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私たちが「パワー」を正しく使うために
力(パワー)とは良いものでしょうか。悪いものでしょうか。
もちろんそのいずれでもありません。力は正しくも悪しくも用いることもできるものです。今回、noteの記事にもなった野坂祐子さん(大阪大学)へのインタビューのさい、野坂さんが改めてそのことを思い起こさせてくださいました。
私たちが残念ながら、力の濫用(abuse)にあまりに慣れ過ぎてしまっていて、正しい力の使い方を、あるいは正しい使い方があるということをすっかり忘れてしまっている。
たとえば、困難な状況において人々の意識がどうしても「今」に限定されがちですが、リーダーは人々に「過去」を思い起こさせ、来たるべき「将来」を提示することができる。それこそがリーダーの正しい力の使い方です。
去る3月に、イギリス国民に対してエリザベス女王が動画を通じて語りかけたのは、まさにそのような正しいリーダーシップの発揮でした。
では私たち一人ひとりにとって、正しい力の使い方とはいったい何でしょうか。
「ダム・キーパー」(トンコハウス作)という短編アニメーションを観る機会がありました。ピッグというブタの少年が、町を怪しげな「黒い空気」から守るために体を汚し、ひとり風車を回し続けています。しかし周囲はそんな「汚い」ピッグをひどくいじめます。
この話の展開には触れませんがとても寓意的なストーリーですから、様々な解釈がありうると思います。ぜひご覧いただければと思います。
私は、画面からあふれ出る美しい光彩をとくに印象深く感じました。その「きれいさ」は日常の平穏さであると同時に、煤まみれになりながら町を守るピッグという少年の存在を町が排除している「偽善」の象徴でもありましょう。
この世界に善意だけを見ようとするのはあまりにナイーブです。しかし純粋な善意というものが存在しないとしても、なお善意を信じられるということがこの世界の根底を支えています。ピッグを最後に救ったのも、光を全身にまとったある子の存在でした。
日常を満たす「光」のこうした二面性は、力の使い方の二面性に通ずるように思います。力を正しく使えることと、一見した「きれいさ」の背後に想いを致せることは不即不離ではないでしょうか。
危機は、正しい力の使い方に私たちが気付くチャンスです。そのきっかけは、ピッグにとって善意がそうだったごとく、思いもかけないところから突然現れてくるものかもしれません。それを見逃さないよう、より細やかな眼とともに日々を過ごしていければと思っています。
執筆:中里晋三(Living in Peace共同代表)
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