【西武ライオンズ 今日の見どころ】カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#8 松沼雅之編
3月16日(土)に開催される、西武ライオンズ初のOB戦「LIONS CHRONICLE 西武ライオンズ LEGEND GAME 2024」。ファン待望の一戦まで、2ヶ月を切りました。
このページでは、出場が予定されているライオンズOBたちの、一味違った現役時代のエピソードや、玄人好みする記録などを紹介していきます。
松沼博久(まつぬま・ひろひさ)
投手 右投げ・右打ち 1956年7月24日生まれ
ライオンズ在籍:79年~89年(選手)、2000~03年(コーチ)
通算成績:241試合 69勝51敗12セーブ 防御率3.62
背番号:16(79~89年)、71(00~03年)
東洋大時代に、東都大学リーグ歴代2位タイとなる通算39勝。現在もリーグ記録である56 2/3イニング連続無失点をマークした本格派右腕。大学卒業後は、4歳上の兄・博久のいる東京ガスへ進むことが有力視されていたが、読売ジャイアンツとの熾烈な争奪戦の末、79年にドラフト外で入団した西武ライオンズの1期生になる。
力のある真っ直ぐと高速シュートを武器に、80年、81年にそれぞれシーズン9連勝するなど、5年連続で二桁勝利をマークする。83年には自己最多となる15勝をあげ、東尾修が「次のライオンズのエースになる投手」と評していたほど。
落合博満は自著「勝利の方程式」(小学館)のなかで、松沼について「彼の真っすぐは、図抜けて速かった。スピードと制球力をかねそなえたすばらしい真っすぐだった」と、振り返っている。
だが、右肩、右ヒジが悲鳴をあげて登板機会が激減。入団7年目の85年には、プロ入り後初めて1勝もできずにシーズンを終えることとなる。
懸命の治療によって、翌86年は開幕3試合目の南海ホークス戦に先発。初回のマウンドに登ったときは、自分でも驚くくらいに緊張したなか「スタンドから『パパー』と呼ぶ息子のひと言が聞こえて、力が抜けた。奇跡です」と、7回途中3失点の好投。打線も秋山幸二の満塁本塁打など14得点と援護して、1年半ぶりの勝利を手にする。
その後も痛み止めを飲みながらの登板を続けていたが、5月に入ると3試合続けてK・O。6月以降はリリーフに配置転換されることになる。
一時は抑えを任されたこともあったが、往時の球威は戻ることなく。88年は6月にリリーフ登板が1度あっただけ。翌89年は2月から5ヶ月間の入院生活を送り、リハビリに励んだものの、1軍登板はなく。このシーズン限りで引退。11年間のプロ生活のうち、前半6年間で65勝、後半の5年間で4勝と、故障により明暗が大きく分かれてしまった。
目標にしていた兄弟での通算200勝には届かなかったものの、合計181勝(博久112勝、雅之69勝)は、NPBの兄弟投手史上歴代4位となる。
兄弟そろって同じ試合で投げる「兄弟継投」は、レギュラーシーズンで通算24試合実現。そのうち博久・雅之のふたりで、勝利とセーブを分け合ったケースが3試合あった。これまでに同じ試合の勝利とセーブを記録した兄弟投手は、NPBで松沼兄弟1組だけだ。
引退後は、テレビ朝日系列の野球中継でネット裏からの「球種チェック」を担当するなどの解説業のほか、ライオンズ、群馬ダイヤモンドペガサス、東洋大学など、プロ・アマ多くのチームの指導にあたっている。
・主なタイトルなど
オールスター出場 4回(81~84年)
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