コスパとタイパ
かねてより,コスパとタイパが振り翳されると嫌悪感を抱く自分をどうにも隠しきれない。
何かを買う時に「賢い」買い方はデパートなり専門店なりでよくご存知の店員さんに案内をしてもらいつつ品物を吟味したのちに帰宅してネットで探す、出来れば数回使用の美品を格安で手に入れるんです。当然amazonにもクレジットカードにもポイントは貯まります、とか言われたらゲンナリする。案内してくれた店員さんはタダ働き。見せてもらったダケの店舗の維持費はショールームにしてはかかりすぎるし、そこでまともに購入した顧客は手垢のついた品物を手に入れることになるわけだ。考え過ぎの私はこの消費者行動こそが低賃金と不景気の根っこにあるんじゃないかと思うのだ。見よ…デパートは軒並みなくなって行く。専門店も縮小の一途である。
いや、気持ちはわかる、ううんわからない、仕組みがわかるくらいで同意するほどにはならない。消費行動には、そして商品にはそもそも物質としての価値を超えて付加価値があって許されるはずじゃないかな。
それでも法外な価格設定のブランド品などもあるからどうしても手に入れたいならそうなるんだろうけど、なんだがそのブランドを持つべきな品格というものはそこにあるのかなぁと思うのだ。流行りのカジュアルブランドの○万円のTシャツや派手なキャップにはむしろ皮肉がギッシリ詰まっているんじゃなかろうか?
本題にはいる。
実は品物はあまり気にならない。問題はサービスへの対価だ。特にこどもの教育だ。コスパとタイパ界隈では何が最強かというと「無料体験」と「無料サンプル」なのだ。無料体験だけを冬休み、春休み、夏休み、と渡り歩く人がいる。タイパというのはこの場合同じ時間を過ごすのに、楽しくてタメになるならそれに限るというわけだ。そう思っているならありがたいが、実情は体良く子どもを他人にタダで預けたいという魂胆丸出しの人までいる。結果的に子供を引き摺り回して、塾だ、プールだ、ダンスだ、英語だ、プログラミングだ、と体験しまくる。うまくスケジュールが埋まることが目的であって子どもの心理や教育的効果にどれだけの関心が向いているのかは極めて疑問だ。
よほど何かがうまく行って習うという話になると〇〇と✖️✖️を習うとおいくらになるか?と内容よりは価格を見るわけだ。それも仕方ない。みんながみんな裕福なわけではない。しかし長期的な展望を考える時その選択で果たして良いのか?と疑問を感じることも多い。それだけではない。無料サンプルを使いもせずメルカリに出品する輩がいる。タダで手に入れたものを他人にお金を貰う糧にすることをアタマが良いとでも?それで終わりではない。かつて日本人観光客はバブル期の始まりに海外の有名観光スポットに足を運んでは来た、みた、撮った、で帰ると揶揄された。それは今でも同じこと。美術館でもレストランでもコンサートでも来た,みた、撮った、そして掲げた、な訳だ。本質は?そんなもの誰も気にしないということか?
人生も無料体験だと思っているのかな?なんて。