自分のためにピアノを習って 幸せになろう
大人になって、自分のために何かするって素晴らしいことだと思う。
「子どもの頃、自分のことを自分で決められなかったから、大人になって自分に決定権があることが嬉しい」という人は多い。
3つの頃、家にあったオルガンを嬉しそうに弾いていた私に母が尋ねたらしい。
「習いたい?」「うん」
運命的なピアノとの出逢い
4つになって新しい家に引っ越したある日、縁側から真っ黒でピカピカのピアノが家に運び込まれた光景は今でも忘れられない。
私は嬉しくて泣いた。
嬉し涙というものを知らなかったから、涙がこぼれるのが不思議でたまらず、母に
「ごめんね、泣いてるけど、嬉しいの」と何度も謝った。
このピアノとの出逢いがあったから、今の私がある。
両親には感謝しかない。
習わせてもらえなかった バレエのこと
母は自分の夢でもあったピアノを私に習わせるため孟母三遷、父が転勤する度に
よき師を探してくれたお陰でレッスンは順調だった。
だが、4年生の頃「バレエを習いたい」と頼んだときには、却下された。
「近くにいい先生がいない」という理由だったと思う。
クラスの友達が習っているところはダメなの? と言いたい気持ちに蓋をした。
私にはピアノがあるから、それ以上の贅沢は言い出せないと諦めた。
ちょっと悲しかった。
母の中での優先順位は圧倒的にピアノだったのだな、と今ならわかる。
私は音大のピアノ科へ進学、卒業後作曲家になり、ゲーム音楽やCM音楽を書き、子どものピアノメソッド『ピアノランド』シリーズを書いてそれが大ヒットした。
両親はとても喜んでくれた。
ピアノは私の人生の伴走者、伴奏者になった。
で、ここからが本題です。
自分のお金で憧れのバレエを始めて 人生が変わった
私は、19歳のときに思い切ってクラシックバレエを習い始めた。
バレエを習ってみたい、という憧れの気持ちは消えていなかったのだ。
一人暮らしの最寄駅の近く、ある日何気なく見上げると、小さなビルの3階にバレエ教室の看板があった。
細い階段を上って3階まで行くのには勇気が必要だった。
見学の希望を伝えながら、私はドキドキした。
その頃は音大生で親の仕送りで生活していたけれど、調律師さんの紹介で何人かの子どもにピアノや勉強を教えに行くようになり、そのお金でバレエを習う決心がついた。
親に相談せずにひとりで決めたことも、少しではあるけれど自分で稼いだお金で子どもの頃からの願いを叶えられたことが、ちょっと誇らしかった。
レオタードとシューズ、タイツを教室で注文したときは夢のような気持ちだった。
そうやって習い始めたクラシックバレエはとても楽しかった。
ほどなく、バレエ教室で知り合った友人の勧めでジャズダンスにも夢中になって、起立性低血圧だった私はいつの間にか健康になった。
自分の思いを我慢しない、封じ込めないということは、なんて大事なんだ
私は、バレエを習うことで自立する喜びを初めて知ったと言ってもいい。
ピアノは4歳から音大卒業までの間、アップライトにグランドピアノ、レッスン代も学費も楽器が持ち込めるマンションの家賃も全て親がかりだったから、本当に両親には感謝している。
でも、大人になって自分で始めたバレエは、それまでの私の人生になかった多くの素晴らしい体験をもたらしてくれた。
なんと、私はその後ジャズダンスのインストラクターを4年間することになったのだけど、その話はまた今度。
あのときやりたかったことを、今始めよう!
昔できなかったことは、これから自分の意思で始めればいい。
それで、幸せを感じ、自己肯定感が上がり、健康になったのだから、大人になってからのバレエは私にとっていいことしかなかった。
親からの束縛がないところに住み、好きなものを食べ、好きな時間に寝て起きて、音楽の勉強の他に念願のバレエができることは本当に幸せだった。
大人になるってなんて素晴らしい。
ただ、大人になってからだって、好きなことだけに没頭できる時期や時間はそう沢山あるとは限らない。
生活のための仕事、新しくできた家族の世話をしたり、そのうち看病や介護などもあったりで、人生はいつでも自分の思い通りになるってわけではない。
だからこそ、隙あらば「始める」に限る。
始めた人の勝ちだ。
続けるのは細々とだってできる。
何でもやると決めてしまえばできるものだ。
決める。
そう、決める。
ピアノを弾きたかった人、やめて後悔している人は、
今始めよう
私が「大人のピアノクラス」を開講することに決めた途端に、「こんなにも多くの人がピアノを習いたかったんだ」ということに驚いた。
私がバレエを習いたかったけれどそのときは叶わなかったのと同じ思いを、ピアノに対して持っている人が沢山いたんだ!
そして、習い始めたものの途中でやめてしまって後悔している人の多いことと言ったら!
そう、好きで始めたことだって、途中で飽きたり、壁にぶち当たったまま砕け散ったり、経済的な理由で中断することもある。
そんなときに励ましてくれる人が周りにいなかったことを悔やみ、辞めるのを許した親を恨み、辞めてしまった自分を許せない人がいることも知った。
でもね、そんなことはどうでもよくて、それは、もう一度始めさえすればすぐに解決することです。
だって、始めてしまったら、もう、できなかったときの自分はそこにいない。
勇気を持ってスタートした誇らしい自分がいるだけだ。
バレエのレッスンの帰りに汗ばんだ身体が風に吹かれて気持ちよかったことや、
見上げた夜空がとても綺麗だったこと、仲間と飲んだレモンスカッシュがとびきり美味しかったこと、新しいレオタードを物色するのが楽しみだったこと。
楽しい思い出の数々は、緊張しながら、あの3階までの階段を上ったからこそ手に入れられたんだと思う。
バレエやピアノだけではなく、どんなことだって、年齢や資格に公的制限があることや法律に触れること以外なら、いくつからだって、どこにいたって、始めることはできる。
与えられた場所で咲くことも大事だけど、自分が咲く場所を選ぶことも大事だ。
私は、そんな人を応援したいし、待っている。 樹原涼子
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