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自己理解プログラムを終えて

トモヒロです!こんにちは。
昨日、自己理解プログラムを無事に修了しました!
100日間あっという間でした。
最後のコーチングもオンイベも昨日で全て終了しました。
今回はプログラム受講の感想と私の本当にやりたいこと、ビジョンに
ついて記事にしました!

もしよろしければ記事を読んでいってくださいね!
最初に話しておくと、私にしては文量も「長い」し内容も
「ネガティブ」です(笑。
ネガティブはあまり得意じゃないので今回限りにします。


「個性」がキーワードになった。

全体を通して振り返れば、自己理解プログラムを進めていく上での
キーワードは一貫して「個性」や「自分らしさ」だったかと今は思います。

幼い頃の自分

過去の自分のお話しをさせてください。
昔から私はちょっとした争いや、シリアスな場面に過度に敏感だし、
何より自分にも他人に対しても「仲間外れ」が嫌でした。
自分のことより「調和」を求める性格だったんですね。
幼い頃、両親が喧嘩する姿が嫌だから、わがままを押し殺して我慢してきたし、そうすることで平和・調和が保たれるのであればその方が幸せでした。
学校でいじめられていた時期が続いた経験もあり、
クラスの友達の前でいじめっ子にいじめられていても、みんなを心配させまいと自分を偽り、笑顔を作っていました。
「個性」「らしさ」を閉じ込め、わざとコミカルに自分を演じ、笑いに変えました。強がっていたのかもしれません。いじめられても笑いに変えることで、いつか攻撃されなくなるかもという、自分なりの防衛策だったのかもしれません。または、いじめられている弱い自分を認めたくないという、ささやかな抵抗だったかもしれません。

音楽好きの母とギター

母親は「ビートルズ」が好きだったので、
日常的に洋楽や邦楽、色々な音楽に触れておりました。
いつか好きなミュージシャンが出来て、ギターに魅力を感じていたので
将来はギタリストになるって決めてました。
高校の入学祝いに父親からエレキギターをプレゼントしてもらいました。
1万円前後の初心者楽器セットで(笑)それでも嬉しくて嬉しくて指の皮がめくれるほど毎日ギターの練習に夢中になりました。
勉強なんてそっちのけで、ご飯とお風呂、寝る以外はギターの練習です。
ですが受験が始まったり、周囲からは「音楽は才能ある人だけ」と
言われていくうちに、疑問を感じながらも「そういうものか」
と納得し、いつのまにか楽器は触らなくなり、そのまま大学、社会人へ。

社会人デビューでますます「自分らしさ」を見失う

大学卒業後、最初に勤めた会社の方針は、新入社員は全て
「営業職」と決まってました(会社の商品を覚えるためとかで)。
慎重で内向的な所があるので、商品を売り込みに走ったり、積極的なトークが苦手な自分にはもはや苦痛でしかなかった(笑。そんな自分の「個性」を偽る事でしかやっていけない自分にも嫌気がさし、過度の労働で体を壊し、部署も異動になりました。会社組織で協働することや、もちろん仕事であるから、多少抑えなければならない部分はあるにしろ、
自己理解でいう大事・得意・好き・は全く活かされていなかったんですね。   幸い、異動先では人と仕事環境に恵まれ、それとなくキャリアを積んでいけました。学校・社会に出てからも「自分らしさ」「個性」に疑問を抱き、
生活してても何対しても関心がなくなるし、
「自分って何の個性もないよな?」
とあきらめ、受け入れていく自分にいつからか「慣れて」いきました。
それが社会で生きていく上で仕方の無いものと強く思い込んでいました。

父親の楽しみ

今ではもう、とっくに整理がついているので何でもありませんが、
20代の頃に父親を亡くしました。
高校の入学祝いにギターをプレゼントしてくれた父。
父は人事の仕事で管理職。夜遅くまで真面目に働き続けたし
好きでもないお酒を仕事の付き合いで飲み、ストレスのせいか暴飲暴食
喫煙が続き、そのせいか定年を迎える前に病気になって亡くなりました。
亡くなる1年前くらいの自宅療養中のある日、自室でニコニコして
新品のカメラを眺めている父の姿がありました。
「親父、それどうしたの?」って聞くと、
「これで綺麗な月を撮りたい」と。え?そんな事興味あったっけ??と
その時は思わず笑ってしまいました。「定年したらさ、会社のヤツらとさ、「革命クラブ」っていう会社を立ち上げて、自分の好きなことでお金稼ぐんだよ」と。その言葉から、「ああ、やっぱり定年まで沢山働いて、果たすべきことやってからでないと、好きなことで自分らしく生きれないんだな」と感じていました。

「個性」の素晴らしさを感じた時

そんな出来事が多々ありながらも、仕事生活にも慣れ、余裕が出てきたし、
何か新しい事を始めたいな、と思えるようにまでなってきた頃。
なぜだか、ごく自然に「またギターを弾きたい」「会社以外の様々な人を知りたい」と思うようになり、趣味として音楽スクールへ入学しました。
プロを目指す専門学校というより、音楽を楽しむことをモットーとした学校です。私はエレキギター科へ入学しました。
個人レッスンではなくグループレッスンだったので一人で練習するよりも何倍も楽しく思えたし、スクール主催の発表会もありました。様々な楽器クラスの生徒達がバンドを組み、選曲し、それぞれの楽器で演奏しているそんな楽しいステージ。自分としては演奏を披露する初ライブ。
その発表会に参加してとても驚いたことがありました。
同じ曲でもプレイヤーによってこんなにも音の伝え方に違いが生まれるの?!」と。プロだからアマチュアだから、演奏が上手い下手ではなく
「その人らしさ」が演奏という手段で表現されることに感動したのです。
また、皆さんと同じように音楽から発せられるメッセージにも
心動かされました。歌詞や音、プレイヤーの表情、パフォーマンス、
それを受取ることで、明日の活力にできたり、自分らしさに気付き自信に
なったり。私自身も演者になり「自分らしさ」「個性」を音に乗せることで
表現できる楽しさ、それを多くの人と共有・感動できることに幸せを感じていました。
皆、それぞれ大切な価値や個性を持っているんだ、みんなそれに気付いてほしいという事を抱きながらも、それ以後バンド演奏の虜になり、ライブに夢中になっていきました。

環境から離れる

そんな音楽繋がりの輪も広がっていった頃、親密を深めれば深めるほど
純粋に音楽を楽しめなくなる出来事が起こっていきました。
それは人間関係の拗れが原因でした。あの人と一緒に居ると別の誰かに悪影響が出るとか、あの人を上手く利用すれば利益取れるとか、気に入らないからこういう計画であの人を貶めてしまえとか、傷つけて再起不能にしようとか。あの人とバンド組んだら私の価値が下がるとか、全然関係の無い人まで巻き込んで勝手に傷つけるとか。そんなことを私自身が受けとったり、目にすればするほど悲しかった。
でも大切な人達だから、平等に調和していかないと、と無理をして。
人間だって環境だっていずれ変わってしまうのはわかっているけど。
いつの間にか純粋に「好きなこと」を楽しめなくなってしまいました。
挙句の果て、「自分のせいでみんなが苦しんでるから、自分が消えてなくなればいいや」と思い込むようになり、そもそもの音楽やギターすらも嫌いになり、数年間築いてきた人間関係も自分から一切の連絡を断ち切り、環境から離れました。そんな「調和」を求めようとする自分自身の性質も何より嫌になったし、音楽も封印、無かったようにすることに決めてしまいました。

八木さんと自己理解プログラム

時が経って、長年勤めた会社からの転職と、母親の病の介助(今現在母はすっかり元気です!)重なるように新型コロナウイルスが始まり、忙しく、何となくの不安が広がるそんな日々を過ごす中、八木さんの著書「世界一やさしい「やりたいこと」の見つけ方」に書店で出会いました。
なにやらものすごい反響を呼んでいる書籍のようで、自己啓発系の本は嫌いでは無かったので、購読してみました。
第一印象は・・わかりやすい!・・理にかなっている!!でした。
同じような啓発本は、モチベーションは上がるけど、結局何にたどり着くものなのか、モヤモヤしてわかりづらかった(でもどれも素晴らしい内容でしたけど)。理系科目が好きだったので、八木さんの著書は数学の公式のような「メソッド」を活用している内容で、この通りにワークを進めればやりたいことが見つかって納得感が生まれるかも!という希望を持てたし、
そのことがきっかけで八木さんのyoutube動画も見るようになりました。
しかし、素晴らしい本だっただけに、答えに納得感を強く追い求めるようになりました。独力でやっても何かしっくり来ない。「やりたいこと」にもっと自信を持って迷いなく生きたい。そんな世界線で生きてみたいと思い、「自己理解プログラム」に関心を持ち、無料カウンセリングを受けました。

担当コーチと伴走

 振り返ってみると幸運なご縁というか、素敵なギフトをいただいたなと思える事の一つが担当コーチとの出会いでした。
 
無料カウンセリングを受けた時も同じその方です。無料カウンセリングの時点でとても丁寧にしっかりと向き合ってくださり、ただ、超慎重派な私は(笑、受講することにすぐに踏み切れませんでした。そんな私でも、コーチはずっと待ってくださいました。何かしらの事情で早く結論をださなきゃいけないかもしれない事もあるはずなのに。それでも、私の決断を待っていただいた。もうこの人だな!って直感で感じ、プログラムの受講とこの方に伴走してもらおうと覚悟を決めました。
 受講当初は仕事2つ掛け持ちと通信制の大学に通っていたので、プログラムの受講ペースに不安を抱いていましたが私の要望を全て汲んでくださり、私に合った学習プランを都度、柔軟に提案してくださいました!

過去の自分との決別と視界が開けた時

プログラム中、大きな変化を感じられたのは、step6のワークと
オンラインイベントの参加です。

step6では、今一度思い出したくない過去と対峙しました。
今まで綴ってきた過去の嫌だった自分自身や感情など。
オンイベでは様々な「違い」を持った心優しい受講生達と交流させて
いただきました。
色々な「違い」を知り、お互い受入れていく日々。
すると、どうでしょう。
自分の「個性」を封じ、他人や周囲の調和のために振る舞った、
抵抗感を感じていた自分の特性も、実はそれも「自分らしい個性」だったんだと理解できるようになったのです!
 それを全身で体感した瞬間、自分の心の中で何か音を立てて崩れた
感覚で、目の前の視界が一気に明るく開けたような、そんな不思議な体験になりました・・・!
「なんだ・・間違ってなかったんだ。全部必要だったんだ。
過去の嫌だった自分も捨てたかったものも全て。勝手に自分で
決めつけて、ただ自分を苦しめていただけだったんだね。ごめんね。」
と自分自身に謝りました。
 過去の自分と向き合い、受入れ、決別した時だったかと思います。
自己理解プログラムがあったからこそ大きく成長できたものの一つと
言えます。感謝します。

私の「本当にやりたいこと」とビジョン

という事で、プログラム受講中のキーワードは「個性」「自分らしさ」
だったかと考えています。もうネガティブな内容も終わりです!(笑。

みんなそれぞれ価値のある個性を持っている。
けれど気付かなかったり、見失ったりしてしまい、
自信を無くしてしまうことがある。

私の「仕事の目的」はそんな「個性」や「自分らしさ」、
自分にしかない良さに気付き、それを「自信」に変え、
前進してもらうことです
(価値感ピラミッドで言うと
「自信」になりました!)。

私の「好きなこと」はそっと胸に封じ込めてきたバンド演奏(音楽)。
個性が込められた音の表現で感動を共有する幸せは
紛れもなく、内発的な「好き」でした。
そして「得意なこと」は相手の立場に寄り添い、肯定的な
メッセージを伝え、感動・自信を与えることです。

私の本当にやりたいことは、

✨「聴き手の気持ちを表現したメッセージ性のある曲をバンド演奏で届け、相手に感動や自信を与える」✨

になりました!

その先のビジョンは、

✨「誰もが自分や他人の個性の価値を認め、ともに前進し、活力や感動に溢れたポジティブな世界をみんなでつくること」✨

になりました!

私だけステージに立つのは嫌なんです。みんなで一緒に上がりたい。
誰もが輝かしい個性を持っているから。だからみんなで作る
ポジティブで感動に溢れた、そんな世界をビジョンとしました!

終わりに

ここまで記事にお付き合いくださり、ありがとうございました!
やりたいこと実現に、正直不安や怖さはあります。
これから音楽を仕事に、ってハードル高いって思われるかもしれない。
でも、もう関係ないんです!せっかくいただいた命。
生きて生きて、やりたいことをやって、情熱的な生き方をする。
それがこれから叶うと想像すれば、最上の幸せだし、
もうやるしかない!って思えました。

私にとって自己理解プログラムは最高の学びでした。
人生のターニングポイントになりました!

最後に今一度言わせてください。
今まで自己理解プログラムを提供くださった
多くの方々、受講生・修了生の方々。本当にありがとうございました!
皆さんの事はずっと応援するし、私の事も応援お願いします!

今後ともよろしくお願いいたします。



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