劇中バンドでライブをした話
映画「ディスコーズハイ」に劇中バンドP-90として出演した。映画の公開は2022年。撮影は2020~2021年。ギターソロを納品したのも2020年と考えると音楽と映画の制作期間のギャップには圧倒的なものを感じる。週末は映画のイベントとして、ライブハウスで「ディスコーズハイ」の上映直後にP-90のライブを行うという「味なマネ」をした。ライブハウスとはいえ映画を見るわけなので当然椅子がある。ただあの頃とは違い少しだけ警戒が解けた歓声や拍手だった気がするし、気のせいであれ救われる。コロナ禍、同じ会場心斎橋JANUSでも全員が着席というスタイルでThe BEGとしてライブを行ったことを少し思い出した。
格好良かったですと沢山の方に言って頂けました。実はいつもアレをやっているんですよ。行ったこともないようなライブハウスで、見たこともないようなバンドが、聴いたこともないような言葉の飛ばし方で。あなたに知ってもらうのが少し遅くなってしまっただけだ。ごめんね。
国民クラスの熱狂、野球には程遠い。誰もが涙する美しい感動、ドラマ、映画には比較にならない。痛快に笑わせる風速を叩き出す、お笑いとも何かが決定的に桁が違う。音楽には全く何もない。が、その「何もなさ」が自分にとっての居場所で、自分に似ていて欲しくて、自分を見ていて欲しく今日もミュージシャンとして浅き夢笑う人間もどきが文字を綴っている。
「こだわり」はモノづくりに於いて必要不可欠なイメージで、確かにそういう一面が強く、それにより救われたりストレスが軽減したり喜びが生産されたりするものではある。美化もし易い上に美化すること自体によってコミュニティーが形成され、より他の作品や部品へのタッチポイントにもなる。自分を知ることさえできる。しかし、こだわりが「自分を〇す」側面や「自分を縛る」性質もあるというのは、もっと沢山の人に面白がられていい議題なんじゃないかとフワッと微睡ながら電車に揺られていると反対方向に乗っていた。とほほでやんす。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?