合コンや精神病院で僕が考えたこと【シオノギ退職を意識するまで】
MRとしての会社員ライフ、最初は満足していたんです。
入社して2年目までは…。
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同志社大学を卒業後、僕が入社したのは『塩野義製薬株式会社』。
言わずと知れた有名企業で、僕にとっては第一志望でもありました。
しかも当時は就職氷河期。
やむことのない「不採用通知」の嵐に、「就活なんて余裕っしょ」と思っていた僕はがく然としたものです(大げさではなく、エントリーした100社中95社に採用を見送られました)。
苦渋を味わいながら、それでも「1社落ちたら2社受ける」「自分が行きたい会社だけは譲らない」不屈のマインドで臨み続け、手にした念願の内定。
実際に働き始めても、仕事は楽しいし給料や福利厚生も抜群にいい。
飲み会は少しハードでしたが、同期や先輩にも恵まれ、本当に毎日が充実していて
とても満足していました。
満足していたはずなんですが…。
入社して2年目後半に入ったころ、「本当にこのままでいいのだろうか」と揺れ動く自分がいることに気付いたのです。
働く中で見えてきた、受け入れがたい製薬業界・MRの真実
そもそも大学在学中~就職活動時、僕の胸中にあったのは、「教育を変えることで人々を幸せへと導きたい」という、強く熱い想いです。
真っ先に思い浮かんだのは、先生になることでした。
しかし先生では、学校しか変えられません。
「もっと教育全体を変えていきたい」と教育業界への就職を考えましたが、「教材だけでは教育は変えられない」とこちらも挫折。
原点回帰し、「人を幸せにするなら医療系もアリかもしれない」と視野を広げたところ、製薬会社のMRなら文系学部卒でも志望できるとわかり…。
路線変更はしたものの、理念や社風にも惹かれ「ここで働きたい」とたどり着いたのが「シオノギ」でした。
ただ仕事に没頭する中、気付いてしまったんですよね。
僕がいるのって「人々が不健康になればなるほど儲かる業界」だという事実に。
確かに薬は病気を治癒し、人々を健康へと導く大切なものです。
だからこそ、
人の命を救える=人を幸せにできる
そう思って製薬業界へ進んだのですが、前提として「不健康な人がいなければならない」ことに、どうしても消化できないモヤモヤを心に抱いてしまいました。
眼前に立ちはだかる、不条理としか思えない現実。
本質を突き詰めるほど、「この先ずっとMRとしてやっていけるだろうか」と考え込むようになっていました。
とはいえ「いや、人の命を救っている」「シオノギは良い薬しか出していない」という自負があったのも確かで。
何とか気持ちに折り合いをつけてMRを続けていたのですが…
バランスを欠いた僕の心は3つの「揺れ」を経て、ついには崩壊。MRとはまったく別の、しかし本来、歩むべきだった道へと意識を向け始めました。
合コンで感じた恐怖。もし「シオノギ」の名刺がなかったら…
次なる「揺れ」は、合コンで女性と話していたとき。
まず製薬業界って、合コンの数が多いんですよね。製薬業界同士で開催したり、ドクターから頼まれたり。多いときで月10回、1日2回(昼と夜)なんて日もありました。
いろんな女性と、毎週のように飲み会。正直めちゃくちゃ楽しかったです。すっかり自信をなくした過去(高校~大学)があったので、なおさらでした。
ただ根が真面目なので、「こんなことしてていいんだろうか」「こんなことがしたくて入社したんだっけ」と考えてしまう自分もいて…。
そんな違和感に拍車をかけたのが、合コンではありふれた以下のやり取り。
女性「どこにお勤めなんですか?」
宮下「塩野義製薬だよ」
女性「へー、すごい!」
おかげで女性からモテることもありましたが、ふと頭をよぎったのです。
「シオノギの宮下浩司じゃなかったら、どうなんだろう」と。
「塩野義製薬」の名刺を持っているから女性にチヤホヤされるのであって、
「名刺がなければ僕に魅力なんてないのではないか…」
「もし会社がなくなったら、僕は何の仕事もできないのではないか…」
「一人の人間として、これでいいのだろうか…」
次々と浮かぶマイナスな考えに言い知れぬ恐怖を感じ、「現状に甘んじたままでいいのだろうか」と心はグラグラ。大きく揺れ動き始めました。
精神病院で見かけた夫婦喧嘩が、かつての情熱を取り戻す契機に
追い打ちをかけるように訪れた、最後の「揺れ」。
それは精神病院で偶然、見かけた夫婦喧嘩がきっかけでした。
2010年に新発売した抗うつ薬の営業のため、精神病院を訪問した日のこと。商談を終えて帰ろうとすると、ロビーに声を荒げる高齢男性の姿が。何やら一緒にいる奥さんに怒っているようでした。
すごい剣幕だったので「そんなに怒らんでもいいやん」と思いながら聞いていると、事の発端は前日、奥さんが「佃煮が食べたい」と言ったから旦那さんが買ってきたのに、奥さんが「やっぱりいらない」と言ったからのようでした。
旦那さんは激高し、「お前のせいで俺の人生めちゃくちゃや!」と究極の一言まで。
僕は「きっと2人は長いこと精神病院に通っていて、大変な思いをしてきたのだろう」と思うと同時に、思考がさらに加速…。
「きっとこの奥さんも旦那さんも悪くない…。抗うつ薬で確かに症状は良くなるけど、根本解決ではないよな…。うつ病にならないように、なってしまう前にできることがあるんじゃないか?…でもうつ病になってしまった人に適切な薬を届けるのも必要な仕事ではある。…でもそれって【宮下浩司】がやるべき仕事だろうか…?」
いや。
根本解決こそ、何より重要。
だからこそ僕はやっぱり、人々が幸せになれる情報発信=「世の中には楽しいことがたくさんある」と伝えていく側の人間になりたい!
揺れ動いていた心はグラっと傾き、崩壊。
見失いかけていたかつての「情熱」をしっかりと取り戻した瞬間でした。
導かれるようにして出会った「起業」というキーワード
ここまでの顛末を、旧友に打ち明けていたときのことです。
「だったら一緒に起業しないか」と誘われることがありました。
「起業?…そうか、起業っていう選択があるのか」
突如、僕の人生に降って湧いた「起業」の二文字。
「起業」というキーワードに出会わなければ、MRとして感じるモヤモヤに「仕事なんてそんなもの」とうそぶき、情熱にも蓋をし、それなりの幸せで満足していたかもしれません。
でも、出会ってしまった。
起業のその先にある、情熱の赴くままに生きる自分の人生を、この目で見たくなってしまったのです。
ただ「シオノギ」という、東証一部上場&超優良企業の名刺を本当に手放していいのか?については、人生一と言っていいくらい本気で悩みました。
順風満帆が約束されたレールから、未知の世界へ一歩を踏み出す。
一世一代となるこの決断を後押ししたもの…。
それは、ある一通のショートメールでした。
To be continued…