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「将来の夢」はないけど、理想の自分はある

僕は夢を語るのが嫌いだ。 

学校や子供時代を生きてる中でほぼ100%聞かれる質問「将来の夢は?」って聞かれる場面は多いと思うが、そんなもの考えることはなく、いつも適当に答えていた。

もちろん自分を含めた誰もが将来は知るはずがないから。

この前訪問看護の看護師さんと話していて、この話で盛り上がった。

最初に話で出た結論から言うと、夢ではなく理想の自分として考えればどうか、という事。そっちの方が僕にも分かりやすくて考えやすかった。


 「理想」というのは、考えうる完全なものや最善の目的という意味だそうだ。

理想の自分ってのも難しいが、僕が考える理想っていうのは早くFireしたいとか、1000万、1億の家に住みたいとかが理想の自分だと思う(自由で何物にも縛られない人間になりたい)


でも夢は、なんだか現実じみていて楽しくないものって感じ始めた。


看護師さんとの会話の時に、僕はスティービーカウフマンさんという6か国語を話せる人に憧れていて、将来多言語を操りたいという夢があることを言った。

自分では、大学1年から始めた中国語から攻略していって最終的にはHSKという世界共通の中国試験の5級を手に入れた。

でも資格を獲得するのが目的になって、就職にも役に立っていないただの承認欲求を満たす為だけに資格を取っていたんだって気づき始めた。

もちろん有効活用できる人にはこんな発想はないかもしれない。

大学1年の時に初めて看護師さんに話したことは、中国や憧れのイギリスに行ってみたいという夢を語ったのだが、いつしか資格を取ることが目的になってしまって、本当の夢が分からなくなってしまっていた。

これを書いている今でも、”理想”の自分を模索中だ。



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龍さん/マリネスコ・シェーグレン症候群
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