聖書とねこ?🐈
ハンドルネームをかんがえたときに、聖書の象徴について、考えめぐらせた。
ぶどうの木🍇
オリーブ🌿
鳩🕊
ひつじ🐑
ろば 🐴
馬🐎
ライオン🦁
「わたしはひつじ」という自己認識も気に入ってるけれど、わたしがこれから目指していくもの!って考えるとピンとこなかった。
だって羊は目指さなくても、クリスチャンはすでにひつじ。
ひつじはこれからも、ひつじ。
クリスチャンにはいろんな自己認識があります。
(そういうこともこれから書けるといいなと)
わたしは、
王の王なる方、ライオンなる主に守られ、従い、あこがれている、その方のそばにいて、安心している、、
。。ねこ かな?
と。
(:ライオン(獅子)は、王、イエスキリストの象徴となることが多いです)
でも聖書にねこって出てこないんだよね。
↑ここ、ちゃんと調べてくれてる牧師さん。さすが。
(永野牧師さんのブログには、聖書にねこが登場しない理由:猫=エジプトの神という認識があったから・・って書いていあった)
さて、なんでねこにしたか?!
理由ひとつめ・・・この間、友人が送ってくれたねこの写真(・・の表情)に共感(?)したから!
主人のおなかのうえで、安心してのびて寝てるねこ。
わたしは、主人である神に、イエス・キリストに、ただ従って、愛していきたい。
主人のようになりたい、ねこなのだ。
とてもライオンにはなれなくても。ライオンから愛されている、ねこなのだ。
ライオンを見上げて、生きていくのだ。
「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」Ⅰペテロ2:9
この地上で、王の王である方、神の支配をうけた王である祭司として、生きていきたい。
そう、聖書が言っているとおりに。
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