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「好きなことを頑張っていて羨ましい」は褒め言葉?
本日もお疲れ様です。
何か頑張っている人はやっぱりキラキラして見える。その「何か」の大小なんか決めなくていいし、その人が楽しく時間をかけていることも、辛いけれど継続していることも、全部全部頑張っていると言っていいと思う。
影の努力を怠らない人や、そもそもそれを努力だと気づいていない人もいる。もはやそこまで行くと、かっこよすぎてずるいまである。
大学生で痛感したことの1つが人を羨んでばかりいても自分には何も起こらないということ。
上手くいかない時期や、気持ちが落ちている時はどうしても自分を誰かや目指しているものと比較してしまうことが多い。自分にないものばかり手に入れたくなってしまって、その数の多さに凹む。それからまた自分を奮い立たせて前を向く。その繰り返し。私は私!比べる必要ない!と心のどこか思ってはいる。でもやっぱり、目に入ってくるものが自分にあったらいいなと思うものだと欲しくなるのは仕方がない、とも思う。
本当に自分のものにできるかどうかは、結局のところ自分次第だ。お金がかかるもの、そうでないもの全部そうだ。
日本人は褒めてもらうと謙遜する人が多いという。それでも謙遜しすぎると良くないとか、素直に「ありがとう」と言うべきだとか。結局何が正解なのか、本当に誰か教えて欲しい。
最近特に自己実現に対するテーマが幅広く扱われているが、「好きなことを頑張っていて羨ましい」というのは、相手に対する誉め言葉なのだろうか。
私に見えているSNSはキラキラした生活で溢れていて、その世界でお仕事をされている方々も増えているため、こんな風になれたらなと思わずにはいられない。最近思うのは、羨ましさは本当に個人的な感情であって、無意識にコントロールされてしまっているのかもしれないということ。羨ましいと言われることに対して疲れてしまっている人もいるかもしれないし、他の対象に対する羨ましさが自分の中に積り過ぎて疲れてしまっている人もいるかもしれない。
「こうなりたい」という理想が自分を成長させるために効果的に働くことはあると思うけれど、振り回されてしまうと自分を否定しかねない。「行動に移さないと変わらない」よりも、行動に移した方が自分の理想に近づけると言われる方が個人的はストンと落ちる。
ある事をきっかけにぐるぐる考えを巡らせたが、私は、羨ましさに負けたくない、抗いたいとも思った。良いなと思ったものが全部自分のものにならなかったとしても、理想に近づこうとする努力を続けていきたい。そうして生まれた心の余裕が、自分は自分で良いと思わせてくれそうな気がしている。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。