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I. 『ヨハネの黙示録』の全体像(2)目的(2-3章):誰の、何のための書物なのか?

さて、1章・22章で黙示・預言・手紙として提示される書物の内容を記していきたいのですが、その前に、しつこくであっても改めて、この黙示録が誰のための書物なのか、黙示録の記述に従って、確認しておきましょう。

黙示録2-22章のうち、初めの2-3章は、4章以下とは異なります。(比較的分かりやすいとされる箇所で、教会の説教や学びでもとり上げられやすい箇所でしょう。)この2-3章に、黙示録が誰に宛てて、何のために記された書物なのかが明確にされます。

誰に宛ててかというと、1:4, 11(cf. 22:16)にあるように、アジア(今でいうところの小アジア、国でいうとトルコにあたる地域)の7つの教会です。その7つの教会それぞれについて、2-3章は言及しています。

  1. エペソ/エフェソ(2:1-7)

  2. スミルナ(2:8-11)

  3. ペルガモン(2:12-17)

  4. ティアティラ(2:18-29)

  5. サルディス(3:1-6)

  6. フィラデルフィア(3:7-13)

  7. ラオディキア(3:14-22)

この7つの地名は、アジアに実在した都市の名で、そこに教会が実際にありました。(今は遺跡としてあるのみかもしれません。ただし! です。)

黙示録2-3章に挙げられる7つの教会

それぞれの教会については、歴史的にも、また黙示録に記されている内容に関しても、色々記されています。私の出る幕はないほどで・・・ 私の先の投稿(↓)は、それらについてほとんど触れていませんが、改めてご参照ください。(何度も同じ投稿を紹介してすみません!)

https://note.com/lion_lamb/n/na43904cb4c8b

この7つの教会は、2世紀の小アジア、多文化圏を覆ったローマ帝国の支配下にありつつも、先の投稿(↑)に記したように、総じて、イエス・キリストにある普遍的な教会を示唆しているように受けとめています。続くどの時代の教会も、いずれかに自分たちの姿を見い出すことができるでしょう。

その教会の一つ一つを、イエス・キリストは知っているとおっしゃいます。私たちが自分たちを知る以上に鋭く深く知られる! 世の評価、また私たち自身の評価を超えて、私たちの酸いも甘いも、笑いも涙も、喜びも苦しみもすべて、真意、真価をご存知でいてくださるのです。そして、どうあるべきか、なすべきかを教えてくださいます。

その上で、すべての教会に対して、「耳のある者は、御霊が諸教会に告げることを聞きなさい」(2:7, 11, 17,  29; 3:6, 13, 22)、そして、「勝利を得る者に・・・」と約束を与えられます(2:7, 11, 17, 26・28; 3:5, 12, 21)。

つまり、

  • いずれの教会も戦いの中にあり、勝利を得るように、約束の賜物を受けるように召されている。

  • そのために、御霊が告げること(=普通の耳では必ずしも聞こえないこと)を聞く必要がある。

のです。

この「耳ある者は・・・」は、生前のイエス・キリストがたとえ話を語る際に用いられた常套句でもあります(マタイ11:15; 13:9, 43; マルコ4:9, 23; ルカ8:8; 14:35)。その背景には、耳があっても聞かない(// 目があっても見えない)、悟らない者たちがいること、預言者たちが繰り返し警告を与えてきたことがあります(イザヤ6:9-10 [ // マタイ13:14-17; マルコ4:12; ヨハネ12:49; 使徒28:25-27; ローマ11:8 ]; イザヤ42:20; 43:8;  エレミヤ5:21; 6:10 エゼキエル12:2)。主は、耳を傾ける者たちが、御許に来てその真意を聞くように、たとえ話をもって語られました。黙示録に描かれる幻、秘められた預言のメッセージは、そんな流れにあるのではないでしょうか。

私たちもまた、御霊によって、黙示録の幻に秘められたメッセージをしっかりと聞きとりたい。そして、この世で繰り広げられている戦い――勝利はすでに決まっている戦い! しかし、終焉に向かってさらに激しくなると想定される戦い――を見極め、敵に屈したり惑わされたりすることなく、主にあるまことの勝利を治め、約束にともに与ることができればと願い祈るものです。

ということで、次回から、預言を秘めた黙示の幻、黙示的預言のメッセージにあたっていきます! 



【補足】以下、思い立った時に、ポチポチ補足しています。脈絡を気にせずご参照ください。

  • トップ画像は、遺跡となってしまった現在のエペソの教会(らしい)です。もちろん、こんな立派な建物が、黙示録の記された時代に建てられたはずはありません。"キリスト教"がローマ帝国の"国教"とされた4世紀以降に建立されたのでしょう。なお、画像は以下のサイトから。(記事の内容に賛同も反対もないことも申し添えます。)

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