憂鬱になりがちな雨を都合よく解釈する
ほんの少しの雨が降るとなぜかホッとする自分がいる。(大雨とか台風じゃない)
今日は雨だから買い物やめておこうか
今日は雨だからのんびり過ごそうか
私にはそうやって休む言い訳ができる。
遡って学生時代。
どしゃぶりの中、自転車で通学中に3針ほど縫うケガをした。誰のせいでもなく、誰も巻き込まない単独のケガだった。
今ではあり得ないけど、当時は傘差し運転など当たり前の時代。
その日は朝から大荒れで、家を出て自転車に乗ってすぐに突風に煽られて傘が壊れた。
でも、家に置きに戻る時間もなかった。
だから壊れて骨が曲がった傘を、自転車のハンドル~サドル部分にひっかけたまま学校に向かった。
若干、嫌な予感がしていたことも覚えている。
その予感は的中で、急勾配の坂を下る時に何かを避けた拍子に脚に当たった。
血の気がスーッと引いた。
嫌な予感がしたところで一度止まれば良かったのだ。自分自身、なんてアホなんだ!と思ったのも事実。
でも大人になればそんな過去のわたしもかわいいな、と思うのだ。
この一件で傘さし運転だけは二度としないと誓った。
そこから雨の日は徒歩で通学することにした。
でもここで問題点がある。
通学路に坂が多い学校へ行くには、徒歩と自転車では通学時間が30分近く違うということ。
※ここで「早起きすればいいだけ」というのは置いておく。
通学路は道も狭く、車も自転車もどちらも交通量が多い。しかも下り坂はみんな猛スピード。
通学ラッシュの時間に歩くのはやや危険。(ただの言い訳)
だんだんとそんな天候の日は自然と2限目から出るようになった。
ちゃんと卒業したいから支障のない程度で。
わたしには雨が、ゆっくり通学するための都合の良い言い訳になってくれた。
今思えば10代でも潜在的にゆっくりしたかったのだと思う。
だから朝起きて雨が降っていたら
「今日は雨だからゆっくり行ける日だ♪」
となぜか気持ちが軽かった。
そして、のんびりと空いている通学路を歩くことが当時の私には幸せな時間だった。
ボーッと空を見たり、傘に当たる雨の音を聞いたり。傘で自分だけのパーソナルスペースが出来ることも守られてる感じがして心地よい。
まだまだ学校に着きたくないな
学校を通り過ぎてしまおうか
そんなことを考えて歩くのも楽しかった。
今でも雨の日の朝はホッとする。
「今日はゆっくり動ける日だ」
そんな風に思うのだ。
(※昨今の台風や大雨は除く)
同じような理由で雨が好きな人は、きっと気が合うと思う。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
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