鬱って『心の風邪』というよりも、自転車の補助輪が外れたとき
※以前書いていたブログから、残したい記事を順次移動しています。
今朝のタロットライブ(毎週日曜日10-11時。
音声配信プラットフォーム『スタンドエフエム』にて配信中!!)で、
「自分の人生を生きることは一人で自転車を乗れるようになるような体験」
という話をしたんだけど、それについて以前書いていたブログ記事を思い出したので、以下に転記します。
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2006.04.05
鬱って『心の風邪』とよく言われるけれど、
私はその表現があまり好きではない。
『風邪』と言ってしまうと、早く風邪を治して、
『元の健全な自分』
に戻らなければならないという気がするからだ。
だって、完全に元のようになんてならないもん。
鬱を経験してから、前できていたことのいろいろ
(満員電車に毎日乗って通勤したり、
他人の罵声をなんでもなくやり過ごしたり、
3つのことを同時進行したり、
知らないところに電話したり等々)
が努力してもできなくなった。
要領は悪いし、物忘れはひどいし、
追いつめられるとパニックになるし、
前の私だったら考えられないような失態をしでかす。
だからといって、今の私が前の私より
総合的に劣っているわけではないし、
むしろ私は鬱を経験して
今のこの自分があることに感謝している。
自分でいうのもなんだが、
今の自分は昔の自分より優しいし、
穏やかで、いい意味でのあきらめもよく、
肩肘張って人を蹴落とすことで
自分を保っていたころより、
ずっとずっとつきあいやすい愛すべき人間だ。
私の経験に照らして言うなら、
鬱は『心の風邪』なんかじゃない、
と断固として叫びたい。
だいたい、風邪という
『誰でもなることだから怖がらなくていいよ』
というオブラートで包んではいるが、
『かからない方がいい』『治った方がいい』
というニュアンスがその裏に含まれていることが
私は気に入らないのだ。
そんなもの、経験しないほうがいいに決まっている。
「○○さんは、ストレスから鬱になっちゃって、
自殺までしようとしたんだって。
おお、怖い、怖い、
私はそんな目に遭いたくないもんだわね。」
まあ、世間一般の反応はそんなものだろうけどね。
私は、鬱って
『自転車の補助輪が外れたとき』
なんだと思っている。
ちょっとしたきっかけで、
いままで使っていた補助輪が外れてしまった。
さっきまでのようにうまく自転車を操縦できない。
バランスを崩して転んで、
怪我をしたりするかもしれない。
でもね、そんなに不安になることはないよ。
あなたはもっと早く、
もっと遠くへ出かけてみたくなっただけなんだ。
Welcome to real world!!
鬱は、心の自立の第一歩なんだ。
鬱になったらしばらくはかなりきついけれど、
前はできなかったことができるようになる
きっかけなんだよ。
必ずあなたは、もっと広い世界を
自由に走ることができるようになる。
だからうっかり外れた補助輪を、
もう一回つけなくちゃなんて焦らなくていい。
もう二度とつけられない補助輪を抱いて、
絶望の涙を流さなくってもいい。
涙を拭いて、補助輪なしの自転車に
乗ることに挑戦してみよう。
さて、ここで実際の自転車に乗れるようになったとき
のことを思い出してほしい。
いきなり補助輪を外して一人で自転車に
乗れるようになったという人は滅多にいないだろう。
最初はきっとだれかが、不安定な二輪車の荷台を
支えて一緒に走ってくれたに違いない。
「うまい、うまい!
そのまままっすぐこいで、こいで!」
なんていう励ましと、
「大丈夫! ちゃんと支えているよ!」
という少しの嘘と、まあ、人によっては
「転んで泣いてないで、もう1回頑張りなさい!!」
なんてスパルタと、
とにかく、だれかの助けがあって、
あなたは自転車に乗れるようになったはずだ。
まじめで、几帳面で、頼まれた仕事はきっちりやり、
いやな顔をしたり、怒りを人にぶつけたりせず、
熱心にだれかの相談にのるような・・・
そんな人のほうが鬱になりやすい。
いままであなたは、一人でなんでもやってきて、
どっちかというと
人に頼ったりするのが苦手だったはずだ。
だけどね、今はだれかに
荷台を支えてくれるように頼んでみよう。
きっとあなたの近くに、
あなたの役に立ちたいと思っている人がいる。
そんな人が見つかりそうになかったら、
専門家(精神科医やカウンセラー)に
頼むのもいいだろう。
ネットで、同じような体験をした人たちと
語り合うのも有効かもしれない。
ただし、一つだけ気をつけてほしいことがある。
それは、最終的な目標は
『一人で補助輪なしの自転車に乗れる』
ようになることだということだ。
この目的をかなえるためには、
いままで身近であなたを支えてきてくれた人は、
適切な人材ではないかもしれないということも
心にとめておくべきだ。
例えばいい例が、あなたのことを誰よりも大事に
してきてくれた『お母さん』という存在だ。
いままでお母さんは、
どんなときもあなたを受け入れてくれた。
入試に失敗したときには、
「大丈夫。来年がんばればいいじゃない。
一年くらい、長い人生の中でなによ!」
と不安を蹴散らしてくれた。
彼氏と喧嘩して泣きながら帰った夜には、
そっとあたたかい飲み物を差し入れてくれて、
しらんぷりをしつつも隣室で気づかってくれた。
そんないいお母さんは、
正直、今回はあてにしないほうがいい。
不安定なあなたは
お母さんのやさしさに甘えてしまうし、
お母さんもあなたの傷ついた姿をみることに
きっと耐えられないだろう。
あなたのことを心配してくれるお母さんほど、
荷台をしっかり持っているくせに、
こんな嘘をつくかもしれないのだ。
「すごいわ! 一人で乗れているじゃない。」
「本当!?」と、ふり向いて確認しようとすると、
「ふり向いちゃダメ!!
お母さんがちゃんと見てるから大丈夫。
あなたは前だけみていなさい。」
と、真実を隠すのだ。
よい子のあなたは、
なんだかおかしいなと思いつつも、
お母さんの言うことを信じて、
前だけみてノロノロと自転車を走らせる。
その結果、あなたはなんだか思いっきり走れないし、
お母さんはお母さんであなたの後ろを
絶えずついて走らなければならなくなり、
いつかはお母さんのほうが
疲れて倒れてしまうだろう。
「お母さん、もう手を離して!
私は一人で乗りたいんだから。」
と、言えるまともさを、どうか忘れないでほしい。
もう一回言うよ。
鬱になったあなたは、自転車の補助輪を
はずしたばっかりと同じなんだ。
誰かに手伝ってもらうことは
必要かもしれないけれど、
転んでもあきらめずに練習すれば、
いつかスイスイ乗れるようになって、
どこまでだっていけるようになる。
風が気持ちいいよ。
あなたがその風を感じたいと心から思うなら、
きっと自由に乗れる日はくるさ。
Fight!!
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