「パーソナルMEMEX」の妄想
「パーソナルMEMEX」の妄想
この記事は、以下の記事の続きです。
AIに近づいてみた!|lingmu0788
https://note.com/lingmu0788/n/n1104657c32e2?from=notice
単独のAI:例えばChatGPTとNotionのQ&Qで大きく違う概念は、データソースがほぼすべて自分で生成したものである点だ。
自分が間違えた情報をここ:notion上に保存しなければ、そもそもAIのハルシネーション(嘘)は発生しない。
しんちゃんの長年の夢である、パーソナルなMEMEX:記憶補助装置に近いものがnotion+AIであるていど実現できるかもしれない。
ある時期、BTRON、そしてそのフレームワークを踏襲したWindows上で動く仮想マシン内の「超漢字」というシステムにはまった時があった。そのシステムでは実身/仮身という非常にユニークな概念があった。このNotionにもBlockという参照できる機能があり似ている所もある。
この超漢字のシステムは古く、開発が止まっしまたために今となっては実用性が乏しい記念物的なモノになってしまった感がある。とても残念なことである。
この超漢字ではインターネットのリンクを開いたり、リンクを埋め込めたりはしたが、仮想マシン上で動作してるという制限もあり、日常的にバリバリ使えるものではなかった。致命的なのはデータ数が制限されてしまっていることや、相互リンクの可視化もあるていど出来ていたがその数が増えてくると細かすぎて実用に耐えない貧弱なものであた。
★超漢字ウェブサイト http://www.chokanji.com/
そこに、このNotio AIが登場してとても期待が高まっている。
今にして考えると、今のようなほぼ無限にも思えるインターネットのデジタル空間とストレージされた桁違いのデータ量が実装された世界はSFの中だけで、実装にはとても長い年月が必要だとなかば諦めていた。しかし、今それが現実のモノとなっている。
知の集積でいえは、古代からある図書館的な文字書籍の巨大がストックがイメージされる。しかし、今では過去のこれらの書籍情報は今のデジタル情報に比べればデータとしては微々たるものになってきてはいる。ただ、昔の書籍には権威があり、執筆出来るのも極限られた人々しかいなかった。
一方、現代はどうかというと、昔に比べると膨大な量の情報が日々生成されており、発信者はほぼ全ての人に開かれた。それゆえに、情報は玉石混合状態になってしまった。人類全体が生成するデジタル情報は日々増加している。それゆえに所望のデータにアクセスするには、これもコンピュータによる検索エンジンが不可欠になった(Moziac、Googleの様な)。
インターネット検索で各企業が覇権を争い、現在はGoogleの一人勝ち状態である。この競争のさなかにあって、未来技術としてネットワーク空間を自動で検索して回るエージェント機能について未来の新しい技術として時々話題に上ってはいた。しかし、ChatGPT以前は現実には実装されることはなかったのである。
それが、シンギュラリティーが近づくに従って現実味をおびてきた。
ChatGPTを始めとするLLM(大規模言語モデル)として表れてきている。LLMは事前に膨大な量の情報を事前にインストールしてあり、その情報からディープラーニングといわれる深層学習をして内部に膨大な各情報の多次元関連ベクトル情報が保存されている。それを基本にしてユーザと自然言語で対話が出来るようになってきた。必要ならは、これらの学習情報に加えてインターネット検索して関連情報をピックアップすることも可能になてきている。
さて、これらのサーバーに蓄積された情報はパブリックな性質をもつ。一方、しんちゃんが注目しているのは専らパーソナルな空間。外からの情報、他者との交流は絶対に必要だけれど、それに対峙しているのは自分(そもそも自分とか自由意志があるかどうかは???ですが)の知的空間の拡大と自由度の拡大のための、パーソナルMEMEX。
自分でパーソナルMEMEXを実装するのは無理にしても、つくられた道具やシステムを利用すれば実質達成できるかもしれない。自動車は作れなくても自動車を運転できる人が殆どなのだから、なにも全部自分で作らなくてもいいだろう。
そこでパーソナルMEMEXを運用すのに大きな問題は、人は忘れる動物だということ。全部を記憶するのは最初から無理なんだから、何らかの適切なキッカケ=トリガーがあれば容易に取り出せることが出来れば、知識を蓄積する甲斐があるというものである。
学生時代、わりと数学得意だったはずなのだが、いまとなって全然使えません! あれだけ手間暇かけて覚えのに悲しい事実ですでね。
つい最近、知の巨人である松岡正剛さんがお亡くなりになりました。
以前、彼がプロデュースした本屋内の本空間:「松丸本舗」へ一度だけ訪ねたことがありました。そこには立体的に配置された書棚に様々な切り口で分類、関連付けられた本達がディスプレーされていました。一種、母の子宮内の様な閉じられた神秘的な空間でした。
★Amazon.co.jp: 松岡正剛の書棚: 松丸本舗の挑戦 : 松岡 正剛: 本 https://www.amazon.co.jp/dp/4120041328?tag=booklogjp-item-22&linkCode=ogi&th=1&psc=1
これを更に発展させた多次元の知の幻想的空間をデジタルで構築する試みのされていた様ですが、その脳内部にしかない特別な空間は、知を愛する者にとって見たてぬ夢だと思います。
それを、どんな形になるか分かりませんが、AI、デジタル技術を使って構築してみたい!
その具象的な形が、松岡正剛さんの「松丸本舗」ではなかったでしょうか。今では無くなってしまたので訪れることはできませんが、何らかの象徴となる現物でも表現してみたいものですね。
これを書いているうちに出てきたキーワード:「パーソナルMEMEX」はなかなかいいネーミングだ。
自分の脳内での情報のシナプスの連鎖+外部との連鎖=「パーソナルMEMEX」
これは、身体性をもつ人間がすべてを自分の身体を通して理解している、経験していると言ってよい。例えば、テニスの試合をテレビで観戦していたとして、自分の身体の経験の延長線上にテニスがなければ、その人にとってそれは無いのと同じである。
何かが腑に落ちる、身につく等の表現は、すなわち対象が身体化されるということだ。
もう車の免許を取ってから久しいが、習い始めのころはぎごちなくて狭い道などで立ち往生して壁にボディーを擦ってしまった経験がある。しかし、いまではどうだろう、驚くほど狭いスペースに車を走らせる事も出来るようになってきている。
それは、長年の運転経験で車の車体が自分の身体の延長線上にあるかのごとく操作できるようになっているからだ。
ラケットを使うスポーツであれば、ラケットが手と一体化して、体の一部が直接球を触っている感覚に近づいていく。
ますます、「パーソナルMEMEX」の妄想が雲霞のごとく
モクモクと湧いてきます!!
では、では。
定年前後の悩めるサラリーマンの悩みに
いっしょになって、じたばたする
変なオジサンの しんちゃん です。
毎日、stand.fmというラジオで発信しています。
しんちゃんの、stand.fmのURL↓
https://stand.fm/channels/5fca06ac674c8600a6d6d87b
最新のラジオは
以下のメルマガに登録して頂いた方に限定配信していますので、興味があれば
登録お願いします!
↓
しんちゃんメールマガジン
https://my81p.com/p/r/p45UkVJu
#新定年マン
#定年
#定年前後
#定年退職
#キャリコン
#キャリアコンサルタント
#セッション
#CahtGPT
#AI
#Notion