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相手にも、私にもある努力の形は違うから


本日もお疲れ様です。


人間同士が積み上げる関係値の中で大切なのは、その人が生きて来て、今も見ている世界の「努力の形」を認められる柔軟さだと思う。


自分とは違う努力の形が見えた時、今のその人がその人である理由や、自分の世界でまだ自分ができていない努力を知ることができたら。広さも、明るさも、そこにあるものも違う相手の世界を、優しく受け止められる人間でいたい。


目に見えるものばかりに急かされているような毎日で、そんなことを考えていた。


パズルはすでに全てのピースが「組み合わさる」前提だ。ただ、私たちは「組み合わさらないかもしれない」ピースを全力で集めている。だから、その人の集めて来たものを知ると、勝手な偏見や思い込みだけで判断できるわけがない。はまらなかったけれど大切に持っている1つも、あと少しではまりそうな1つも、全部その人のものだ。


「一般的には」と言われた。その一般的にあてはまらないと「あなた良いよね」なんて言われてしまって、モヤモヤした。


自分で決めたことなのに、周りと行く道が違うことで言葉1つに傷ついている。


そんな時、90歳を過ぎたご婦人と出逢った。その日初めましてだったのにも関わらず、とても気さくに話をしてくださる強くて素敵な方。


英語なんて、勉強させてもらえなかったの


と、戦争の中を生きてきたことを話してくれた。
人生の大先輩の言葉の重みがぐっと来た。


できるならね、若いうちは勉強をするべき。
勉強だけは、絶対に重荷にならないから。
もちろん全員がそうできるとは私は思わないけれど、
できるところまではやった方がいいの。


彼女は大人になった今学校に通っているそうで、友人と一緒にたくさんの経験を共にして勉強ができる今が本当に楽しい!と話してくれた。今日はこれから帰ってワインを開けるのよ!って見せてくれた可愛らしい笑顔に、私の心の中のモヤモヤは溶かされていた。


20年と少し。まだまだこれからだなぁ…なんて自分のこれから未知数の人生を楽しみに思えていること、本当に幸せだと思う。


全員が同じ道を歩くわけじゃないし、何が幸せか、楽しいか、素直な自分で選び取って、自分なりの努力の形を見つけていい。誰もが数ある選択を重ねて「今」に辿り着いたことは間違いない。「あなたはあなた、私は私」が周囲の当たり前になったらいいな。


自慢と受け取ったり、綺麗事だと言ったりする人も、その人の世界の中にある努力の形とは違うだけだ。だから、いつもいつも賛成や肯定じゃなくて良いんだと思う。


きっと相手にも、私にもある努力の形を、「お互いここまで良く頑張ってきたね。今日はワイン開けようか?」って肩をたたき合えたら良いんだと思う。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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