監獄みたいな寮に入った話#3
入居してから一週間とちょっと経っただろうか?
私が監獄寮に住み始めてから分かったことが一つある。
それは、案外やっていけるということだ。
人間の順応能力とは恐ろしいもので、ものの数日で慣れてしまった。
筋トレすら肩を狭めないとやるのもままならないくらいの窮屈な部屋の狭さも、四六時中鳴いている聞いたことのない鳥の聲も、凡そ現代とは思えない程の不便な暮らしも。
長い長い人生の中のたった数年くらい、こんな数奇な生活送っても良いかな?とさえ思える。
人と違うことをしてる感に楽しさを覚えている。
(流石にヤバイ奴)
話は変わるが、“生活レベルは一度上げたら中々戻せない”、なんて話をよく聞く。
「今より狭い家に住むなんて想像も出来ない。」
「今よりも会社から遠い場所に住むなんて考えられない。」
皆口々にそうやって生活レベルを落とすのは難しいという。
私はこれは少し間違ってると思う。
正確には、“見栄やプライドのせいで、落としたくても落とせない”
これが正しい答えなのではないかと思う。
早い人なら幼少期から、受験のような
“明確に周りと優劣をつける競争社会”に身を置いてきた我々にこびりついたプライドという名の錆は中々そう簡単に取れるものじゃない。
こういったプライドが自分を締め付けている元凶だったり、苦しめている根幹というのを正しく認識できている人はあまり多くないと思う。さらには、認識できていたとしても、それを解決しようと行動できる人なんて、それこそ砂丘で落とし物を探すレベルの話だ。
だから、「生活レベルを落としたことで、あの人は転職に失敗した、出世コースから外れた、給料が減った、そう思われたくない結果、生活レベルを落とせない」というのが私が思う、生活レベルを落とせない原因の正体だと思う。
こうした社会全体に蔓延る病は、無味無臭・遅効性の毒ガスのようで、長い時間をかけて人間を蝕んでいくんだろう。自分が毒に侵されているということに気づかずに。(多分私も大分やられてるはず笑)
その毒ガスの効果範囲外と言っても過言ではない
この監獄寮に来たことで、幸か不幸か、こんな思考が出来た。
こんなところに住めない!なんて思う人は大勢いるだろうが、私のような普通の人間が実際に住んでいる以上、住むことが可能なのだ。
いずれ私も社会という迷いの森へと旅立つ。
もう私も手遅れかもしれないが、その時までにせめてもの処世術として毒ガスへの対策はしておかないとね笑