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お父さん子だった私は、父との思い出が沢山ある。

建築設計の仕事をしていた父には、良く現場に連れて行って貰った。

最初は更地で何もない地面に、ある日基礎が築かれる。そして、次に行った時には棟上げが。

柱が組まれ、梁が置かれて屋根ができる。建物の骨格が出来上がる瞬間である。

これは、小さかった私にとって、目を見張る瞬間だった。つまり、平面から立体になるのだから。

この時の経験は、後に建築デザインコンセプトの仕事をするようになってから、生きてきた。平面図から立面図を想像するのに、必要だったからである。

そして、建築家が設計をする際に、重要な観点である事も、後になってから知った。

私は平面図を見ると、頭の中に立面図が浮かび上がってくる。

デザインコンセプトを書いていたが、その後、デザインそのものにも関われたのは、その為である。

30代であったが、建築の学校に行きたいと思った。しかし、これも反対にあって諦めざるを得なかった。幾つの夢の風船が破られたことだろう

そうして、私に残されたことは、研究だけだったのである。やがて、プルースト の作品を知り、その奥深さにすっかり虜になった。研究の魅力も知り、沢山の論文を書くこともできたし、今では後悔はない。

さて、父は無類の骨董好きでもあった。今は禁止されているが、鼈甲のふちの眼鏡をしたり、古い外車を何台も所有していた。ネクタイピンは貴重な宝石だったし、服装も素晴らしかった。

何より着ている本人ががっちりした肩と長い足であったので、遠くからでもその姿は目立っていた。私には自慢の父だったのである。

私にも、当時流行りの服を買ってきてくれたりしたので、その頃はファッションにも興味を持ち始めていた。

私にとって、父と建築は切り離せないし、今も想い出すのはT定規を使って設計する父の姿である。

人が良すぎて騙されたりして、会社の倒産もあったりしたが、自分の仕事に懸命に携わっていた姿は素晴らしいと思う。

色々失敗もあったけれど、最後まで人を騙したりせず、人の為に尽くした父を誇りに思う。

せめて、父に孫である長男を抱かせることができたのが、私のささやかな親孝行だったかもしれない。

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