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対話の場NOVA|#君たちはどう生きるか?どう生けるか?

去年夏天,说是宫崎骏先生最后之作的《你想活出怎样的人生》上映了。

昨年の夏、宮崎駿監督の「最後の作品」とされる『君たちはどう生きるか』が公開されました。

那时我还在日本读研究生,虽不常看老爷子的作品,但自电影消息放出之后也是一直满心期待着。于是也约上了朋友一同到电影院观看了这部作品。之后,我们还就此发生了争执。于我而言,这是一段相当有趣的经历。因为这次争执,我认为两人的关系反而变得比从前更好了。不过这都是后话了。

その時、私はまだ日本で大学院生をしていて、普段は宮崎監督の作品をあまり観ないのですが、映画の情報が公開されるからずっと楽しみにしていました。それで友人を誘って映画館に行き、一緒に観ることにしました。しかし、その後、私たちは映画の内容について口論になってしまいました。私にとっては、とても興味深い経験でした。この口論を通じて、逆に彼との関係が以前よりも良くなったと感じています。ただ、それはまた別の話です。

不知道大家第一次看见这个电影名时,是否产生了同我一样的想法——认为这是作者对站在观众一方的我们发出的一次提问。我第一次看见这个名字时,曾短暂地陷入过一阵沉思。我在想,嗯……我想活出怎样的人生呢?

皆さんは、この映画のタイトルを初めて見たとき、私と同じように思ったのでしょうか——作者が私たち観客に問いかけていると。このタイトルを初めて見たとき、しばらく考え込んでしまいました。「うん……私はどう生きるか?」と。

但我大概被老爷子的问题难到了。因为我无法给出答案。

しかし、この問いに困ってしまいました。なぜなら、その答えが見つからなかったからです。

“人生”这个话题对于我来说,还是太大了。不要说想活出怎样的人生了,就连这之后即将面临毕业,我也不确定自己到底想要从事一份怎样的工作,过上一种怎样的生活。虽然我一直以成为一名优秀的广告文案为目标,但实际上,这真的是我想过的人生吗?

「人生」という問いは、私にとってあまりにも大きすぎます。「どう生きるか」を考える前に、もうすぐ迎える卒業式で、どんな仕事に就きたいのか、どんな生活を送りたいのかさえもはっきりしません。確かに、これまで優れたコピーライターになることを目標にしてきましたが、それが本当に私が望んでいる人生なのかは分からないのです。

每当我告诉自己——“没错!这就是你今后要走的道路!”,并为之努力时,告诉自己的那个声音有多大,就会有另一个更大的声音出现,且让我意识到——“不!这根本不是你想要的!”。

自分に「これが進むべき道だ!」と告げて努力しても、その声よりもさらに大きな声が現れて、「いや、それは君が望むものではない!」とささやき続けます。


『君たちはどう生きるか』ポスター(日本:左;中国:右)


大约在看完这部电影的半年后,此时,我已经回到了阔别已久的中国。一天,我突然间又想到了它。至于为什么隔了这么久又重新想起了这部作品,我有些记不清了。但就是突然间觉得,老爷子给出的这个提问,其问题本身似乎不太对。

この映画を観終わってから約半年が経ち、その頃には私は久しぶりに中国に戻っていました。ある日、ふと映画のことを思い出しました。なぜこんなに時間が経ってから再びこの作品を思い出したのか、正確には覚えていませんが、ひとつ気づいたのは、宮崎監督が投げかけたこの問い自体が、実は少し違うのではないかということでした。

我想大概没有人不愿意过上自己想要的人生吧。但是想是一回事,做又是另一回事了。除非这个人足够幸运,或者拥有非常丰富的资源,对自己的人生享有足够的选择权和支配权,否则这个提问将是没有意义的。

おそらく、誰もが自分の望む人生を送りたいとは思わないでしょう。しかし、「望む」ということと、「実際にそれを実現する」ということは別の話です。もしその人が十分に幸運であったり、非常に豊富なリソースを持ち、自分の人生に対して十分な選択権と支配権を持っているなら、この問いは意味を持ちますが、そうでない場合、この問いは無意味になってしまうのです。

因为大部分普通人,都只能在有限的资源和选择中前行,即便选择错了,无奈耗费的时间和金钱,也只能硬着头皮走下去。有时候真的不是一句“再努努力”或者“慎重决定”就可以解决的。所以即便你问他,“你想活出怎样的人生”,他又该如何作答呢?答案何尝不是对他现有人生的一种否定呢?

ほとんどの一般人は、限られたリソースと選択肢の中で進むしかありません。たとえ選択を誤っても、時間や金を無駄にしてしまい、どうしようもなくそのまま進むしかないことが多いのです。時には「もっと努力して」とか「慎重に決めて」といった一言で解決できる問題ではありません。ですから、たとえ「どう生きるか?」と聞かれても、彼はどう答えればよいのでしょうか?その答えが、今の彼が歩んできた人生を否定することになってしまうかもしれません。

所以,不是"想活出怎样的人生",而是"能活出怎样的人生"。

だからこそ、「どう生きるか?」ではなく、「どう生けるか?」ということです。

从前,我也认为只要个人拥有想做出改变的决心,任何时候都可以做出改变。因为我自己就是这样。在我至今的人生中,几乎在每个重要的节点,都“幸运地”有贵人出现相助。虽然这其中不乏我个人的努力,但这种“幸运”也帮着我一路走了下来。这种“个人努力”和“幸运”重叠在一起,让我忽视了后者的存在,只将目光集中在了前者身上。

かつて私は、変わりたいという決意さえあれば、どんな時でも変化を遂げることができると信じていました。実際、私自身がそのようにしてきたからです。これまでの人生の重要な節目では、ほぼ毎回「幸運にも」助けてくれる恩人が現れました。もちろん、その中には個人の努力も多く含まれていますが、その「幸運」もまた私を支えてくれました。この「個人の努力」と「幸運」が重なり合い、その後者の存在を見落としてしまい、前者だけに目を向けてしまっていたのです。

但假如,我没有这种“幸运”呢?我还能实现来到日本留学这个理想吗?那么那时,我又将过上怎样的人生呢?

しかし、もし私がその「幸運」を持っていなかったら、果たして日本留学という理想を実現できたのでしょうか?そのとき、私はどんな人生を歩んでいたのか?

这样想下去,似乎过于消极。来说一些积极的东西吧!

このように考えていくと、どうしても消極的になりがちです。もっとポジティブなことを話しましょう!

其实到最后,我对整部电影最深的印象,还是在这个名字上。在电影院看完这部作品,我甚至不知道它为什么要叫“你想活出怎样的人生”。但是你瞧,这不也是老爷子在他的一生创作了11部作品之后,在他的“最后之作”中,才抛出的疑问吗?

実際、この映画で最も印象に残ったのは、そのタイトルそのものでした。映画館で作品を観終わった時、正直なところ、「君たちはどう生きるか」というタイトルが付けられている理由がよくわからなかったのです。しかし、ほら!宮崎監督も、彼の一生で11作品を創り上げた後に、「最後の作品」としてこの疑問を投げかけたのではないでしょうか。

所以,在人生这条漫漫长路上,还在前半程的我们,不用急于去回答这个问题。总之先拼尽全力,跌跌撞撞地走吧,等到最后回顾时,无论是“想活出的人生”,还是“能活出的人生”,都一定是我们能力所及之内,所能达到的最棒的人生!

だから、人生という長い道のりのまだ前半にいる私たちは、この問いに急いで答える必要はありません。まずは全力を尽くして、時にはつまずきながらも進んでいきましょう。そして、最後に振り返った時には、「生きる人生」も「生ける人生」も、私たちが力を尽くして到達できた、最高の人生になることでしょう!




次回:大家都会在什么时候提笔写文章呢?——灵感乍现的时候?欢欣雀跃的时候?感受到幸福的时候?还是被悲伤的情绪充斥到快要爆炸的时候呢?哈哈,非常不幸,我是属于最后一种。

次回:皆さんは、どんな時に筆を取って文章を書きたくなりますか?——インスピレーションが突然湧いた時?喜びで心が満たされた時?幸福を感じている時?それとも、悲しみに押しつぶされそうな時でしょうか?(笑)残念ながら、私は最後の類に属しています。




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