先生の私が登園できなくなった日

2023年の秋、イチョウの葉が風に舞って

地面が黄色いじゅうたんのようになる時期に

私は限界を迎えて、職場へ出勤できなくなった。


4月から配属されたばかりの職場で

かつ
慣れ親しみのない土地での教育、保育は
不安に感じることもあった

持前の明るさと、人懐こさから
人間関係の不安は深刻ではないものの

与えられたクラスの実情に
息が止まりそうになるほどだった

細かい詳細は控えますが
私の感覚では、40歳以上の大ベテラン主任級クラスが
受け持つレベルの家庭や、子ども達の特性があった

それを6年目の私に。


大好きな幼児教育。

手放すには勿体ないともいえる
職場と家との距離。安定。

だけど、4月からの疲労と
ストレスは耐えられないものになっていたのです。

耳鳴りが止まらず、動悸も感じ
夜に眠れず、体が震えていた

そんな自分をも受け入れられず

そんな中、職場に向かった自分を
今では思いっきり抱きしめてあげたい

よく頑張ったよって。
もう十分だったよって。

職員もみんなが味方だったが

現役時代、療養休暇をとる先生に対しての
視線は冷たいモノも多かった


人手不足なんて
聴き飽きる程きいてるけど

本当に役に立たない猫の手でも借りたいほど
パンパンだった。

現場の現実も知っているだけに

そしてまた
元気印ともいえる自分も同じように
数か月休む先生に、冷たい視線を向けたこともあった

実際になってみないとわからない辛さや歯がゆさ
罪悪感に、手持ちぶたさ

時計の針から追いかけられる毎日から一変し
突然やってきた人生の長い夏休みは

私にとって大切なことを気づかせ
また大きく価値観が変わるものになった

つづく

いいなと思ったら応援しよう!