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大人ぶらない


高校生とか20歳くらいまでは、大人に憧れて、大人ぶりたかったし、小生意気だったと思う。今となれば、それも若さゆえと思うとかわいいもの。だって「大人ぶる」ことが出来るのは「大人じゃない」から出来ること。


ここから先の話の大人ぶらない、は物わかりのいい人をやめること。
わたしは気づけば物わかりのいい人のフリ、をして生きてきたと思う。とは言え、物わかりの悪い人のときもたくさんある。まぁまぁ頑固だし。
…人には色んな面が、ありますね。


あるとき「こういうことがあったんだ」と話をしていたら、友人から「八方美人なんじゃない?」とフツーに返ってきたことがある。

それはそれはもうウォーキング好きなわたしに「ダージリンリン(わたしのこと)ってウォーキング好きだよねー」くらいフツーの感覚で。
ちなみに、この友人は今でも仲が良いのでご安心を。

それに関しては自覚してなかった。
だから顎が外れるほど驚いた。

(⁠╬⁠⁽⁠⁽⁠ ⁠⁰⁠ ⁠⁾⁠⁾⁠ ⁠Д⁠ ⁠⁽⁠⁽⁠ ⁠⁰⁠ ⁠⁾⁠⁾⁠) ←こんな顔してたと思う


もう1人友人が同席していてその友人は「え!?八方美人!?どこが!?」と驚きながら言った。人によって見え方って本当に違うんだな、と思った。

でも思い返せば、確かにそういう所もあったのかもしれないなーと納得した部分もある。多少なりとも驚きというショックはあったけど、そういう一面もゼロじゃないもんなー。と認めたら、確かに!と気にならなくなった。
この友人は、わたしが他の人との交流をしている姿を知っているし、一理あると思っている。

まぁ1mmくらい「八方美人」という「言葉」には抵抗したいけどね。認めた方がラクだ。それに短所は長所。


話は脱線したけど、大人ぶらない、物わかりのいいフリをしないことについて。
たぶん、この物わかりのいいフリ、のことを友人は言っていたのかもしれないなーと思う。 


無理にその場を和ませようとかしなくていいし、嫌だなって思った人に無理に笑顔を向けることもないしね。

嫌なものは嫌だし、わからないものはわからないでいいし、納得出来ないものは納得できなくていいんだし。できないものはできないんだから。


世間の目とか誰かにどう見られているとか、発言に気をつけたりするけど。もちろん敢えて人を傷つける発言とかは別だけど、そんなに人の目なんて気にしなくていいんだろうなぁと思うようになってきた。

だってさ、わからないものはわからないし、できないものはできないし、嫌なものは嫌だもんね。
納得してないのに、納得してます!なんて矛盾してるしね。もちろん、その場を収めるのに自分がそれを選ぶ分にはむしろいいと思うけど。自分で選んでることだから。

それを前は大人ぶっていたなぁ、とふと思ったのだ。いや、今があまりにも大人ぶらなすぎて、ちょっと改めようかなんて思うくらいだから、どっちがいいのかはわからないけど。


40分歩いてカフェに来て。外を眺めてたらのびのび生きたいな、と改めて思った今日。

やっぱり紅茶










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