大きな震災を経験していない私が、被災地から学んだこと。
震災について
クローバートーク今週のテーマは #震災 。
今回はLINK編集部の酒井がお届けします。
私は、神戸で生まれ、育ち、生粋の神戸っ子。
阪神淡路大震災が起こった1995年1月17日。
私はまだ、生まれていない。
でも、小学校では道徳の時間で震災学習をしたり、月ごとに変わるみんなのうた(毎週月曜日の朝礼時に全校生徒で歌う曲)は、1月は必ず『しあわせ運べるように』だったり、感覚的には“震災”は遠いものではなかった。
*『しあわせ運べるように』は、阪神淡路大震災で自らも被災した臼井真さんが作詞作曲した神戸の復興ソングで世代を超えて受け継がれている。
親はずっと神戸、祖父母も被害の大きかった長田に住んでいたので、たくさん当時の話も聞いてきた。
「車も電車も使えへん。電話もつながらへん。泣きながら、線路の上をずっと走って、お父さんお母さん(私にとっての祖父母)の家まで何時間もかけて行った」
「長田は特にひどかった。どこを見てもめちゃくちゃやった」
という母の言葉は、小学生の私にとって衝撃だった。
怖い。悲しい。嫌。かわいそう。なんでそんなことが起こるん。そうした感情と胸がキューっとなった感覚は今でも鮮明に残っている。
そして、2013年の東日本大震災。
テレビで流れる映像やSNSで目にする情報は、
それまで想像していたものよりも、もっとずっとひどく、想像を絶するもので、「ああ、これが震災なのか」と、痛感した
でも私は何もできなかった
ただただ情報を見つめ、両親がしていた被災地への物資支援を少し手伝ったくらいだった
そして、東日本大震災から1年経ち、高校生になった私は、「被災地の現状を知りたい」、「何かできることはないか」という気持ちから、実際に石巻へ行ってみた。
推薦クラスに所属していたため、担当の先生に相談してみたら、「そうか、そう思うなら、行ったらええやん、応援したる」と課外授業の一つとして生徒2人で行くことを認めてくれたのだ。
震災から1年経った石巻には、びっくりした。現地の様子は、私の復興というイメージを裏切った。
だって、道路に使い古した歯ブラシや下着が落ちていたから。
家の土台部分の枠だけ残っていて、そこに折れ曲がった椅子があったり、大川小学校では、グランドに赤白帽や子供の靴が一足だけ落ちていたりしたから。
「きっと、いろんな家庭がここで暮らしていて、普通に、幸せに、生きていた」
失われた日常を感じて、とっても苦しかった。
石巻では、仮設住宅にも伺った。
ここでも、私の被災者というイメージが裏切られた。
人間の強さを感じたからだ。
仮設住宅で不自由な生活を余儀なくされている皆さん。
それぞれに、大事な人を亡くした人や家をなくした人など悲しい経験をされている。
それなのに、私が仮設住宅で出会った方は、みんな、明るかった。
神戸から来た私たち2人を歓迎し、涙を流して喜んでくださった。
支え合って、悲しみを分け合って、光を見出して、必死に生きている。
「生かされたからには、生きないかん」
涙を流しながら微笑み、私に語ってくれた。
こんなに強く優しい人がいるのかと思った。
「私が涙するのは絶対にダメだ、泣かない」と決めていたのに、我慢できなかった
とんでもない悲しみの中にいるのに、周りへの思いやりや愛情をもって、生きようとする皆さんから、人間の生きていく強さを知った。
駅の前の広場で、“石巻焼きそば”の屋台を出しているおじさんがいた。石巻焼きそばは、関西の焼きそばとは全く違う。出しの味がしみた焼きそばで、ソースの味はしない。
殺風景な広場に、屋台がポツンとあるから、気になって行ってみた。
ちょっとでも石巻の人が元気になればという思いで屋台を出しているとおじさんは言った。
そんな出会いもあって、神戸に帰ってから、神戸の高校生鉄人化祭りで、石巻焼きそばの屋台を出すことになった。
そこでの売り上げを石巻市に寄付するという目的はもちろんあったが、
「同じように震災を経験した神戸の人にこそ、東北の被災地へもう一度思いを馳せて欲しい」そんな思いを込めて、企画した。
屋台の周りには、被災地の現状レポートをボードに作成して、見てもらえるようにした。
そして迎えた祭り当日には、屋台の前に長い行列ができて、本当にたくさんの方に石巻焼きそばが届いた。
私たちの思いに共感して、余分にお金を払ってくださる方もいた。
たくさんの人のサポートのおかげで、高校生鉄人化祭りでの石巻焼きそばの屋台出店は今もずっと続いている。
祭りの後には、現地に行った自分たちだからこそできることをしたいとの思いで、被災地報告会を企画した
長田の街に住む人を中心に呼びかけると、約100名が集まった。
それに、何よりも嬉しかったのは、石巻で出会った方が、神戸まで来て、報告会を見に来てくださったこと。
私たちの発表を聞いて、涙を流し、感謝してくれた。
何かできることはないかと私たちが動いているのに、被災された方の強さや優しさに、現地でもここでも、こちらが力をもらった。
こんな経験を高校でさせてもらえたことは、きっと一生の思い出だと思う。
この経験から学んだことは、二つ。
一つは、人の生きる強さ。もう一つは、震災を忘れないこと。
人は、強い。石巻訪問中、何度も人の強さに感銘を受けた。
でも、強く入られるのは、周りにも同じ境遇の人がいるから。みんな仲間として、支え合って、励まし合って。悲しみも、とことん感じて、一緒に涙して。みんな精一杯生きていた。
そんな人間の強さを、知った。
そして、震災は忘れてはいけない。これがなかなか難しい。
被災地に思いを馳せることも、復興支援の一つなのだと思う。
毎年1月、3月になれば、当時の映像がメディアでも特集されているが、それだけでなく、個人としても、震災を風化させないようにしたい。
学校に行って講義を受けて、そのあとは友達と遊んで、家でゆっくりご飯を食べてお風呂に入って。そんな今ある日常は当たり前ではない。どんなに有難くて、幸せなことか。
それを忘れないでいたい。
神戸では、もう直ぐルミナリエが始まる。
なんだか観光化してカップルにも人気のルミナリエだが、本来は阪神淡路大震災の復興のために始まったもの。
この記事を読んでくださった方が、ルミナリエに行って、ただ光を楽しむだけでなく、少しでも震災へ思いを馳せてくれると嬉しい。
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