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敵センサーと人権バグ

 ひとはよく嫌いなひとの近くに寄りがちだな、と感じていて、それはなぜだろう?とずっと疑問に思っていた。例えば、嫌なツイートしまくってる人をわざわざ見に行ってしまうとか、そういう心の動きだ。嫌なものについ近寄ってしまうのはなぜなんだろう?

 そこで、「人には敵を排除するために敵に近づく性質があり、敵に近づいたあと敵を排除できないと、その場に留まってしまうというバグがあるのではないか?」という仮定が思い浮かんだ。

 敵はなるべく排除したい。それは全動物の願いだと思う。群れの安全を脅かす存在は排除しておいたほうがいい。だから、近寄ってしまう。しかし、人間において、相手を物理的に排除する方法は、法律によって規制されている。

 人権がない時代には、敵に近づいて物理的に排除するのは理に叶ってたことだと思う。しかし、人権という偉大な発明が生まれた後においては、ひとは相手がどれだけ不快でも排除できなくなった。それにより、「敵」と対峙したあとでも、敵は現世に残り続ける。よってひとは謎の理由で「敵」の近くを周回してしまうのだと思う。

 つまり、「あいつうざいよね〜」と愚痴を言っている人は、敵を認識しつつ、倫理的に相手を物理的に排除してはいけない!という力が働いて敵を排除していないわけだ。相手が嫌いなのに物理的に排除しなくてえらい。

 敵センサーをうまく切るには、「仲間でない人間がいても、それは敵ではないかもしれない」という安全への信頼が必要だ。敵でも味方でもない、無害な人間がいること。それさえ信仰できれば、敵センサーはずっと切りやすくなると思う。

 日本が安全な国でよかった。

人間の資本が増えます。よろしくお願いします。