僕はいま何をしているのか

10月が始まろうとしている。僕の友人(と呼ばせてください)たちのなかには,大きなライフイベントを控えているひともいると思う。彼女たちの前途を祝そうと胸のうちでひとり乾杯するとき,自分はいま何をしているんだということにふと思い至る。この問いに対してさしあたりの答えを出し,ここにいない誰かの手の届くところに置いておくのも無駄ではないだろう。そう思い立って,ここにテキストエディタを立ち上げる。

僕が大学院に進学したのは,大学教員・研究者という職業に魅力を感じたから。「生活」と「生業」の両立を考えたとき,僕の新卒就活では,納得のいく将来像が描けなくもなさそうな業職種がそれしか見つからなかった。業界研究の結論がそうなった以上,ひとまずその方向で動いてみよう,ということでいまに至る。

大学教員・研究者になるには,ふつう,博士の学位を取得することが必要である。現在,新規に授与される博士の学位は,いわば,特定の知的生産を生業とするための「運転免許」という位置付けとなっているようである。大学院で取得できる学位には,他にも,修士の学位がある。この学位にも「運転免許」的な側面はあるが,博士のそれとは少し役割が違う。前者と後者の関係は,二種免許と一種免許の関係におそらく近い。国や地域によっては,フルマラソンとハーフマラソンの関係と位置付けられる場合もあるだろう。どの種別の「運転免許」が必要なのかは業界によるが,たまたま僕の志望業界は博士の学位を要求しているということだ。たとえば,国連機関(国際公務員)を志望する場合には,たいていの場合,所定の分野にかんする修士の学位が要求される。

博士の学位を取得するには,特定の研究領域で所定の研究成果を収めなければならない。大学院の博士課程では,そのために必要な職業的訓練を受けることができる。学位取得を目指すひとの多くが大学院に進学するのは,第一線の研究者たちのもとで,そのような研究遂行の手ほどきを受けるためである。僕もその1人である。僕の場合,研究科の教員たちこそが志望業界の OB/OG にあたる存在であり,大学院での研究はインターンにあたる活動ともいえるから,大学院進学が次に取るべき一手だろうということになった。

学部卒業時点でのバックグラウンドを考慮して,研究領域にはひとまず理論言語学を選んでみることにした。幸い,日本の標準的な博士課程は前期課程・後期課程へと直列に分かれているから,あとから専攻を変えるということも制度上は阻害されず,原理的には僕の努力次第でいかようにでもなる。さながら第二新卒である。実のところ,進学してからまだ半年しか経っていないというのに,外部の環境にかんしても自分の適性にかんしても問題が続出している。ひょっとすると来年の今ごろには修論執筆と並行して「転職活動」に勤しむことになっているかもしれない。

すでに述べたように,僕の場合,進学の動機は「理論言語学を極める」ことではない。「志望業界でポストを得る」という目的のために,「博士の学位を取得する」という目標を立て,その手段として「理論言語学に一定水準まで習熟する」ことを選んだ。これが冒頭の問いへの現時点での答えになる。不純だと思われるかもしれない。僕にも負い目がないわけではないが,釈明はまた別の機会にさせてもらえればと思う。

余談だが,上で述べた答えが主張する構造を遠目にみると,僕にとっての博士課程は,法曹を目指すひとにとっての予備試験のように思えたりするのではないかという気がしてくる。その場合, 一連の博論審査会が司法試験に,ポスドクが司法修習に対応することになる。思い返せば,予備試験受験生とのあいだに,修習の身となるための試練に臨んでいるという共通点を一方的に見出し,ときどき勝手に切磋琢磨しているような気持ちになっていたのも事実である。

大学教員・研究者になると,少なくとも制度的には「生活」と「生業」のどういう両立が可能になり,それが僕にとってどう嬉しいのか。これは新卒就活の「軸」に直結する話だが,これを十分によく議論するには僕の生い立ちや家族のことを述べなくてはならなくなるはずだ。だからきっと,この点にかんする僕の考えはインターネットの海に放出されることはない。この話を聞いてくれる奇特なひとが友人の中から現れた場合にのみ,居酒屋で生ビール片手に語られることになるだろう。

長くなってきたから,このあたりでやめておこうと思う。最後に,僕にも全く同じタイミングがありましたということで次の記事を紹介させてもらえればと思う。

では,また。

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