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焚き火の話 <原点を定める火>

可能なら、平日。車で中央道を下っていく。トランクには、バックパックとクーラーボックスを、助手席にはカメラバッグを積んでいく。

高速を降りたら、進むにつれて細くなっていく道を辿る内に、徐々に標高も上がっていく。気が向いたら、道の駅で食材を足したりしても良い。

最終目的地は都度違うが、できれば区画などが切られていない、整地もされていない、より自然に近い形のキャンプ場がいい。

到着は大体、昼下がり、といった時間帯だ。真冬にはテントと折り畳み可能な薪ストーブを持ち出して、いわゆる「ホットテント」という構成にするが、タープとハンモックというシンプルなパターンもいい。

設営が終わったら薪の準備にかかる。薪はあらかじめ買っておいて持ち込むこともあるし、キャンプ場で買うこともある。場所によっては現地で枯れ木を調達することもある。いずれにしても焚き火に使うなら、手斧で割っていく必要がある。

太いものなら、一本の薪を三、四本に割るくらいがちょうど良い。硬く、しっかりと締まった広葉樹の薪だと手斧で割るのはなかなか困難で、どうしても割れてくれない厄介なものに出会うこともままあるから、悪戦苦闘の末、汗だくになって薪割りが終わる頃には、ちょうど日も傾いていたりする。

椅子に座って、少し体を冷やしながら、割った薪を一本手に取り、ナイフの刃を断面に垂直に当てて、上から別の薪で叩いていく。ナイフが徐々に食い込み、やがて薪は自ずから木目に沿って裂けていく。それを何回か繰り返して、「小割り」を五、六本ほど用意する。

その小割りをまた一本手に取って、横からナイフを当てて表面を軽く削いでいくと、薄く削られた部分がすーっと菊の花びらのように巻き上がっていく。先端に届く手前で刃を止め、また繰り返し同じように刃を入れていくことで、その薄い花びらが何枚もついた「フェザースティック」ができあがる。

最後に、火おこしに使うものをまとめたポーチから、白樺の樹皮と、「フェロロッド」を取り出す。この、フェロセリウムという、鉄とセリウムの合金でできた金属の棒をナイフの背で勢いよく擦ると、三千度にもなるという高温の火花が散る。ナイフの刃で白樺の樹皮の表面をこそいで火種を作っておき、そこにこの火花を当てることで、小指の爪ほどの小さな火が生まれるのだ。ここから、「焚き火」が始まる-。


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焚き火は「原点」だ。

「原点=Origin」という言葉の中でも、最もプリミティブな意味、座標軸の基準点という意味での、原点。二次元のグラフなら {x,y}={0,0} 、それこそ、何も足さず、何も引かない、ただ一つの点。

日頃、人は「境界」によって自分を定義されて生きている。自分のエリアはここからここまで。「自分の居場所」は天地と四方を壁で仕切られた空間で、「自分という存在」は、自他の認知の共存と競合の中で導かれる「線」が輪郭になって成立していて、その上にさらに「肩書き」が嵌められたりする。物理的であれ社会的であれ、この「外から嵌められた枠」というものがまずあり、その「内側」が自分だ、という約束があって、そうして初めて自分というものが、所与の定義をもって「認知される」、という構造になっている。

しかし、「ここ」にはその約束がない。炎が揺らめき燃えているこの世界での自分の居場所は、炎がその中心だけを定めている。「自分という営み」はその炎の光が照らす範囲、その熱が温める範囲によって成立する。しかも、範囲と言いながらも明確な境界があるわけではなく、明るさも温度も途切れることなく連続して広がっていて、「どこまでがそうなのか」、という問い自体も、闇の中に果てしなく希釈されて溶けていく。何を向けても、何を投じても、何も返ってこない。呑まれたものが無くなったのか、まだそこにあるのかもわからない。無限ではないのだろうが、果てはない。

ここでは、もはや、今や世界の中心となった炎を見つめ、薪の爆ぜる音に耳を傾けるしかない。その中心に背を向けても、その先には闇しかない。「一点の炎」だけが唯一の確かな「構造」なのだ。そして無限が収束するその焦点に向き合うと、その向こう側に自分自身が射影され、此岸の光と熱と同じように、その影も無限に広がる内向きの闇の中に、継ぎ目も綻びもなく放散していく。そして鏡合わせの極限が結び合わされる一つの点で、認知は反転して記述となる。認知される自己が記述される自己へと転換し、煙のように漂いながら、無限に紛れて消えていく。


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……まぁ、炎を見つめながらそんなことを考えているわけでもないんですが、そういう構造が、「焚き火の気分」の根底にある気がします。少なくとも、「枠から解放されていること」「底の見えない闇を背に、その空間の中心点に対峙すること」というのが、あの独特な時間に、自分を惹きつけているのかな、と。

孤独で、寄るべなく、心細くて、そしてそれが心地よいー。

自分がキャンプをやる理由は他にもいくつかありそうで、それもいずれは何らかの形で書き出しておきたいと思うのですが、まずは、これから何を続けていくにせよ止めるにせよ、原点を定めておかねば、ということでこの話から。焚き火は原点。ここから、動画を上げたり、雑文を書き散らしたりしていく心算でいます。

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