【玄人向け】3周ぐらい回って考える医療とスピリチュアル
皆様ごきげんよう!
最近、12年ぶりぐらいにMUGENストーリー動画の傑作『Timekeepers』を視聴し直してアクセルとライトの時を超えた友情に涙したbusonです。初見の方、はじめましてよろしくです。
今回は自分が身体のことを探求していく上で定期的に立ち返る
『医療とスピリチュアル』についての考察。
とりあえず、臨床での自分の実感以外にエビデンスもない感覚と概念の話で前提知識の説明とかもしないんで、苦手な人は回れ右。
『構わん、やれ』という方はご覧下さい。
裏ワザや魔法を探し求めた1周目
思い返せば、自分がスピリチュアル的な分野に入っていくキッカケになったのは臨床での行き詰まりだった(唐突な自分語り)。
最初の病院に入職して2年が過ぎた頃、所属部署が回復期から外来に移ったことでそれまで全く勉強して来なかったツケを一気に払うことになった。
平たく言うと、自分のリハビリ介入の価値の無さを強く痛感させられた。
自然治癒期間でぶっちゃけ一定のリスク管理とプランニングを行えばある程度勝手に状態が改善する回復期と違い、外来では教科書的に回復がプラトーになっている人達ばかりが対象だった。
また追い討ちのように、担当していた半分ぐらいの対象者に対して1ヶ月毎にリハビリの具体的効果と継続の必要性を示したレセプトコメントを書かねばならず、5年とか10年選手の利用者に対して何をすればいいのか全くわからなかった。
そんなこんなで、毎月ヒィヒィ言いながら効果あるんだかないんだかも自信がない成果を必死にこじつけて書類を作ってたんだけど…色んな罪悪感が凄くて。
特に、担当の1人に労災で左の下腿を2トンぐらいの鉄骨に潰されて粉砕骨折した同い年の男の子がいて、少しも彼の力になれていなかったことが本当に歯がゆかった。
…さすがにこういった精神衛生上良くないことが続くと自分もなけなしの良心が痛むわけで。
ようやく重たい腰を上げて勉強しようとするわけですね、ただし間違った方向に。
確か彼のリハビリに役立てばと、パソコンで足部背屈可動域の改善方法をググってた時だと思う(この辺の行動が一々浅い)。
可動域低下の一因に硬膜(神経上膜)からの引っ張りがあるとか何とかの記事をたまたま見つけてテキトーに孫引きしてたらオステオパシーの存在を知ったんだよね。
んで、興味が出て色々調べてたら何かやたらと凄そうなことばっかり書いてあってさ。どうにも気になってセミナーとか行き出すわけ(多分、仕事関係の勉強にちゃんとお金払ったのってほぼそれが初めて)。
気分的にはそう、『やっと最強の武器(魔法)見つけたわ、これで勝つる!』みたいな。うん、フラグ臭半端ないね!
そういう代替医療の類に全く免疫がなかったのもあるのかな、思った以上にのめり込んじゃって。
気がついたらカイロ(アプライド・キネシオロジー)や東洋医学、民間療法、気功治療などなど色んなとこに首突っ込んでスキルコレクターになった挙げ句、対象者に自己満足な即時効果を提供してドヤッて気持ち良くなってた。
ほら、エネルギーワークって一見奇抜でインパクトが強い(一発芸みたいな)ところがあるから施術者側も『何か凄いことできてる』って勘違いしやすいじゃん?えっ、自分だけ??
ま、まぁ何にせよ、初めてのスピリチュアル入門は浅学な自分の医学知識から来る閉塞感を手っ取り早く打破してくれる『魔法の弾丸』だったわけです。
自身の内界に閉じ篭った2周目
自分の施術がどんどん洗練されていく感覚っていうのかな。
とにかくがむしゃらに練習(実験)してそっち方面の知識を補強する毎日がやたら楽しいんだな、これが。困ったことに。
遠隔治療とか除霊とか相対論とか量子論とかいかにもなやつ(どう見てもヤベー奴です、本当にありがとうございました)。
考えてもみればスピリチュアルな分野って中々に厄介で、基本的に自分の内面を探求していく主観(意味付け)の作業だからどうしてもメタ認知力が下がりやすいんだよねー。概念的には調和を謳ってるのに、自分は孤立上等!(排他性が強い)みたいな。
しかも程良く現代医療のボトルネックを解消してくれるから、ダニング=クルーガー効果よろしく歪んだ承認欲求がドバトバ満たされて自己矛盾も生じにくいという。実際に一定の効果があって、事実として対象者にも感謝されるしね。
そんで、また気がついたら周りみんな敵だらけになってて、結局無駄な対抗心と自尊心に追われるように職場を去るワケです。
その頃の自分にとって、スピリチュアルはきっと自身のコンフォートゾーンに永遠に引きこもるための麻薬だったんですね。
外界との調和を感じ始めた3周目
周りが見えてないとダメですね、時にアホみたいな決断を平然としちゃう。
何も考えずに直感で入った2つ目の介護職場なんてその典型。
謎の使命感に突き動かされて、『20代の内に人生一回ぐらいはブラックを経験せな!』とかいう血迷った思考。今思い返しても心底イミフ。
まぁ、大体お察しの通り結構な地獄を見るのでございますよ。今でもたまに夢に出てくる程度には。
そりゃそうよね?何せ前職でも爪弾きにあってた協調性ゼロのスピリチュアル野郎がモラハラやパワハラ万歳のブラック職場でやっていこうなんて、ね。
多分、自分が想定する人生2周分ぐらいの恥と屈辱を経験して初めて我に返るのですよ、
『あっ、これこのままじゃアカンやつや…』
要領の悪さここに極まれり。でもその甲斐あって、随分な遠回りを経てようやく真っ当な人間っぽい道を歩んでゆくのです(真顔)。
――『共通言語』と『言語変換』。
再スタートを決意してから大事にするようになった2つの概念。
永らく『ちゃんと』人と会話していなかった自分には、個人や集団に対応して『その場に適した』伝わりやすい表現(言葉)で自身の考えを述べる(再構築する)技術が圧倒的に不足していました。
だからやったことは、ひたすら既知の知識や新たに学んだ知見を基礎医学あるいは他分野の言葉で再翻訳すること。
エネルギー的に言うならば、中庸を得るために自身の『内界と外界を摺り合わせる』努力です。
いくらテクニック的な小細工で潜在意識下の情報を書き換えても、顕在意識でそれが当人にとって納得が出来て『意味のある変化』として認識されなければ、結局その人の心身の周波数に何ら影響を与えられないということにようやく気が付いたんですね。
なので、ちょっと前の自分にとってスピリチュアルは治癒反応や自己変容の本質であり、意識すべき原則ではあるけれど、表層の形(他者への見せ方)としては重要でないものになりました。
開き直って楽しんでる4周目←今ここ
いわゆるカラーバス効果か、意識が変わると不思議なもんで色んなものが新鮮に楽しく、より刺激的に見えてきます。
ヒトの心身活動は諸々エネルギー変換で成り立っています。
意識は外界の電磁波が生命場を通して内界に入力された結果として生じるものであるし、行動や成果は詰まるところ内界の意識と外界の電磁波との周波数共鳴です(現象に対する意味付けも含めて)。
施術に対しても同じことが言えます。
言葉は音波、マッサージは圧力、運動は重力、レーザーは光、薬物は化学物質、気功は意識なんかのエネルギー表現です。表層の形(手段自体)にはさほど意味はありません。
いずれの手段でも、本質はエネルギーの変換効率(練度や確信度による意識圧)と対象者との周波数共鳴に集約されます。
これからもっと臨床経験を積めば別の見解も出てくるかもですが、とりあえず今の結論はこんな感じです。
そして、現在の自分にとってスピリチュアルは物事に様々な気付きを促してくれる有用な一つの道具です。
変人の戯れ言をここまで読んで頂きありがとうございました。
多分これを読んで役立つことはないと思いますが、少しでも暇つぶしになれば幸い。
ではまたのノシ
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