らいおんねこ
賛美、worship、わたしは、大好きです!!! 鼻歌だろうが、無名だろうが、何より神をほめ、慕う心があれば、それでよし!!
聖書は、たのしい!!
ツンと鼻が痛くなるような、肌を刺す寒さと 光のまばたきと、光の連続 早足で歩く人 そんな季節が近づいて来た気配に 心が、浮き足立つ 寒いのは嫌いだ。 だけど クリスマスのあの季節は 魔法がかかっているように美しい。 特別に光が映る それはおそらく 多くの人がキリストを祝う季節だから。 キリストの誕生を 喜ぶ、思う、聖なる夜だから。 .*+° 年に数度嗅いでいた都会の空気が、月に数度になり、毎日になった。 年に数度、排気ガスと人混みが排出した空気のなかにいる
わたしがどんな評価をヒトからされようと わたしが自分にどんな評価をくだそうと わたしはまるでダメだと評価されても 過剰な褒め言葉も それはホントのわたしじゃないから わたしにはいろんな値札が 勝手にたくさんぶら下げられるんだけどさ 私、あなたにそれをいつも報告するんだ 『あなたの〝たの〟は、今度こんな値札つけられやした、。。ʕ•ᴥ•ʔ』 そうすると、あなたは時に優しく笑って、そっと外してくれる。何にも言わずに。 『そんな値札は必要ないよ』 『わたしの〝たの〟につ
怒り、失望、かなしみ、落ち込み、そんな感情にどう言葉をつけるか。 「怒り」 ガブリエルは愛する主が罵られても、サタンにさえ言葉を守り、「主がお前を裁いてくださいますように」と言いました。 すごいことだなぁ。とあらためて思います。 それは、完全に主の裁きがあり、主の裁きは全き確かなもの、主の裁きは究極に正しいことを心から知っていたのです。 そして、悪い言葉を持つのは自分のためにもならず、自分を罪に誘うことなのです。 「主がお前を裁いてくださいますように」 は、自分を
拝啓 愛するみなさまへ 自由人への精度を高めている、たのです^^ 最近なんでも楽しいです。 コロナ禍、とは言いますけれど、人混みがあまり好きではないわたしには、願ったり叶ったりなところもございます。 こういうことをいうと不謹慎な、という空気がありますが、 きっと、住む環境でちがうのでしょう。 わたしのところでは、わたしの住環境、職場環境、生活環境、価値観、嗜好、そのもとでは、 えっ?しあわせだけど、なにか? 的な思いを抱くこと多々。 不幸せな顔してるほうが叩かれ
イザヤ書30章15節 2020年1月1日元旦、母が兄夫婦もいる中、朝食前に読んでくれた聖句。 実はこの御言葉、もともとあまりピンときていたわけではありませんでした。 十字架✞もイエス様も、福音も出てこないこの御言葉、ただ落ち着いてれば救われる・・・と言っているように聞こえて「??」だったけど、 大事なキーワード「信頼」が入っていることを教えてもらった。 新年の出来事の中で、大事にしたいと思えた言葉だったので、深めて味わってみます。 ●イザヤ書って?イザヤ書は預言書
一年、何で測りますか? やったこと、為し得たこと。成績、業績、成果や昇進、稼いだ金額、貯金額、人気、だれからどれだけ褒められたか、とか。 いろいろあるけれど。 『どれだけ、愛せたか』 で測りたい、、です。
ハンドルネームをかんがえたときに、聖書の象徴について、考えめぐらせた。 ぶどうの木🍇 オリーブ🌿 鳩🕊 ひつじ🐑 ろば 🐴 馬🐎 ライオン🦁 「わたしはひつじ」という自己認識も気に入ってるけれど、わたしがこれから目指していくもの!って考えるとピンとこなかった。 だって羊は目指さなくても、クリスチャンはすでにひつじ。 ひつじはこれからも、ひつじ。 クリスチャンにはいろんな自己認識があります。 (そういうこともこれから書けるといいなと) わたしは、 王の王なる方