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誰よりも人間らしい機械の話/ストロングマシーン・Jについて

2019年3月8日、DRAGON GATE(以下ドラゲー)公式から記者会見を行う発表があった時、ファン界隈は俄かにざわついていた。
というのも、プロレス界ではよく見かける光景ではあるが、近年のドラゲーでは会見自体が珍しく、更に事前に会見内容が知らされない告知がされる事は滅多になかったからだ。
近づいた金網マッチのルールに関してか、悪い知らせか……と色々と憶測が飛び交っていたが、実際は翌月4月10日の後楽園大会において、ストロングマシーン・J(以下J)がデビューするという旨の内容だった。
団体が新人のデビューでわざわざ記者会見を開く事は異例ではあるが、言わずもがなJは新日本プロレスでスーパー・ストロング・マシーンとして活躍した平田淳嗣の実子であり、その彼が父親のギミックを継いでデビューするとなればその話題性を周知するのは団体としては当然だろう。会見には父親も同席した。

スーパー・ストロング・マシーンといえば前年の18年6月に新日で引退セレモニーを行なった事は当時のプロレスファンの記憶に新しかったと思う。
コンディションの問題で試合こそしなかったが、所属選手達がカラフルなマシーン軍団に扮しロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンとの試合を盛り上げ、マシーンもラリアットでアシストをして会場を沸かせた。
まさかその引退セレモニーから1年も待たずに息子がデビュー、しかも新日ではなくドラゲーからというのはファンとして、あまりにも予想外の出来事だった。

来る4月10日、ストロングマシーン・Jはストロングマシーン・GF、マネージャーとして将軍KYワカマツを引き連れ、父親のトレードマークだったマスクとワンショルダーのコスチュームを身に着け、ハリケーンズ・バムで入場。Kzy横須賀ススム(現・望月ススム)堀口元気と対戦した。
Jは新人とは思えない泰然自若とした振る舞いで試合に挑んだ。
受け身も技もレスリング経験者のように見えたが、後々何のバックボーンもないと本人が言っていたのを聞き驚いた覚えがある。
組んだ選手がベテランであり、対戦相手が信頼の置ける試合巧者達であるという事を省いても、立派なデビュー戦だった。
一番驚いたのは、マシーンのマスクは顔も口も隠れる一切表情が見えないタイプでその分表現力が求められる訳だが、それもしっかり心得てるように見えた事だ。
最後はJが父親直伝の魔神風車固めで堀口から勝利を収めた。
Jは父のギミックと技を引き継ぎながらも、ただの2世とは言わせない実力を見せつけた。
ただ、会場にいたドラゲーファンが他団体で培われたギミックを継いだ2世選手の破格の扱いや、ワカマツのノリに乗り切れていたというと少し疑問が残り、試合内容とは別にJには課題があるように思えた。
それ以降のJはGとFと共にマシーン軍団として神戸ワールドでトライアングルゲート戴冠、デビューから無敗を続けるという破竹の快進撃で2019年のプロレス大賞の新人賞を獲得した。

選手人生のスタートは順風満帆だったが、Jはその特殊なギミック上、ユニット抗争やストーリー展開が魅力のドラゲー内においてメインストーリーにあまり関わる事もなく異色の存在である状態が続いた。
観ている側としても、魅力をなかなか拾いきれずにいたが、それが少し変わったのはドラゲーマットが同年の12月18日の後楽園ホール大会で三軍抗争に突入してからだ。
三軍抗争とは、当時のヒールユニットだったR・E・D、団体の前身の闘龍門時代から所属しているベテラン勢からなる闘龍門世代、団体がDRAGON GATEと名前を変えてから所属となったDRAGON GATE世代(以下DG世代)とに分かれて行われた抗争だ。
これはR・E・D以外の既存ユニットを全て解体して行われた世代間抗争に振り切った異例の展開で、結果的に若手達が伸びるきっかけとなった抗争でもある。
この日のJは、3日前の福岡国際センターでのビッグマッチでトライアングルゲート王者から陥落したばかりで、自身としては初めてとなるシングルマッチに挑んでいた。相手はパワーファイターのBen-K
ドラゲーでは少し珍しいオールドスタイルの試合で、必ずしもドラゲーファンを満足させたとは言い難かったが、魔神風車固めがニアロープで決まりきらなかった流れ等、渋い楽しみに溢れた試合で個人的にはJのシングルの中でも印象に残っているものの1つだ。
初めてのシングルをこなしたJはこの日のメイン後にYAMATOが提唱した三軍抗争でマシーン軍団から独立し、DG世代として戦う事を宣言した。

今まで主に軍団のベテラン勢…しかもマシーンというギミック上ほとんど喋らないGとFに囲まれていたJが同世代と共に戦う姿は新鮮だった。
印象的だったのは、DG世代に加勢した翌年1月25日の神戸大会で行われた芦屋日記賞6人タッグトーナメント戦
Jはドラゴン・ダイヤ、Ben-Kと共に闘龍門世代のドラゴン・キッド、横須賀ススム、堀口元気と対戦した。
3人の中でキャリア的にはJが一番下ではあったが、この時勝利を目前に技を失敗したダイヤをJが素早くアシスト。フィニッシュもダイヤに譲り、勝利に貢献した。
ベテラン勢と共にいるうちは分からなかったJの頭の回転の速さやタッグ戦における己の立ち位置への解像度の高さが垣間見える試合だった。
その後、この3人はトーナメントを勝ち抜きトライアングルゲートに挑戦、Jにとっては2度目となるトライアングル戴冠を果たした。
Jは同世代と切磋琢磨しながら試合を重ね、マイクも徐々に成長していき、人間味溢れる機械として魅力が開花していった。
しかし、この年の12月、Jのこれまでのキャリアで最も重大な出来事が起こる。右肩故障による長期欠場だ。
8ヶ月に及ぶ欠場は本人が「狂ってしまうかと思った」と語るぐらいで、辛く長い期間だっただろう事は想像に難くない。
デビューから僅か1年半で訪れた大きな挫折だった。
辛い時間を乗り越えたJは翌年21年8月11日の後楽園ホールで復帰。
既に三軍抗争も終わりを迎えていた為、Jは再びGとFと共にマシーン軍団として登場し復帰戦を勝利で飾った。
翌月9月6日には初めての地元横浜凱旋大会も行い、同月20日に行われた大田区でのビッグマッチでは王座には手が届かなかったもののマシーン・Kに扮した近藤修司と共にツインゲートに挑戦。試合後、Jはバックステージで「この世の中で上手くいかない人達や苦しい人達にDRAGON GATEが希望の光になって、努力すれば良い景色が見られるとベルトを獲って体現したかった(要約)」と語った。
Jは自分がどうありたいか、団体をどうしたいかをこれまでも語っており、自分の言葉をしっかり持っている。
そんな彼の発言が「苦労している人間に希望を与えたい」という方向性にシフトしたのは、自身の怪我での挫折や、コロナ禍で団体になかなか客が戻らなかったという現状が大きいのではないかと思われる。
更に明確にそれを客の前で語ったのは、なかなか結果に恵まれない中で行われた22年4月の凱旋大会でだった。
その頃、既にJはマシーン軍団から再度独立しユニットに所属する事なく活動していた。
この日のパートナーのEitaはメンターのように彼をアシストし、Jは凱旋大会で久々の勝利を収めた。
この日だけでなくJとEitaは組んで試合をする事が数度あったが、彼の背中から得たものはそれなりに大きかったように思える。
そして、メイン後のマイク。Jは「もし、普段の生活で上手くいかない事があったら、最前線にいるレスラーを見るのもいいけど、苦しんでいるレスラーにも目を向けて欲しい」と客席に語りかけた。
己の現状を踏まえ、弱い部分をさらけ出したマイクは客席や選手達の心にも深く響いていたように見えた。

燻っていたJの転機となったのは同年6月の後楽園ホール大会。
YAMATOがリーダーのユニット、HIGH ENDから勧誘を受けていたJは自身の試合後「答えは今日出す」と語り少々勿体ぶった様子で退場した。
そして、セミファイナルのHIGH END🆚Natural Vibesの試合。JはHIGH ENDではなく、Natural Vibes(以下NV)のメンバーとしてかなり本格的なブレイクダンスを披露し観客の度肝を抜いた。
予想外すぎたダンススキルを目の当たりにした客席の狐につままれたような空気は今でも忘れられない。
これまで、父親のギミックを継ぎ、コスチュームやファイトスタイルもドラゲーの若手には珍しく昭和の雰囲気を纏っていたJが、そこから抜け出し、己の個性を存分に発揮した瞬間だった。
YAMATOに咎められながらも、Jはその日からNVに加入。
前月にベテランの堀口とススムの離脱があったNVは、Jを含めた若手中心のユニットとして新体制となった。
Jは入場時のダンスの振り付けも担当。マスクの色も黒から緑がデフォルトとなり、技の中にブレイキンを取り入れたり、魔神風車固め以外の新たなフィニッシャーとしてダイヤモンド・フレームというジャベを加えたりと新境地を開拓していった。

Jは同じく2世レスラーである望月ジュニア飯橋偉進(現ISHIN)の2世抗争を激化させるきっかけを作るもそこには参戦せず、未だ深い因縁が横たわる長いユニット抗争に身を投じていく事になる。
発端は、9月の後楽園大会。
兼ねてからNV及びKzyを目の敵にしていたヒールユニット・Z-Bratsシュン・スカイウォーカーがNVとの試合後に彼らを罵倒した。Jは率先してマイクを取りシュンに噛みついた。
それは普段紳士的なJがほとんどリング上で見せた事がなかった怒りの感情だった。
彼が本来持つ激情を隠さなくなったのはNVに加入した成果の1つであろうと思う。
翌年の2月、ドラゲーは久々にタッグトーナメントRey de Parejas(レイ・デ・パレハス)を開催。
JはNVとしてではなく、久々にマシーン軍団としてマシーン・Fと組んで参戦した。
結果は振るわなかったものの、同月26日の神戸大会でZ-Bratsとの試合に挑み、当時ドリームゲート王者だったシュンから直接フォールを奪った。
勝利で弾みがついたJは王座を愚弄していたシュンに再び噛みつきドリームゲート挑戦を直訴、翌月3月5日の大阪大会2daysの2日目のメインイベントで自身初となるドリームゲート戦が決まった。
試合までの間、Jはシュンだけではなく全方位に喧嘩を売る言動を躊躇わなかった。それは彼の覚悟の表れでもあった。
そして迎えたドリーム戦、シュンは当然のように場外戦に持ち込んで椅子攻撃をしたりと定番のヒールムーブを繰り出したが、Jもそれに応戦した。
何より客席を盛り上げたのは磨き上げた技以上に、格上のシュンに感情剥き出しで食い下がった姿そのものだ。
試合はJがシュンを追い詰め、魔神風車固めを決めたがそれを返され、再度フィニッシュに持ち込もうとしたところジャックナイフで丸め込まれたJの敗北となった。勝利への手段を選ばなかったシュンが何枚か上手だった。
試合後マイクを取ったJ。シュンに破られたマスクの中から覗く目は少し赤くなっていたように見えた。
Jは「自分には人の心を動かすプロレスができる」と語り、試合迄に皆に唾を吐きかけるような言動をした事にも触れ、
「だけど、皆元々は同じ練習場で育ち同じ釜の飯を食べた。3年前のパンデミックの時に皆で支え合いながら乗り越えてきた大切な仲間。でも、リング上に戦いがある限りは牙を剥いて立ち向かわなきゃいけない時もある。俺は吐いた唾は絶対に飲み込まない(要約)」
と胸の内を語った。
コロナ禍以降集客に苦戦し、離脱が起こり、色々とざわついていた団体に不安を感じていたファン以上に当事者のJには感じ入るものがあったのだと思う。
共に戦い、ドラゲーを支えてきた所属選手達への熱い想いをJは臆する事なく口に出した。
普段、メインが終わった瞬間帰ってしまう客も多いが、この日は殆どの客が席を立たず静かにJのマイクに耳を傾けていた。
バックステージ、Jは自分の言いたいことはリングに置いてきたと言いつつも「シュンの事をサイコパスとか簡単な言葉で片付けず、理解しようとして本当に良かった。だからあの戦いができた」と、ドラゲーマットで常に戦いを続けるシュンに対する尊敬を隠さなかった。

そして、Jに試練の時が訪れる。
それが23年7月2日に神戸ワールド記念ホール大会のメインイベントで行われたマスカラ・コントラ・マスカラ金網5wayマッチだ。
  彼の目の前に立ちはだかったのはまたしてもシュン・スカイウォーカーだった。
2人の争いが激化したのは、5月5日の愛知県体育館でのビッグマッチでシュンからドリームのベルトを奪取した菊田円“令和新世代”を提唱したのがきっかけだ。
令和新世代とは、菊田円、シュン・スカイウォーカー、Ben-K、吉岡勇紀、箕浦康太、Jの現在ドラゲーを支える6人の若い選手達の事で、シュンはここにJが入る事を激しく嫌ったのだ。
そもそも令和新世代という括りにも全く乗り気でなかったシュンは、リング上で結果を残せていない上に気に食わないNVのメンバーであるJを標的にした。
6月の後楽園大会2daysの1日目でシングルで激突したJとシュンは3月のドリーム戦とは違い、互いにマスクに手を掛け合う感情的な試合を行った。
試合はシュンがフィニッシャーのSSWすら出さず勝利。
試合後散々Jを侮辱したシュンは「お前は平田でいいだろ」と剥いだ彼のマスクを客席に投げ入れるという暴挙を行い、怒髪天を衝いたJは遂に自分の口から「マスカラ・コントラ・マスカラだ。俺と勝負しろ!」と訴えた。
そして、以前から抗争していたウルティモ・ドラゴンディアマンテ、ウルティモをアシストする為に自ら志願したドラゴン・キッドを含めた5人でマスカラ・コントラ・マスカラ金網5wayマッチを行う事が決定した。
金網マッチと言えば、毎年愛知県体育館でドラゲーが行う十八番の試合スタイルだが、コロナ禍等もあってしばらく見送られており、2年ぶりの復活だった。
その上、年間最大のビッグマッチでの金網マッチは初。コロナ禍以降遅れをとったドラゲーが仕掛けた渾身の大一番で、Jは初めて神戸ワールドのメインイベントに立つ事になった。
当日迄の前哨戦で、Jとシュンは地方会場の客席を破壊し、互いのマスクに手を掛けながら激しくぶつかり合った。Jのマイクも日に日に熱を帯びていた。

そして神戸ワールド記念ホール大会当日、Jはプロテクターを着けて登場し気合と緊張感を隠さなかった。
試合のルールは金網上に掲げられた自分のマスクを取り戻した者順にエスケープ、最後にリング上に残った者のみがマスクを脱ぐというシンプルなものだったが、それ故に客席は誰がエスケープするのか、誰が負け残るのかをハラハラしながら見守った。
同門のシュンとマンテ、師弟のウルティモとキッドは当然協力し合ったが、1人で金網に乗り込んだJは圧倒的に不利で、キッドとウルティモのエスケープ後はシュンとマンテにボロボロに痛めつけられた。
シュンを終わらせると豪語していたJだったが、彼はそれ以上に己をマスクを守る事に必死になっていた。
後半の3人の凶器を駆使した試合は壮絶で特にJはマスクを破かれ見るに痛々しい状態になっていたが、パワーボムでシュンをテーブルに沈めるとマスクを手に入れ命からがらエスケープを果たした。
最終的にマスクを脱いだディアマンテが主役の物語として試合は終わりを迎えたが、試合後に疲弊し、消耗し、ウルティモに抱きしめられていたJの姿は忘れられない。
Jは試合後「俺はストロングマシーン・Jだ」とTwitterで呟いた。
Jの心身へのダメージは相当だったようで、ワールド後すぐに始まったKOGに何とか出場したものの、負傷でしばらくの欠場を余儀なくされた。そして、一瞬Twitterのアカウントを消す等、少々心配な状態だったが今は復活して元気に巡業をこなしている。

デビューこそ華々しくスピード戴冠や新人賞の獲得など順調だったJだが、キャリア初期で長期欠場を経験し、それ以降は足掻いている姿を見せる事が多かった。
いつかの凱旋大会で苦しんでいる選手にも注目して欲しいと述べたように、順調だったJよりも、現在悩み足搔きながらも少しずつ成長している彼にこそ自分は魅力を感じる。
シングルの戴冠はまだないが、彼の試合は人の心を動かし、発する言葉は思慮深く誰よりも人間らしい。

父親のギミックを継ぎながら、父とは違う団体を選び、独自の道を歩み続けているJ。
この度決まった父の古巣・新日本プロレスでの試合で彼がどんな姿を見せるのか、見守ってほしい。
そして、興味が沸いたら彼がDRAGON GATEでどんな試合をしているか、何を語るかも観てほしい。
デビューから4年半、試行錯誤しながら進化していく機械を見届ける楽しみにはまだ十分間に合う。

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