大学生が考えた「働く」と「生きる」
本日もお疲れ様です。
「生きていくために仕事をする。仕事は好きだけれど、家族や友人、大切な人との時間も必要。自分がやりたいことを楽しみたい。」
「働かないと生きていけない。毎日忙しくて、遊んだり休んだりする時間が欲しい。でも、自分の仕事が誰かのためになるなら。」
どっちが幸せなのだろうか…?
結局「自分が選ぶ道が正解」って言われてしまうんだろうな。それが苦しかったり、余計にわからなくなる理由だったりするのに。
何が正解かなんて、この先一生変わり続けるんだと思う。あの時こうしておけばと思っても、その時の自分にとっては最適解だったはず。だから悩んで後悔しないように選んだことは余計に、思った通りでなければずっと残る。そして人生は選択の連続だ、なんて当たり前のことを当たり前だと気が付かされる。
留学していた時、友人に聞かれた。
「どうして日本人はあんなに疲れているの?」
私には意味が分からなかった。
友人は来日したことがあり、電車に乗った時に学生やサラリーマンが楽しそうに見えなかったことを不思議に思ったらしい。
確かに…?
アメリカでの留学生活で、少なくとも私が出逢った人々からは「学校や仕事に行きたくない」って言葉を聞かなかったなぁと。
私が受けた彼らの印象は、自分の生活をさらに豊かにするために学校や仕事に行くし、どんなに忙しくても好きなことにも同じくらい時間をかける。
アメリカの人々も、世界的に見たら仕事人間だと思う。でも、「働く」ということが自己実現的な彼らを見て羨ましいと思ったことは事実。職場の大人達が集えば全力でじゃんけん列車を始めるし、何がおかしいのか分からなくなるまでおなかを抱えて笑っていた。楽しそうに見えた。
日本で「家族と誕生日ディナーの予定があるので先に帰ります」などと仕事を早く切り上げたらなんと言われるのだろうか。
パパさんが午後3時にノリノリで帰って来たのに驚いた記憶がある。彼らにとっての幸せの最上級を見せてもらった気がした。
私は、これからどんな風に幸せを増やしていこう…?
働くために生きるのか。
生きるために働くのか。
きっと、毎日を一生懸命生きていることや、誰かのためにと思う気持ちはどの国の人も同じ。自分のためにもハッピーな生き方をするなら、留学先で出逢えた人々の生き方を見習いたいと思う。
もちろん文化は、歴史や社会的環境と繋がる部分も多いため、どれが良いかなんて決める必要はない。日本の大人達も、大学生アルバイトの私とは比較できないほど多くの挑戦や追求、複雑な人間関係の中で、強く根を張ろうといろんなものと闘っているはずだ。日本の清い大人達の頑張りが美しいものであり続けますように。
大切なもの、守りたいものは人それぞれ。目に見える努力も、見えない努力も何のためにするか。どう時間を使うか。それと意外と忘れがちなのが、心も健康かどうか。
すぐに全てを変えることは難しいけど、どうやら世界はもっと広いらしい。ちっぽけな自分だけれど、考え方、受け取り方1つで幸せはぐっと近くに増えていく。何もない自分でも、受け入れてもらえる居場所があるならそこに根を張りたいし、そこにいてくれる人達のことを全力で大切にしたい。
留学でアメリカの人々が教えてくれたことは本当にたくさんある。中でも忘れたくなくて日記に記したことは、
休むことは自分を作ることでもあること。
私が何か成功をして喜んでくれる人もいるけれど、
それ以上に「私らしく生きること」を喜んでくれる人がいること。
さぁ、これからどうしようか?
まずは小さな幸せを、幸せだと気が付けるように。
今は道を選ぶことに自信がなくても、少しずつ自分の「大切」を集めて行けばいつかそれが道しるべになってくれるはずだから。大丈夫になっていくんだと思う。
結局私が出す答えはいつも、当たり前のことなのかもしれない。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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