見出し画像

病は気から!痛みも気から?

皆様ごきげんよう!

最近、もし格ゲー星人が攻めてきたら『ウメハラ』と『ときど』のどちらを地球代表に選ぶだろう?と妄想するbusonぶそんです。初見の方、はじめましてよろしくです。

今回は時代や世代を超えて人類共通の悩み『痛み』の話。

永らく肉体的フィジカルな一面がフィーチャーされてきた日本では、その他種々の精神的メンタル』『社会的ソーシャル』『霊的スピリチュアル』な『痛み』などについてはあんまし聞いたことがない、もしくは『よくわからん』と方が多いのではないでしょうか?

実は、というかあからさまに慢性痛とか原因不明とか言われる類の『痛み』に筋骨格系の構造破綻以外の要因が関係することは、さすがに今のご時世徐々に一般に知れ渡ってきています。

なので、ここでは先に挙げた痛みを包括した『トータルペイン』のケアを考える上で知っておくべき概念やメカニズムについて紹介し、具体的な対処法の一例をシェアしたいと考えています。

では早速行きましょう!

『痛み』=『認知』

そもそも『痛みとは何ぞや』なんて問われたらあなたなら何と答えますか?

人それぞれ様々な答えがあると思います。

心身の不調のサインだとか、単純な不快感覚だとか…きっと色々な表現を使って言い表してくれるでしょう。

私なら、『当人の認知による相対的な感覚表現の一種』なんて答えます。

この表現が適切であるかはさて置き、おそらくそこまで否定できないところがあるとしたら『相対的な感覚』という部分ではないでしょうか?

そう、痛みは個人が主観的に感じているものであって、状況依存的に一律しているものではありません。ちょうど今しがたあなたが『自分の』痛みの定義を答えてくれたように多様なものなのです。

確かにわたしたちには、生理学的な共通機能として外傷時に治癒の過程(炎症反応)で発痛物質が放出されて『痛み』を感じる仕組みがあります。いわゆる『肉体物理的な痛み』ですね。

しかし一方で、それとは別に人間が対象を『認知(意味付け)』してしまうことで生じる『痛み』というものが存在するのです。

例えば、知らないうちに紙で軽く指を切ってしまっていた時などを想像してみて下さい。きっと、傷口を見た途端に突然痛みが降って湧いてきたような経験が一度ぐらいはあるのではないでしょうか?

あるいは身体のどこかを打撲して疼痛が生じている時、直接内出血の様子を見た途端に痛みが増してきたという思いをされた方もいるはずです。

このように、物理的な原因で引き起こる痛みも一定以上の『認知』の影響を受けているのです。

更に極端な例を挙げましょう。

臨床では、過去に腰のヘルニアを患った人が、一連の治療期間を終えた後も慢性の腰痛に悩まされているといったようなケースがしばしば存在します。

そのような人達を対象とした実験で、『既にヘルニアが完治していること』を改めて実際のレントゲン画像の経時的変化などを見せながら『本人が納得しやすい形で』フィードバックしたところ、一定数の対象者に『即時的な』痛みの消失が見られたというものがあります。

もちろん痛みの要因が複合的であることは言うまでもありませんが、場合によっては当人の痛みの原因に対する理解・価値観認知や信念がその大きな割合を占める一因になっていることは事実として多々見られます。

これらのことから、昨今『痛み』はインプットされた刺激が『個人の内的な意味付け』に従ってアウトプットされる『相対的な感覚』であると定義されることもあり、そういった仮説を『ニューロ・マトリックス理論』と言います。

冒頭で挙げた『痛み』の原因となる肉体フィジカル』『精神メンタル』『社会ソーシャル』『霊性スピリチュアルの要素はそれぞれ独立したものではなく、共通項として人間の認知(ひいては意識)に多大な影響を与えるという性質を持つ変数として捉えるべきなのです。

『慢性痛』は疼痛中毒による『脳の萎縮』

痛みは認知から作られる。この事実は疼痛に対して固執して信念を持ってしまうこと』が大きなリスクであることを教えてくれます。

『神経学習』には『頻度依存性』の性質があり、良くも悪くも痛みについて考える回数が多いほど、認識が強化されて必要以上に疼痛を持続させてしまうからです。

実際に、いわゆる『慢性痛』を抱える人達には、かなりの割合で痛みを主語とした『固定思考』『価値観の硬直化』が見られます。

このような状態では、『痛みに対する感受性』ばかりが大きくストレス耐性が低くなり、その他のポジティブな出来事に関心を向けることが難しくなってしまいます。

これは単に個人の問題ではなく脳の器質的変化が関係しています。

脳科学的に言えば、『痛み』による『ネガティブなストレス感情』は副腎(抗炎症)と扁桃体(緊張や恐怖)の働きを過剰にさせ、海馬(記憶や学習)や前頭葉(やる気や自制)の機能を低下させてしまいます。

さらに持続的な疼痛が加わると、『痛み』は脳の島皮質に長期記憶されるようになり、副腎や扁桃体の慢性的な過活動から海馬や前頭葉は萎縮してしまいます。

つまり、『慢性痛』の背景には疼痛依存思考による『脳の萎縮変性が存在するのです。

『慢性痛』の対処法は『楽しみ』と『挑戦』

では『慢性痛』を予防したり、改善していくためには具体的にどんなことをすべきなのでしょうか?

答えは簡単で、『趣味の時間』や『小さなチャレンジ』を増やすことです。

ポイントは以下の2点に集約されます。

①意識の焦点を『痛み』からズラすこと

②『変化を許容できる』脳内環境を作ること

まず①については、『痛み』のことを考えてしまう時間を可能な限り物理的に少なくすることが目的です。

前述したように、『痛み』は意識すればするほど無駄に増強してしまう性質があるため、趣味による『楽しみ』で感情を上書きする必要があるのです。

期間的には、およそ1週間から10日ほど過剰な疼痛思考が抑えられると徐々に神経信号の再プログラミングが進んでいきます。

次に②に関しては、適切な刺激量で『脳の可塑性』を促すことが目的です。

慢性痛が脳の萎縮に繋がり、視野や思考を狭小化させることを先も述べた通りですが、元より脳は大きな変化を嫌う傾向があるため、出来るだけ小さな能動的な変化(日々のルーティンを1、2個変えてみるなど)の積み重ねで学習を図っていく必要があるのです。

大体2~3週間程度、脳への挑戦的な刺激が続けば、前頭葉のリモデリングや海馬の再生が促されます。

『日々の充実』こそが『痛み』に対する一番の特効薬

いかがだったでしょうか?

今回は痛みの認知的な側面にスポットを当ててあれこれ語ってみましたが、結局はシンプルな結論に行き着きます。

『日常を健全に楽しく過ごすこと』。

日々をより良いものにするために努力したり、その過程を楽しんだりすることが出来れば自然に『痛み』への執着は小さくなります。

やっぱリア充とヲタク最強かよってことです。

『痛み』自体は人間が生きていく上で必要な感覚であり、逆にずっと無痛であることはとても不自然な状態です。

つまり『痛みの有無』に着目することは出口のない迷路に入るようなものなのです。

どうしても痛みが気になってしまう人は、『変化に対する気付き』を育んでいくことです。

意識の焦点をまず『痛みの有無』から『痛みの程度の変化』に移し、その後『痛みの程度の変化による活動の変化』『活動の変化による心境の変化』『心境の変化による充実感の変化』といった段階を踏んで徐々に『痛み』を手放していく…行き着く先は、やっぱり『日常を楽しむこと』なのです。

健全なる精神は健全なる身体に宿る、その逆も然りで、健全なる身体は健全な精神の土台によって作られるのではないでしょうか。


ここまで読んで頂いた方々本当にありがとうございます。

ではまた次回予告。

サービス業における最強の武器『コミュニケーション』について。

引き続きリクエストやコメントお待ちしています♪

では御免!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?