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カウントダウン「LEGEND GAME 2024」#34 高木浩之編

高木浩之(たかぎ・ひろゆき)

内野手 右投げ・左打ち 1972年10月14日生まれ
ライオンズ在籍:1995~2008年(選手)、13~20年(コーチ)
通算成績:1002試合 2510打数 643安打 打率.256
     10本塁打 186打点 111犠打
背番号:40(95~99年)、4(00~08年)、75(13~20年)

愛知の享栄高には内野手で入部したが、打撃投手をやったときの制球力が評価され、1年生からピッチャーでベンチ入り。3年時にはエースで主将の二番打者。小技が得意なタイプだったが、90年春のセンバツでは、2試合で3本塁打して、打った本人が一番驚いたという。

駒澤大に進んでからも、チーム事情で1年時はセカンドを、2、3年生ではピッチャーをやり、4年でまたセカンド。戦国東都大学リーグで、ピッチャーとして通算7勝をあげている、早過ぎた「二刀流」選手だった。

4年間の大学生活でリーグ優勝4回。春の全日本選手権、秋の明治神宮大会、あわせて3度の日本一。大学日本代表のキャプテンも任され、94年ドラフト4位でライオンズに入団する。

ただ、当時のライオンズは、石毛宏典こそFA移籍していたものの、辻󠄀発彦、田辺徳雄、奈良原浩と、黄金時代のメンバーがまだまだ健在。高校、大学と常勝チームで鍛えられてきた高木をもってしても「これはマズい。とんでもないところに来てしまった」と、レベルの高さに圧倒されたそうだ。

入団してしばらくは2軍で過ごす時間が長かったが、プロ3年目の97年に転機が訪れる。高木の泥臭く必死な姿勢を「ガッツマン」だと評価した東尾修監督が、4月下旬からスタメンに抜擢したのだ。高木のほうも起用に応えて、7月末まで3割台の打率をキープする。

この年、東尾監督が審判に対する暴力行為によって、3試合の出場停止となったことがあった。その処分明け最初のゲームだった7月16日の福岡ダイエーホークス戦で、走者一掃となる決勝二塁打を打ったのが高木浩之だった。最終的にはシーズン107試合に出場して打率.278。セカンドのレギュラー争いから頭ひとつ抜け出してみせた。

プレースタイルは職人肌。準備と予測、周囲とのコミュニケーションに基づいたポジショニングで、難しい打球を簡単そうに処理をする。みずからの判断で2死からノーサインのスクイズバントを成功させたり、二塁から送りバントひとつで一気にホームインしてみたり。敵からすれば、嫌らしい。味方にすれば、頼もしい。いわゆる野球をよく知っているタイプの選手だった。

右手首の靭帯を傷めた影響で、00、01年は出場試合が半減したが、02年には開幕から9番セカンドに定着。プロ8年目で初めて規定打席に到達して、ベストナインとゴールデングラブを初受賞する。

このとき話題になったのが、その三振の少なさだ。シーズン446打席で、わずか26三振。もちろん規定打席に到達した選手のなかで、最少だった。全1761球のうち、空振りが43球しかなく、相手投手には1打席平均3.95球を投げさせた計算になる。

9番打者の自分のあとは、長打力のある1番松井稼頭央に打順がまわることから、つなぎ役に徹した。初球は打たずに、追い込まれてからが勝負。そこには「長打のない自分が、相手によりダメージを与えられるかを考えたとき、2-2やフルカウントにしてからヒットを打つこと。それが答えだった」(週刊ベースボール 08年11月3日号)という、職人ならではの狙いがあった。

早いカウントでは手を出さず、追い込まれてからでも三振はしない。それでいて、このシーズンの得点圏打率はリーグ2位の.374だったのだ。こんな9番がいるのだから、チームが独走優勝するはずだ。

この年から3年連続で、シーズン100試合以上に出場。04年にはプロ野球生活10年目で、初めて日本一も経験する。

ところが、05年の開幕前に突如、原因不明の視力障害に襲われる。症状は治まって6月には1軍合流。打率は3割を超えていたのだが、8月下旬に登録抹消。右ヒザ靭帯の負傷も重なった。

本人は、眼の状態を理由にはしたがらないが、翌年から出場機会が減っていく。その間に石井義人、片岡易之といったセカンドが台頭。08年に症状が再発したこともあって、このシーズン限りでの引退を決意する。

9月28日、14年間の現役生活ラストゲームを終えた高木の引退セレモニーで、惜別のメッセージがセンター後方のLビジョンに映し出された。
 
「抜ける、と思った打球を掠め取るのが、実にうまい男だった。決して恵まれた体躯ではないが、野球を愛する心ではだれにも負けなかった。ライオンズの二塁手らしい、いぶし銀。僕はその男を忘れない」

贈り主は、同い年で同期入団の西口文也だった。

高木浩之 年度別成績

主なタイトルなど
 ベストナイン(02年)
 ゴールデングラブ賞(02年)
 オールスター出場 (99、03年)

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