図書館(本)とボクの話
仕事帰り、白いシャツのあちこちにボールペンでラインが引かれていることに気づきます。
どうも、二日坊主こと、りんです。
ある日の相談電話から
ボクの生業は福祉「相談屋」。電話でもお受けしています
経過報告のように一日数回、電話がある40代の男性、本田健三さん(仮名)から先日、読書の話題が出ました。
どういうわけかこの方にはボクが本好きと言う認識があるようで本の話題を持ちかけられることが多いです。
本田さん(以下、本):「今日は午前中にいろいろ用事をすませたので午後からのんびり読書をしようと思うんですよ。」
こう言う場合は、彼の興味を知るのにも「本」に関する内容を深める問いを返すのがセオリーだと思ったものですから、
りん(以下、り):「そうですか、どんな本をお読みになろうと?」
本:「○○○の(なんたらかんたら)ですよ(もちろんご存じでしょ?)」
知りゃあせんし、もうすでに覚えてもいません。
り:「へー、ちょっと私は知りませんが、お好きな作家さんなんですか?」
本:「いやー新聞で紹介されていたんですよ。わたしね、新聞で紹介された本の中から、いつも興味がある本を読んでるんですよ。○○図書館で借りてね」
り:「あー駅前の図書館ですね。(お住まいと)お近くでしたっけ?」
本:「バスですよ、遠くてもいきますもの、わたし本だけでしょ、趣味」
り:「(知らん)あーバスで」「あそこ、お茶するとこありますよね。カフェ。コーヒー飲みながら借りた本、読めるとか」
本:「そうなんですか(棒)」
おっいきなり、興味ないわ~な反応。ちょっと、この話題を続けてみよう。
り:「はーまぁありますね。館内をぐるっとまわられたり、本田さんは、されたことありませんか」
本:「ないです。借りたい本は事前に電話であるかないか訊いて、予約やリクエストしておきますから。そうすればカウンターに行けば受け取れますよ、便利なんですよ」
知らんのですか?口調はカンベンしてください。知ってますよそんくらい。
り:「なるほど…」
言ってやろう。
り:「読む本、借りる本を決めずに図書館に行くことも楽しいですよ」「私、本との偶然の出会いも楽しみなんですよね。本屋や図書館って。ふらっと図書館に行きますでしょ。書棚に沿って歩くんですよ。棚を平面に広くとらえて、だーっと流し観るように歩くんですよ。それでね、なんかですね。ふと目にとまるんですよ。目がとまるというか。一冊の本にね。
足をとめ手に取るわけですよ。で、ぱらぱら、と。そんな本が、実は長くずーっとココロのもやもやになっていたことを、さーっと流すようなことが書いてあったりするんですよ。いやホントに。そんなのを楽しむんですよね」
長尺で言ってしもうた。
本:「そうですか(棒)」
すか、ですか。思った以上にフックなき、長いロープのようなボクの話…。
では終話に向かっていきますよ「本田さん、良い時間、ご自身で選ばれたすてきな時間の過ごし方、楽しんでくださいね。では、また」
公立図書館は神施設
どうも、改めまして、りん坊主です。
今日は本についての話題です。厳密には図書館ですね。
公立図書館は行政の便利な公共サービスの象徴だと思います。加えてボクが利用する図書館のスタッフさんからは高いホスピタリティも感じます。ハード面だけでなくその便宜は図書館行政やスタッフさんの努力でもあると感じます。
図書館は知識や智慧、情報、娯楽を本などの媒体から得られるだけでなく、まちのサードプレイス(居心地の良い「場」)でもあったりします。
また本を見つくろって自動車にのせて、まちに出ていく「移動図書館」「自動車文庫(口を一度も閉じずに言ってはいけません)」なんて、まさに地域に赴く福祉の取り組みにもつながる気がします。
本の蔵書検索も便利。あの本、図書館に置いてないかな?と夜の遅くに思いついた時にも、開館日、開館時間に出向くか電話で尋ねる必要がなく、スマホで公立図書館のサイトを開き蔵書検索すれば蔵書の情報がすぐ得られるようになっています。
例えば、りん著:「3日続けば、上出来!」検索っと。
「検索結果なし 条件に該当する資料がありませんでした。」と。んーと、ない。ないもんはない。と迅速かつ明確な答えが得られます。
無駄足なしのタイパ良し!
セレンディピティを楽しみましょう!
おっと、これは大いなる機会ロスです。不易のナニモノでもありません。
急に割って入って異論申すヤツでスミマセンがこれは言っておかないといけません。
前半のエピソードでも書きましたが、(なんぞ誰かに促進要因を仕掛けられていようがいまいが)意図せぬ出会いを楽しんだり、潜在的に求めていたこととの出会いや発見があり、楽しいことがあります。
いわゆるセレンディピティ。
最近、セレンディピティを楽しむにも、ちょっとココロの持ちようがある気がしてます。
Jomo
Joy of missing out の略で、見逃してしまうことを楽しむことを表すコトバだそうです。なんか能動的、主体的な意思をあらわしているように思います。
SNSや流行りのアニメ、ドラマ。1日24時間じゃ足らないほど世の中には楽しそうなものが溢れています。スマホをネットにつなげばそれに沿うカテゴリーの情報がその後、あらゆる場面でレコメンドされ続けます。
そんな中、知らず知らずのうちに情報を見逃さないようにと焦り、見送れ見落とし見逃したことを悔やんだり、見逃すことを恐れる(fear of missing out)ようになっていくことがあるそうです。
それに反し、見逃してしまう選択もあるんじゃないか。と。
もうそれは情報過多社会の囚われからの解放!
何かに意図せず出会ったことを「偶然?これは必然!」なんてエモーショナルな魅惑の体験にしてしまう。あーキケン。
キケンな世界にようこそ。
情報の損失回避バイアスより、よきバイブスを。
図書館とボクのプライベートを少し
jomoれず、図書館記念日4・30を逃した!fear of missing outの結果、
図書館(本)とボクのプライベートについて続けて書きます。
初めてお付き合いをした女性との出逢いは図書館でした。
予約した本だけをカウンターで受け取っていたら、会えなかったな。
就職後に恋をした相手はボクが勤めていた書店に良く来店された女性でした。
書籍通販が今みたいに便利だったら、会えなかったなあ。
あなたが、もし電車やバスで通勤・通学していて、ステキな出会いがあったのでしたら、こう言いましょう。
どこでもドアなんてあったら、キミに会えなかったね。
今日の話題は以上です。
裏テーマは「続・不便益を語る」でした。皆さんもレッツエンジョイ不便益!
今更なんですが、便利と不便は表裏一体な訳で…、多様な捉え方は個人の中にあるわけで…。ずーっと書きながら思っていたことがあります。
「無分別」をテーマで語る方がボクはすっきりするのかも、知れない。
それはまた○日目の坊主の語り。