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希望が見いだせなくなった過去のわたしに捧ぐ〜希望の見いだし方〜


重いタイトルかもしれないけど結構ライトです。(たぶん)

1つ前の記事につながる話



大げさかもしれないけど、タイトルの通り何にも希望を見いだせなくなった(気がした、と言った方が正しいのかも)ことがあった。
その時は日常で何かを「望む」ということがかなり減っていた。
(後から色んな情報を得てわかったこと)


全く望まない、ということではないけど自分の「人生」というものに「望みたい」と思うことがなくなったのだ。
ある程度やりたいことはやってきたつもりだったし、なんか自分も周りも平和だし、これ以上特に何も出てこない、そんな状態だった。
望むことがなくなったのはコロナ禍もあって結構自分で行動を制限していたのもあったのかもしれない。

それと同時に自分の人生に絶望もした。笑
もう年齢も年齢だしな、とか。
人生100年時代と言われているのにおよそ3分の1の30代で何を言ってるんだろう、とも思った。
でも、そのときはそうだったのだ。


振り返ればやつがいる、「大きい望み」がないといけないと思っていた気がする。
こんな仕事に就きたい!こんな家に住みたい!
そういうのがないといけないと思っていた。
でも、当時はそれがなかったのだ。

正しくは「なかった」というよりも、そんな大きい望みが出ても無意識に自分の中でスッと回収してしまっていたのだろう。

どうやったらそうなるの?
きっと無理だろうな…

これも後からわかることだけど現在地から「望み」が離れ過ぎていたのだ。



…うん。それは、絶望するはずね。
これを聞いてるかしら、過去のわたし。
そこから抜けられる方法を書くから聞いてね。

↓↓↓

①日常の「小さな望み」や「目の前の好き」を見つけてみてね
②そして、何にもならなくてもいいから、とにかくそれにフォーカスして動いてみてね


これだけ。
簡単だから軽い気持ちで試してみて。
一応、例をあげておくわね。


今「あ、喉が渇いた」という状態なら「何を飲みたい?」と自分に聞いて出来る範囲でそれを飲ませてあげて。
安いからっていう選択じゃなくて、飲みたいと思ったものね。それがちょっと高いスタバのフラペチーノでもね。笑
「好きな散歩がしたいな」と思ったら散歩させてあげて。雨で面倒くさいな、が出てもね♡


コーヒーに生クリームを入れたいなら入れよう。


そんな些細なことでいいから。
それを毎瞬、毎時間選んでやってみて。
いきなり毎瞬は無理かもしれないけど、思い出したらそれをやってみるの。
最初は「え、何になるの?」「わたしだけ、こんなことしてていいの?」という頭の中のエゴがもれなく囁くわ。
そこだけは(頭の声)頑張ってスルーしてね。

ここにも書いてるわ。


急に何かが大きく変わるわけじゃないけど、気がラクになるわよ。
少なくとも絶望感は消えるから。
それが習慣になったら、離れていると感じる「大きい望み」も現在地から遠く感じなくなるはずよ。


…偉そうに言ったけど、わたしもまだまだトレーニング中だからね。笑
一緒にがんばりましょう♡


ほんの何年か前のわたしへ。
2024年のわたしより。


※途中から口調が変わっていることに気が付きました。でも、このままアップします。
わたし以外にここまで読んで下さった方、ありがとうございます♡








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