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針生検をしてつくづく感じたこと

前回の続きです

衝撃の針生検を経て、
倒れるように昼寝をしたら痛みの大半は引いていました

事前に針生検をすると知っており
検査の仕方も把握していたのなら、
車で行くのはやめたかもしれない
左腕を動かすと痛むので
運転が危険でした
これからの方はご注意を!

検査中、天井を凝視しながらずっと思っていたことは、

ごめんね

ホントこの言葉しかなかった

バチン!バチン!と針を刺されて
細胞を抜き取られてる私の左胸に申し訳なくて、、、

あれからずっと、
いや、要再検査の通知が来てから
私の中では、
私の身体はまた自分とは違うもの、という感覚がある

何を言ってるのかわからないですよね
自分でもよくわからないです(笑)

腫瘍はまだ何モノかわからないけど、
身体に不調な異変が起こってるのは確か

でもそれは、“起こった“のではなくて
私が“起こしてしまった“という意識がとても強いのです

そういう意味では
私の身体であって私の身体ではないという感じ

一緒に“私“を成り立たせてくれているパートナーのような感覚で捉え始めました

無理をさせていたな、と思うのです

私は健康オタクなので
身体に良いことばかりやってるという自負があったけど
知識を試して楽しんでるだけだったように思う
ほんとうに、身体の声を聞いていたかというとそうではなかった

私という自我、
私という意識、
私という身体、
こんな三位一体を思う
これらがみんなバラバラだった
一番物言わぬ身体に負担がいってその結果悲鳴を上げた、
そう思えてならない

私の身体は、検査で一番ダメージを受けて
血を流し、痛みを引きずり、
ほんとうに可哀想なことをした、ごめんなさい、
という思いが尽きない

私の自我も意識も同じ問題に向き合ってるけど
痛みなどの負担は
身体のみが請け負ってる

病と向き合った人は
自分とも向き合えるようになるのかな

価値観や人生観が変わったともよく聞く

自分を大切にしよう、という決意もよく聞く

大切にするのは
自我、意識、身体の3パーツあると提案したい
3つそれぞれを尊重すると
きっとバランスが取れる
その時ほんとうに自分を大切にできてるって言えると思う

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