フェイ・エンダー/おわりびと⑫ 第二章 力の発現「2-2 炎の使い手②」
第二章 力の発現
2-2 炎の使い手②
(前作 「2-2 炎の使い手①」 のつづき)
枝がよく燃えるよう石を組み立てて、あっという間に焚火まで完成させた。組んだ石の隙間に小枝を通した川魚をぐるりと突き刺していく。
「さあ、魚が焼ける間に濡れた服を乾かした方がいい」
「このままでいい。じきに乾く」
ヴィーはなめし革の靴だけを脱いで火の前へ置いた。マントは頭の上に括りつけて川を渡ったので濡れてはいない。
フィオランはそれ以上無理に勧めず、上半身裸になった。
近くの岩に絞ったシャツを広げようと背を向ける。
火明かりを受けて、左肩にほくろが三つ垣間見えた。それも等間隔の逆三角形という珍しい配置。
自分の肩にじっと視線が注がれていることにフィオランは気がついていない。
「ひとつ聞いてもいいか?」
静かな声をかけられ、フィオランは肩越しに振り向いた。
「なぜラダーンへ行きたいんだ? こんな過酷な旅までして」
道のりはまだ果てしなく遠い。そう煌めく瞳は語っていた。
なぜ……。
そう問われると、確固たる理由がある訳でもない。
フィオランは頭を掻こうとして頭巾を被ったままなことに気づき、鬱陶し気に脱ぎ捨てた。
少し水に濡れて湿っている。これも乾かそうと、地面に転がしておいた枯れ枝の一つを突き立てて、尖端に頭巾を引っ掛ける。
洞窟の奥から流れてくる風に炎が揺れ、そのたびに近くで暖を取るフィオランの赤毛がゆらゆらと生き物のように踊っている。
それをヴィーは眼を細めて見つめた。
「なぜってか。…自分でもよくわかっちゃいないが」
また己の思考の迷路に入り込むかのような、内へ内へと向かった目つきをした。
「逃げるのはやめたってことだ。今まで逃げ回っていたものをきちんと知りたいと思ってな。俺にはおかしな能力があってね、そのせいで逃亡生活を強いられてきたわけだが、そろそろきちんと理由が知りたくなったのさ。ラダーンがその鍵らしい。教えてくれたのはあの刺青男だけどな」
メリュウ婆さんの記憶の断片からも、ある程度の情報を仕入れることはできた。
だが、どれが自分に関わることなのか判別もつかないほど、恐ろしく古い記憶が混在しており、その夥しい数の思念の重さを受け止めきれず、ある日から一切の解析を放棄した。
「あいつの言うことを信じるのか?」
意外そうに言われたが、フィオランは頷いた。
「ああ。嘘は言っちゃいねえと思ってるよ。なぜだか俺の力とやらを欲しがっている。そのためにラダーンへ連行しようと付きまとう。俺の育ての親である婆さんは、ラダーンという国には一切関わるなと俺に言い聞かせてきた。こんなあからさまな一致を無視は出来ねえよ。産まれてから今日までなんでこんな目に遭わなきゃならねえのか、いい加減うんざりだしな」
「お婆さんはおまえに何も教えなかったのか?」
「ナゾナゾみたいな意味不明なことは山ほど喋っていたな。ラダーンは俺には鬼門だと言っていた。足を踏み入れたら最後、魂を捕られるそうだ。
命じゃないんだぜ。俺の力にしてもモーラ族の血を引くから当然だそうだが、こんなの他人の過去や未来が視えるだけで、占いでイカサマやるくらいしか役に立たねえ。俺のどこがそんなに魅力的なのかさっぱりわからん」
他人に自分の能力を話したのは初めてだった。
この風変わりな女には、身の上話を抵抗なくすらすら話せてしまう。
警戒心を感じさせないからだろうか?
眉根を寄せて考え込むフィオランをよそに、不意にヴィーは焚火に左手を翳した。
「おまえにはもっと力があるよ」
言うなり、赤々と空気を舐める炎の中に白い手を突っ込んだ。
鋭い声を発し、腰を浮かせたフィオランの前で、ヴィーは炎をすくい取るように掌を旋回させた。
気でも違ったのかとフィオランは目を剥く。
開かれた掌に、赤い不思議なものが躍っていた。
人のような形をしたものが数体、炎のフリルを靡かせ、形を変えながら踊っている。
やがてそれらはひとつになり、繊細な深紅の花となった。
「さあ、手を。やってごらん」
囁かれ、無意識に片手を差し出していた。
芸術的な炎のあまりの素晴らしさに陶然となり、我を忘れたのだ。
「……できない。火傷をしちまう」
それでもわずかに理性が残っていたのか、そう呟く。
だがヴィーは優しさをこめて励ました。
「できる。できることをおまえは忘れているだけだ」
忘れている?
どういう意味だと引っ掛かっても、目の前で起きている幻想に夢中で、頭の片隅に追いやってしまう。
炎の花がそっと掌に移された。
火傷をするかと思ったが、焚火に当たっているようにじんわりと皮膚を温められている感触だった。
掌で燃え続ける作品に見惚れているうちに、自分も無限に創り出したい欲求が溢れだしてきた。
その意識が伝わったのか、すぐに炎が次々と形を変え始めた。
花から火花へ、無数の蝶、小鳥へと変化し、最後には小さな竜となって空中に浮かび上がり、巨大化していった。
慌てるフィオランを尻目に、ヴィーは涼しい顔で膨れ上がった火竜を片手ひと振りで焚火へと戻してしまった。
ごく普通に燃える炎の向こうで、フィオランが食い入るように見つめてくる。
それは限りない無限の世界に心を奪われた者の目だった。
美しいものを創り出す快感を知り、その力を持つことを初めて渇望したのだ。
緑の瞳が生き生きと子供のように輝いている。
「自然の美を愛でる心があればどのようにでも扱える。敬意を忘れなければな」
「俺にこんなことができるのか……」
呆然とフィオランは呟いた。
「モーラの血を引く者の証だ。特に赤い髪を持つ者は生粋の力を宿す。お婆さんは本当におまえに何も教えなかったのだな。モーラ族はその昔、ダナー神族と契約を交わし、神にも等しい力を受け継いだと聞く」
大陸最果ての地に住まうとされている古の一族のことは、世間一般常識程度にフィオランは聞き及んでいた。
しかし現実生活とはなんの接点もない以上、そんな一族のことなど伝説ぐらいにしか受け止めておらず、末裔と言われても大してぴんと来ていなかった。
更に、モーラ一族はとうの昔に滅んでおり、血なまぐさい闇の歴史としてその話題は未だにタブー視されている。公では、誰もその名を進んで口にする者はいない。
「随分詳しいな。もしかして、あんたもモーラの出か?」
興味が引かれたのは、初めて聞かされる自分にまつわる情報より、そちらの部分だ。
「いや…生憎だが」
「あんた一体何者なんだ? 魔法など使わないと言っておきながら、こんな技を見せてくれる。これが魔法でないというなら、なんだというんだ」
「今、自分で試してみてまだわからないんだな」
ヴィーは軽く吐息をついた。
「わかるように説明してくれよ。あの刺青野郎を追い払った時のも魔法じゃないというのか?」
「あれはわたしの魔法ではなく、奴らに痛めつけられた樹木たちの怒りだ。わたしはそれに手を貸してやったに過ぎない」
「……なんだかさっぱりわからねえな」
疑わしそうな目つきをしているフィオランへ、ヴィーは更に理解しにくい説明をする。
「自然の理に反した力の使い方は歓迎されない。おまえが言う魔法というのは、本来こうあるべきものを捻じ曲げる、何もないところへ無理やりものを出現させる。そういったやり方は魔道という。奴ら…あの灰色集団がやっていることだ。そんなことをすれば空間に歪みが生じ、周囲に不自然な圧力が掛かる。そしてありとあらゆる場所へ好ましくない変化を及ぼす。その影響は月日、年月が経つにつれ、甚大になっていく。きっかけがどんな些細なものであってもだ。この世は縦にも横にも斜めにも複雑に織り合わさった分厚い織物のようなものなんだ」
「じゃあ、世間一般でいう魔術とあんたが使う力はまったく別物という事か? …ということは、俺のこの力も? 魔道士でもないんなら、あんたは一体なんなんだ?」
当然の疑問に、ヴィーはしばし言葉を選ぶように黙り込んだ。
「……わたしは番人のようなもの。この大陸に広がる大自然に生じた歪みの修復を手伝う。時には」
簡単に聞き流すにはとてつもない発言だった。規模が大きすぎて、話の内容にまではとてもついていけないが。
「修復を手伝うって……この世界中の自然を? どんだけあるんだよ。一生かけて歩いても周りきれねえだろ」
「生身の体ならとても無理だな」
ヴィーは乾いた微笑を口元へ浮かべた。ほんの一瞬だが、別の顔を見せられた印象を受けた。
モーラの血を引いているわけでもなく、でも魔道士でもない普通の人間。
その言葉を額面通り受け止めていいものかどうか。
「言っておくが、傷を負ったらちゃんと赤い血は出るぞ」
考えていることを読まれないように、フィオランは口角を上げて笑った。
もしかしたら、と頭をよぎった考えは胸の内にしまっておいた。
焦げた匂いが漂ってきた。
魚を炙っていたことを二人ともすっかり忘れていたのだ。
お互い苦笑しながら黒く焼け焦げた魚に手を伸ばした。ついでに頭巾が乾いたことを確かめて、火の側から取り上げる。
「おっ、こいつまたいやがる」
頭巾の縁に黒い尺取虫がしつこくぶら下がっていた。谷底に降り立った時に駆除したはずであった。
これで三匹目だ。頭巾に卵でもくっついているのかとゾッとし、裏返して調べ始めた。
急に炎を遮られ、視界が暗くなった。
顔を上げると、目の前にヴィーが険しい表情で立ち塞がっていた。
「どうした?」
「いつからついていたんだ?」
その口調にフィオランは胸騒ぎがした。
「…あの高原の時から。ベヒルと野営をしようとこうやって焚火を始めたら垂れ下がってきた。その後は崖下り中にまた現れやがって、そのせいで俺は」
予感がして、フィオランは口をつぐんだ。殺しても殺しても現れる虫。
おかしいと気がついてもよかったのだ。
「なぜもっと早くそれを言わない。ここを出るぞ」
鋭く叱咤し、ヴィーはマントと皮袋を引っ掴んだ。
訳がわからないながらも、フィオランも乾かしていた服とブーツを慌てて着こむ。
「なんなんだ? この虫」
「呼び虫というんだ。標的を追跡したり、尾行したいときに使うモーラの術だ。随分久しく目にしたことはなかったが……。この術を使える輩がまだ残っていたとはな」
あの刺青男に間違いないだろう。自分もモーラの出だと名乗っていた。
しかし。自分と老婆はともかく、他にもまだモーラの末裔が残っていたというのは、フィオランの中でずっと疑問として残っている。
モーラは数十年前に滅んでおり、メリュウ婆さんは自分たち以外に生き残りはいないと断言していた。
「番いで使うのだが、文字通りどんなに遠く離れていても、もう一匹の片割れを呼んで居場所を知らせる。標的の衣服に卵を付着させれば際限なく孵化し続ける」
最後の説明を聞き終わらないうちに、フィオランはベヒルの頭巾を焚火の中へ放り込んだ。
自分で奴らを呼んでいたのか!
どうりでサジェットから遠く離れた高原へすぐに現れたはずだ。
「ここにも来るか?」
「孵化した虫がとっくに知らせているはずだ。間違いなく来るだろう」
「あの高原から五日もかかるんだぜ?」
「奴らがまともに歩いてくると思うか?」
ヴィーは鼻で笑い、フィオランが拾い集めてきた枯れ枝の中で一番太くて立派な枝を持ち、肩を固定していた布を解いて枝に巻き付け、即席の松明を作った。
皮袋から取り出した瓶の中身を振りかけている。
「松脂か? 用意がいいな」
「必需品だ。色々と使える」
「色々?」
外への入り口の辺りから湿った生ぬるい空気が流れてきた。
異臭が微かに鼻を突く。
ヴィーはそれをちらりと見やり、フィオランへ顎をしゃくって促した。
「奥へ急げ。来るぞ」
火を掲げながら大股で洞窟の奥へ向かうヴィーを、後ろを気にしながらフィオランは追いかける。
今にも、何もない空間から湧いて出てきそうな気配が漂っている。
しかし、てっきり外へ出るものだとばかり思っていた。まさか洞窟内へ逃げ込むとは予想しておらず、俄かにフィオランは不安を抱いた。
「風が流れてきてるってことは、この先に出口があるんだろうな。だが、随分と深そうだぞ」
「自然が作った大伽藍だからな。それはそれは深いだろうさ」
ヴィーが言った言葉の意味がまもなく証明された。
つるつる滑る狭い横穴を下った先に辿り着いた大空間。そこは鍾乳洞の入り口であった。
~次作 「 2-3 再会① 」 へつづく