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台湾にいる友達のこと
台湾に友達が2人いる。
今は台北と宜蘭にそれぞれ住んでいる。
2人とも台湾人だ。
Facebookを通じて知り合った。
SNSで外国人の友達なんかできるの?と思っていたが、本当に友達となった。
かれこれ10年以上前。
何度目かの台湾旅行の最終日に、松山空港近くの台湾料理屋で台北最後の食事をしていた。
妻にこう言ってみた。
「そういえば、Facebookで台湾人と知り合ったんだよね。いま台北にいると言ったら驚くかな?」
それから1時間後に、私達と彼らは同じテーブルを囲んでいた。
当時、彼らは宜蘭という台湾北東部の街に住んでいて、車で駆けつけてくれたのだ。(車で1時間の距離)
你好
こんにちは
お互いに緊張していた記憶があるが、こちらも夫婦、あちらも夫婦ということもあり短い時間であったが楽しい時を過ごした。何を話したのかはもう覚えていない。
それからは、コロナ禍になるまでは毎年台湾へ行き多い時は年に3回も台湾へ遊びに行った。そしてマンゴーが大好物となった。
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太魯閣(タロコ)渓谷や、淡水、礁渓温泉、羅東市場、台湾最南端の墾丁、台中、台南、高雄…等々。市場ではマンゴーを買い、夜市では臭豆腐を食べ、足按摩で疲れを癒やした。
彼らには、日本のガイド本には載っていない名所、お店にも連れて行ってもらった。台湾式居酒屋「熱炒」の利用の仕方も教えてもらった。
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そして彼らも毎年のように日本へ遊びに来て、その都度、観光案内を兼ねて仲良く過ごした。私のマイカーで真冬の白川郷へも富士山へも案内した。
コロナ禍前には我家のマンションにも彼らを泊めたことがある。日本人の普通の生活に興味津々の様子であった。
旅行記は4travelというWebサイトに詳しく記録しているが、旅行のことはいつかnoteにも書いてみよう。
また、こんなことも言っていた。
「小籠包で有名な鼎泰豐(ディンタイフォン)は、台湾人は行かないよ。行くのは日本人と中国本土や香港からの観光客だけね」ハハハッと笑っていた。
彼らにしてみると、街の小さな食堂で十分に美味しい小籠包が食べられるし、あんな高い金額を払う台湾人はいない、と「日本語」で話すのであった。
そう、彼はテレビアニメで覚えた日本語をカタコトで話すことができたのだ。でも奥さんは「大丈夫?」、「美味しい?」とかの超カンタンな言葉のみなので、カタコト英語で会話となった。
でも、こちらは中国語は話せない。
カタコト韓国語は話せる私だが、悔しいので中国語教室(近くに台湾華語教室がない)へ通った。しかし、お互い漢字の国なので、文章はなんとなく意味が分かるが発音が難しい。
でも、足按摩の店でオバチャンとカタコト中国語会話で楽しむくらいはできるようになった。お土産を買ったり料理を注文したりは、カタコトなんちゃって中国語で事足りる。
先日もプレミア野球12で日本VS台湾の決勝戦があったが、「日本も台湾もガンバレ!」とLINEしてきたりする。
彼は日本語でLINEしてくる。
私は中国語で返事を返す。
これは少し変だが、中国語の勉強にはなる。
そんな彼らとの日台交流は今も続いている。
コロナ禍以降、台湾をはじめ海外へは行っていない。そろそろ、台湾旅行を考える時がきたかもしれない。