ひきこもりってなにが悪いの?
先日、「大人のひきこもり/池上正樹」を課題図書にした勉強会がありました。
それきっかけで、いろいろひきこもりについて考えていますが、難しい。
この勉強会を経て、2つだけ気に止めようと思ったことがあります。
1つ目。ひきこもりを無くそうとしないこと。
マイノリティが排除されがちな原因には、「無くそうとされるムーブメント」にあると思っています。
だからマイノリティに寛容になるためには、「ひきこもりであっていいじゃん!」という社会にしていく必要があります。
LGBTQであってもいいじゃん!障がいがあってもいいじゃん!という雰囲気になれば、日本はもっと優しくなれるんじゃないかなと思います。
2つ目。「ひきこもり」という言葉を使用しない。
これは私が研究指導の中で、よく指導されるキャッチコピーの1人歩きに注意することです。例えば「子どもの貧困」はすでに馴染み深い言葉ですが、実は「子どもが貧困」であるわけでなくて「親の経済的貧困」であることを覆い隠してしまっています。
これはひきこもりも同様だと思っていて、今ではひきこもりは当事者の自己責任だと捉えられることが強く、当事者を支援しよう!という目線でしか語られないないのですが、引きこもらせてしまった人間関係や制度など、社会構造の歪みに目が向かなくなっているのではないか、と思うことがあります。
もっと全ての人に優しい社会になるといいなぁ。