角を曲がり、すぐに見えなくなってしまった。

 「これ、何のフリなんでしょうね」
 ユアンスウは首を傾げる。
 朝の段階でチームのほぼ全員に発令されたオーダー。中身は、「『カレー屋・剣舞』で食事をしろ」。
 九十九堂と桜之宮には座標を特定するミッションが割り当てられていたが、結局彼らも昼食はここで済ませたようだ。美味しかったと報告が上がっている。
 ユアンスウは、オーダーの発令主が店主ではなくスキップ博士であると知っている。

 ということで、仮に博士の側に、一介の飲食店へ負荷をかけてまでやりたいことがあった、と考えてみる。

 不自然だ。
 博士は突拍子もない人だが、下らないことはしない。
 となると、このカレー屋の側に何かあると考えるほうが適切か。
 「ふむ」
 メニューをパラパラと読み、すぐさま何を注文するか決めてしまう。
 「もう少し悩んでいたことにしましょうか」
 ユアンスウは店内を飛び交う電波に己の意識を乗せ、探りを入れることにした。

 ……0110101010010101……

 「なんですか、これは」
 彼は今、論理の海に漂う。
 ワイヤーフレームで構成された視界には、未動きすらままならない量のフックと、機雷。
 フックのどれか一つに引っかかろうものなら、システム自体に探知され、接続された機雷が反撃を加えてくるということか。
 恐るべきは、その難度である。もし仮に初心者ハッカーがクラックを仕掛けたとしよう。三秒、いや、コマンド一つでフックに捕捉され、ニューロンを焼かれるだろう。ユアンスウは、そう見て取る。
 「ただの飲食店にしては、あまりにも電子的防御が頑丈すぎる」
 誰もが思うであろう感想だ。
 それに。
 「このヤケクソな防御陣、見たことがありますね。なんなら私のコアを守るために構築された防壁にも、似た層がある。恐らく、昔の博士の仕業でしょう」
 では、なぜ?
 謎が謎を呼ぶ。
 「まあ、私の手に負えないということだけは間違いない。戻りましょう」
 接続を切り、エスニックなBGMの流れる店内に意識を戻す。
 丁度、博士が戻ってくるところであった。

 焦り、ボタンを押す。

 ぽーん。

 「随分早いお戻りで」
 あくまで、平然とやりとりする。
 「ああ、まあモノを渡すだけだったからな。アポもある。二十秒もかからんよ」
 「そうですか、ところで――」
 ユアンスウが防壁について切り出そうとしたところで、接客の少年がやってくる。
 「ご注文を伺いますね!」
 「暗黒イカスミカレー大盛り、ライスだ。ユアンスウはどうする」
 己の手でタイミングを逃したか。息を吐き、呟く。
 「……キャスト標準で」
 「畏まりました! 暗黒イカスミカレー大盛りの方は少しお時間頂きますが、よろしいですか?」
 「構わん。どうせこいつは食うのが遅い」
 博士はユアンスウを指差し、答えた。
 「『味わって頂く』くらいにしていただけると」
 「そういう意味でもあるな、ウン」
 全く。彼は、それ以上を言葉には出さなかった。

 雑談が、始まる。

 「ことにユアンスウ。この世界についてどう思う」
 「また唐突ですね」
 ユアンスウは、真意を掴めない。
 「景色は綺麗ですよ。食べ物も美味しい。千年後というだけはある。オラクルと違ってエネミーとの勢力関係が危ういこともあり、長期研究予算は満額下りませんが」
 でも、と途中で切り、目を合わせる。
 「博士が聞きたいのはそういう意味ではありませんよね?」
 「分かってるじゃないか」
 博士は、ペストマスクの下にグラスを差し入れ、水を飲み干す。
 「私は、『世界は歪んでしまったんじゃないか』と思っている」
 「ふむ」
 カウンターに置かれたグラスに水を注ぎ、促す。
 「我々は、主人公であるらんの持つ、時間移動の力を応用し、チームごとこちらに渡った。だが、『正史』だと、千年前からハルファにやってきたアークスは、まだ観測されていない。本来の主人公は記憶まで失っている」
 「『正史』の話でしたか」
 ユアンスウは、博士からその単語を何度か耳にしている。
 彼女がどうやって『正史』の一端を垣間見ることができたのか、それは知りようのないことだ。
 非常識の天才と評される彼女の論理を、一度解説してもらったことがある。
 ユアンスウには全くわけがわからなかった。入力と出力の辻褄は合っているのに、経路が難解なことこの上ないのだ。九十九堂にも相談したところ、数秒で「うっ」と呟き、鼻血の上で発熱したくらいである。
 話を戻そう。
 「まあ、情報が足りんことも多い。『正史』のオラクル文明がどういう終わりを迎えたかすら、まだ観測できていない。今私から見える部分だと、歴史が遺失しているとすら言って良い」
 「そういえば以前、『正史』では主人公とマトイさんが結ばれたと聞きましたね」
 ンンーッ。博士は唸り、答える。
 「それも未確定だが、話としては関わってくる。こっちじゃどちらかっつーと疑似の姉弟関係に近く、異性関係まで行かなかった。何よりシバとの戦争が全て終わってから、まゆが恐ろしいスピードでらんとくっついた。そこも『正史』との歪みが出ている」
 「最終的に彼らの子孫が表舞台に出てきたらと思うと、頭が痛いですね」
 「まァったくだよ。致命的な齟齬が出ないようになんとか立ち回っているコッチの身にもなってくれ」
 ほら、君の分のカレーが来たぞ。接客の少年がトレイを持ってこちらに来たのを見計らい、博士は話題を切る。そのまま、手慰みに端末を呼び出した。

 いただきます。

 キャスト標準食。
 通常の食事に比べると、機械の腸でも問題なく対応できるように消化が良く、味が悪い。そういう定説である。
 器を持ち上げ、つぶさに観察する。
 ルーの色合い、合成コメの輝きに感心し、匂いをスンスンと嗅ぐ。
 (見た目はリアルフードそのままですね。香りも良い)
 スプーンを持ち、二つの勢力の境目に差し入れ、掬う。
 ぱくり。
 ゆっくりと咀嚼し、ルーとコメの調和を楽しむ、
 (なるほど)
 ユアンスウは、生まれてこの方リアルフードを食べたことはないが、確かにこれは。
 (上品な味ですね。注目を香りに寄せることで、塩分の弱さをカバーしている。これだけ繊細だと、チョコレートのように中毒になる心配もない)
 自分でバーを開くだけあって、味覚にはそれなりの矜持があるつもりだ。
 それでも、このカレーは美味しいと感じた。
 「美味そうだな、ユアンスウ?」
 「ええ、アリですね」
 半分ほど食べ進めたところで、博士のカレーが到着する。
 焼いた石の器に、泡立ち煮えたぎる真っ黒なカレーが乗っている。
 具としては主にイカのゲソが採用されており、ある意味で不気味な印象すら与えるであろう。
 「暗黒イカスミカレーだ。シーフードカレーがベースだが、生臭さはない。ゲソもプリプリで美味いんだな、これが」
 博士は手を合わせ、ガツガツと食べ始める。
 「おっと」
 このままでは、博士の方が早く完食しそうだ。
 味わいつつも、なるべく急いで食べることにした。

 ◆◆

 「あー美味かった。さて、行くかね?」
 「少しお待ちを」
 ユアンスウは会計の前に接客の少年を呼び止め、味覚再現プログラムは売っていないかと聞く。
 キャストの食事自体は、レパートリーが少ない。
 だが、プログラムの形にすれば、彼らはどんな味でも楽しむことができる。故に、いつでも需要があるのだ。
 「ありますよ! どのメニューにいたしましょうか?」
 迷わず、告げる。
 「暗黒イカスミカレーを」
 クク、と博士は笑う。
 「君も気になってたんじゃないか」
 「あれだけ美味しそうに食べていれば、誰でも気になりますよ」

 彼女は笑いながら「そうか」と呟いた。

◆らん、まゆ、ルノフェットの節◆

 「うーん」
 午後二時半、店内。この時間だと、ランチの客はもう居ない。
 ルノフェット・ラビットイヤーは焦れていた。
 今までに、かのチームのメンバーはほとんど訪れた。
 ただ二人を除いて、である。
 彼らの名前は、「らん」と「小凪葉まゆ」。ルノは、とにかくらんに会いたかった。それゆえ、今日はシフトを伸ばしてもらっている。
 うろうろと、ホールを歩き回る。
 外を見れば、唐突な雷雨。リテムでは砂塵嵐が舞う頃だろうか。
 不安は募る。
 らんは今まで、数々の死線をくぐり抜けてきた。
 それでも、いずれ来るであろう死の魔の手に背中を撫でられる日が、今日でない保証はない。
 ギガンティクスに潰される彼の姿をイメージしてしまい、すぐさま振り払う。
 「無事でいてほしい」
 両手を組み合わせ、祈る。
 ルノフェットは神など信じたくはなかったが、そうせざるを得なかった。

 五分ほどそうしていただろうか。
 いつの間にかにわか雨は通り過ぎ、太陽が顔をのぞかせる。
 窓の外ではカラフルな小鳥が糧を求め、チイチイと降り立つ。
 
 カラコロ、と正面ドアのベルが歌う。
 そこには、逆光を身に受ける、チューブトップにハーフパンツの男の娘。
 らんの姿があった。

 「らんせんぱああああああい!」
 砂まみれの彼に構わず、飛びつく。
 「うわっとと」
 同じくらいの体格なのに、彼はとても頑丈だ。ルノフェットを物ともせず受け止める。
 「寂しかったですよせんぱああい!」
 彼の胸に頭を擦り付ける。
 らんは、この奇妙な状況を、どうにか理解しようとしていた。
 眼の前に居る男の娘は、らんをよく知っているようだ。
 一方、らんを「先輩」と呼ぶ人も、数人しかいない。
 イオ。違う。彼女は女性だし、仮に男だったとしても、ノータイムで飛びついてくる子ではない。
 エルミル。もっとありえない。もし彼であれば、初手は嫌味であるに違いない。
 じゃあ、この子は。
 「まさか、実験棟の後輩くん?」
 思い出す。オラクルでアークスになる前の、ただの実験体だった頃の記憶だ。
 二人に名前などなかった。番号で呼ばれ、管理されていた。
 過酷な環境の中でも彼らは特に親しかったので、それぞれ生まれた時期を取って「先輩」「後輩」と呼び合っていたのである。
 「今はルノフェットって名前があるのー! ルノフェット・ラビットイヤー!」
 「そっかあ、生きてたんだ」
 戯れに頭を撫で、うさみみに向けて「ルーノ♪」と囁くと、ルノフェットは体を震わせた。
 「それずるいですよお」
 「えへへ」
 ところで、と、らん。
 「ハルファにはどうやって来たの? オラクル文明から千年くらい経ってるけど」
 「んーと」
 思い出そうとするが。
 「わかんない! いつも通り寝て起きたら、エアリオに居たんです。愛の力ってやつかな先輩!」
 「愛かあ」
 能動的に転移したわけではないらしい。
 まあ、いっか。スキップ博士に聞けばだいたい教えてくれると思うから。

 「先輩、もう少しだけこうしてて、良い?」
 ルノフェットは、上目遣いにおねだりする。
 普通の人なら即オチする可愛さだ。
 「あー」
 一方のらんは、どちらかというと背後を気にしている。 
 「先輩?」
 「あー、なんというか、この光景を見られるとマズい人がいるというか」
 「んー?」
 後ずさり、らんは自らドアを開け、その人を招き入れる。
 入ってきたのは、ルノフェットに対し威嚇する、バウンサーウェアの女の子。
 小凪葉まゆだ。
 どうやら、全て聞いていたらしい彼女は、らんの恋人であった。
 「へー、らんに元カレ居たんだ。へー」
 まゆは地獄のようなフォトンをまとい、ルノフェットに近づく。
 「まゆちゃん、独占欲スゴいから……」
 「ひえっ」
 一歩一歩、ルノフェットは後ずさり、まゆが追う。
 店内はさして広くない。彼はすぐに壁際に追い詰められた。
 「はわわわわわ」
 額と額が触れ合うかの距離。
 まゆはルノフェットの顎を持ち、強制的に目線を合わせる。
 「ん」
 目を、逸らせない。
 一、二、三。
 少しの沈黙の後、らんの方に向き直り、まゆは言った。

 「なにこの子めっちゃかわいいじゃん!」
 「それはわかる!」
 はーっ、とルノフェットは崩れ落ちる。
 どうやら、許されたらしい。
 
 「ねね、ご飯食べよ? ルノくんも良かったら話に混ざろうよ!」
 「ふえ? あっ、失礼しました! お好きな席にお座りください! 先にお水とおしぼり持ってきますね!」
 彼は立ち上がり、ぴょこぴょこと動き出す。
 「ちょうどいい感じに四人がけのテーブル席があるね」
 「座ろ座ろーう!」
 言うが早いか、まゆは「ぽふん」とソファに体を預けた。
 「お冷お持ちしました! メニューはそちらをご覧ください!」
 「あっ、ちょっと待った」
 らんが静止する。
 「お昼からいままでずっと戦ってて、おなかペコペコだから、出来るの早いのが嬉しいかも」
 「そっか、そうでしたね! ちょっと店長に聞いてみますね!」
 ルノフェットはトランシーバーを取り出し、二、三のやり取りで、驚きとともに通信を打ち切った。
 「もう出来てるっぽいです!」
 「店主有能。最高かー?」
 ルノフェットを小突きながら、まゆは楽しそうにしている。
 「じゃあ、ちょっと行儀悪いけど、食べながら話そっか!」
 らんの宣言とともに、「そうしよう!」とルノフェットが動いた。

 彼は、三人分のカレーを持ってくる。
 らんとまゆの分は、ほうれん草とノッシのカレー。ナンセット。店主の好意で、サッパリタンドリーがおまけとしてついてきた。
 ルノフェットの分はまかないだ。バターバーディカレーのライスである。

 いただきます!

 「美味しすぎて泣きそう」
 一口でそう漏らしたのは、らんだ。
 「朝ごはんからほとんど補給なしだったもんねー」
 途中、クイックフードは胃の中に入れたが、あれは逆の意味で別腹である。
 「ううっ、うううっ」
 カレーを食べながら、意外にもルノフェットの方が泣き出した。
 「ルノくん?」
 まゆは、怪訝そうに彼の顔を覗き込む。
 「だってさ、今まで会おうとしても全然会えなかった先輩とやっと会えて、それでとっても元気だって分かったら嬉しくて泣きますよお」
 「だそうだよ? らん」
 彼は「へへ」と恥ずかしそうに答える。
 「後輩くんは昔から寂しがり屋だったもんね」
 「先輩も泣いてるじゃないですか」
 「バレちゃった」
 そのやり取りを見ながら、まゆは、「気のおけない友達、やっぱり良いよね」と思うのであった。
 
 食後のひととき。
 「ところで、らん先輩」
 「うん?」
 一呼吸置き、問いづらそうに。
 「その、まゆさんとはどこまで行ったんですか?」
 「最後まで行ったよ!」
 質問の意図を捉えかねるらんに代わり、まゆが答えた。
 「あのスーパー奥手の先輩と最後まで行けたんですか!?」
 食いつくルノフェット。
 「なんかひどいこと言われてる気がする」
 呟くらんをよそに、まゆは続ける。
 「こう、そういう雰囲気を作ってさ、リードしてあげたらうまく行ったよ!」
 「そっかー、まゆさん包容力ありそうですもんね」
 「でしょでしょー」
 胸を張り、自慢げだ。
 「逆に、昔のらんの話も聞かせてほしいな」
 「じゃあ、ファーストキスの話をしましょう」
 らんは真っ赤になり、顔を伏せている。
 彼らは知っている。らんがはっきりと拒んでいなければ、基本的には「続けていいよ」のサインだ。
 「あれは雨の夜。実験体の中でもとびきり優秀な先輩は、共用ベッドの上で一人泣いていました」
 「ナレーションだ」
 続けて、と、まゆは促す。
 「続いて部屋に入ってきたのがボク。布切れ一枚に首輪の、粗末な格好。泣いている先輩を見つけます」
 「首輪かあ。そういや、らんもいっつも鈴付きの首輪付けてるよね」
 言いながら彼の首輪の鈴を揺らし、チリン、と音を鳴らす。
 「そう、それ。先輩に泣いている理由を聞いて、こう答えます」

 「「言葉のわかるドラゴンを、殺しちゃった」」

 二人の声が重なる。
 「そこまで覚えててくれて嬉しいな、らん先輩」
 ルノフェットは、優しく笑う。
 「ん。まあ、ここ最近までオラクルでアークスになるまでの記憶はなかったんだけど、思い出しちゃったからさ」
 ラッシーで唇を濡らし、らんは続ける。
 「それでルノが落ち込んでたぼくの目の前に来て、『先輩』って呼んできて、顔を上げたら」
 「ボクがキスした。最初は先輩も驚いてたんだけど、しばらくやってたら大人しくなって、次はあっちから唇を寄せてきて」
 「そこまで言わなくていいよ!」
 止めるらん。一方。
 「くぅー、ロマンティック! 二人とも可愛いなあ!」聞き手であるまゆのテンションは、とても高い。
 「ボクも可愛いし先輩も可愛い。これが宇宙の真理。今日は覚えて帰りましょう」
 「サイコーのエピソードだった。ありがと」
 「ボクも仲良くなれて嬉しいです! またお話したいです!」
 「アタシもー!」
 元カレと現カノ。
 事によっては大事故も起こり得たであろう二人は、一瞬で意気投合したようである。
 

◆Appendix:ダスト・ソードランページのやり残し◆

 会計も終わり。
 「じゃあ、これアタシのHalppherのアカウント。暇なときに秒で反応するから」
 「わあ、ありがとうございます! フォローしました!」
 「フォロバかんりょーう。じゃ、またね!」
 そう言って、まゆはドアをくぐり外に出る。

 さて、らんは一緒ではないのか?
 結論としては、彼は応接室に呼び出されていた。
 向かいの席に座るのは店主。このフェミニンな男の名は、ダスト・ソードランページと言う。
 何も言い出さない彼を訝しみ、らんは問いかける。
 「ダストさん、もしかして。もしかしてなんだけど」
 興奮をなるべく表に出さぬよう、ひと目見て直感で得た想像を、声にする。
 「初代の、らん豚さん?」

 沈黙。
 十秒以上も続く、長い沈黙だ。
 静寂を破るのは、諦めたような「フッ」という笑い。
 (さて、こうなったらもう後戻りできないわね)
 ダストは意を決して、答える。
 「何よもう。バレてんじゃないの」
 彼は以前「らん豚」の名を持ち、そしてその名は、今や「らん」が持っている。
 権限を書き換えたのだ。ダスト自らが望み、風に吹かれるチリめいて、逃げ去るようにして与えた名前であった。
 「やっぱり」
 らんは、破顔する。ダストの心境は複雑だ。
 (守護輝士の役目を勝手に押し付けて、今の今までアタシは逃げてただけだってのに、この子は)
 こんなときのために用意した、目薬をさす。
 (アタシを許すも何も、最初から。この子は全部救わなきゃ、気がすまないんでしょうね)
 強いて、笑顔で返す。
 「じゃ、手短に行きましょ。話は、これからいくらでも出来るから」
 目を拭い、懐から一つの包みを取り出す。
 「これは?」
 包みの中は、見るたびに色を変えるフォトンの塊。
 「名前を渡したときに貴方が継ぎ損ねた、力の全てよ」
 ダストは塊へ、さらにフォトンを注ぐ。
 (これでアタシは普通の人未満のフォトンしか使えなくなるけど、それだけの価値は、ある)
 恐怖を乗り越え、言葉を続ける。
 「かつてオラクルに、異邦人が現れたことがあった。キリトと、アスナ。観測されていた宇宙とは異なる次元からの来訪者が現れたことで、この世界は外側からの干渉が可能だと戦いた」
 らんは、無言で促す。
 「では逆に、こちらから出ていくことは可能なのかどうか。あるいは、相互に通信するのはどうだろう。当然、どれもできると理解されるまで、さしたる時間はかからなかった。エミリアと、ヴィヴィアン。先の話からスケールを小さくした場合、例えば遠く離れたグラール星系への移動や、千年後への転移を取ってみても、彼女らが持ってきた知識と、オラクルの物資で再現できた」
 「まさか、ルノも、初代さんも」
 「そう。アタシたちはテスターよ。ルノはこのことを知らないけどね。当然スキップ博士もこの極秘の研究に関わった。ココにあるのがその成果物の一つ。これは、アタシたちのためにチューンされている」
 今や万色に輝くフォトン塊を指差し、彼は言う。
 「この力を扱うだけでも、多くを捨てたアタシには荷が重い。でも、オラクルを救った貴方なら。貴方なら、きっと有効に使えるはずだと思ってね」
 「そう、なんだ」
 逡巡。
 受け取るべきかではなく、紡ぐ言葉を悩み。
 「じゃあ、ダストさん。受け取る前に一つだけ」
 「何かな? らんくん」
 彼ははにかみ、宣言する。
 「今度は。今度はどこにも置いて行かせないからね!」
 言うやいなや、彼はフォトン塊に触れ、室内は眩い光で満たされる――!

 ◆◆

 「あン?」
 最初にその輝きを感じ取ったのは、とある次元旅行者だ。
 不躾にも己の領域を覗いたソレを目視し、記憶を手繰り寄せる。
 「ああ、ダストのところの子ね。実物を見ると、やっぱりちんちくりんねえ。趣味じゃないわ」
 そう言い残し、再度「自分の世界」に閉じこもる。
 彼女は、「魔女」と呼ばれていた。

 次に意識を向けたのは、血を吸う巨大な魔剣を持った、半裸の戦士である。
 三日月の下、彼は義兄弟に問う。
 「グレッグ、あの星が見えるか?」
 メイスとタワーシールドを携えた聖職者に、彼は問う。
 「ああ、見えるよ、ダルダニオ兄さん。久しぶりのニューカマーだ」
 「幼子とは思えん力よな。さしもの我も、アレと戦おうとは思わん」
 「賢明だ。ヒトは見かけによらない。私たちが束になっても敵わないだろう」

 あるいは、あやかし集う集合住宅。
 突如、洗濯物を干しているドラゴニュートのニューロンにスパークが走った。
 「ふむ」
 目を閉じ、よく通る声で、一句。
 「世の果てに/漂い出ずる/椿の香」
 彼はその出来に満足し、また洗濯物に取り掛かった。

 その他、両手では収まりきらぬ数の世界が、らんを観測した。

 意識は、現世に戻る。
 
 「はっ!」
 らんは気を失った自分に気づき、ネックスプリングで起き上がる。
 「ダストさんは?」
 近くの床から、ううん、とうめき声。
 「良かった、生きてる!」
 彼を助け起こし、大丈夫かと問う。
 「うう。それはこっちのセリフよ」
 でも、問題はなさそうね。そう言ってから、一呼吸の後。
 「それで、これからどうするつもり?」
 「そだねー……」
 ちょっとだけ、考えて。
 「そだね。まゆを連れて、二泊三日の異世界旅行でもしようかな?」
 
 〈完〉


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