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吹雪(掌編小説)
それは真昼時のこと。
石北峠の中腹に差し掛かった時点で、白い嵐に襲われた。
一時間前、北見の祭儀場を出発した時点で嫌な予感はしていた。
気象庁の注意報通り、山間部は足の速い分厚い雪雲にみるみるうちに覆われた。
運転には自信があったが、こんな自然の猛威にはとても太刀打ちできない。
いくら仕事のためとはいえ、悪天候の中、乗用車で幾つもの山越えをして西の自宅へ帰るのは無謀だったかとかなり後悔した。
道民のくせに北海道の冬を軽んじてしまった。
「伯父さんの葬儀に出て、帰り道にあんたまでお陀仏になったらシャレにならないからね」
とんぼ帰りで家へ帰ると言い張る私へ、姉が最後に送った選別の言葉だ。
年に一度しか会わない妹へ、相変わらず優しい言葉をかけてくださる。
素直に「気をつけてね」と言えばいいのに。
…それよりも。「最後」だなんて、不安のあまり思考がネガティブになってしまっている。
いけない、いけない。
私は運転に意識を全力集中しているのだ。
時々擦れ違うトラックが巻き上げる雪煙で、ますます視界が悪くなっている。
山あいに吹き降りてくる風が、空中の雪も地表の雪もごちゃまぜにかき混ぜているのだ。
もはや空なのか地面なのか境目もわからなくなる。
そう、ホワイトアウトだ。
こうなったら、ほとんど勘を研ぎ澄ませて運転するしかない。
間違っても停車はできない。
低速度でも進むしかないのだ。
掌にも脇にもじっとりと汗がにじむ。
そんな張り詰めた状態で峠道を登っていた。
ふと、白い煙の切れ目に黒っぽいものが見え隠れした。
気になり、じっと目を凝らす。
速度を十五キロまで落とした。
ごうっと真横から風が横殴り、一瞬視界が開けた。
大きな灰色の獣が道の端に現れた。
驚いて、私は咄嗟にブレーキをかけた。
幸い後続車がいなかったので追突は免れた。
…大きい。
その獣の大きさに、私は思わず唾を飲み込んだ。
まるで狼みたいだ。
昔、動物園で見た大きな狼を思い出した。
現代日本に狼が姿を消して久しいのは知っていた。
ハスキー犬だろうか? いや、さすがに体格が大きすぎる。
少し後ろ脚を引きずっている。
私はアクセルを踏み、犬らしき獣の後をゆっくりとついていった。
追い抜かしてもよかったのだ。
ただ、私が去った後無事でいられるかを想像してしまったのだ。
私はなるべく端に車を寄せた。
その間、後続車が次々と器用に追い抜いて行ってくれた。
そのうち道幅が狭くなり、獣は車道を降りて山腹へと姿を消した。
ほっとひと息をついて加速した時。
突然目の前にトラックが飛び込んできた。
中央車線あたりを大きくはみ出してきている。
私は咄嗟にハンドルを左側に切り、すんでの所で衝突を躱した。
ブレーキを踏み、車線に戻ろうとしてタイヤがスリップする。
そのまま車は車道から飛び出し、斜面を滑り降りていった。
やってしまった。
呆然としながら、最初に頭に浮かんだのがこれ。
頂上近くだから斜面が緩やかで助かったのだ。
それでも車道よりかなり下へ落ち込み、車で這い上がるのはまず不可能。
おまけにこの吹雪で、上からの発見も期待できない。
止めが、持っている携帯電話の電波不通であった。
車を捨てて、上まで這い上がるか?
この猛烈な吹雪の中、自殺行為になりかねない。
とりあえずエンジンはかかっているので、私は車の中でじっとしていた。
20分くらい経っただろうか?
運転席の窓硝子を叩かれる音がした。
驚きながらも私は安堵して急いでドアを開けた。
奇跡的に、誰かが発見してくれたのだと思った。
外には車にぴったりと身を寄せた老人が立っていた。
長い髭と、帽子からはみ出た灰色の髪の毛に雪がびっしりとこびりついていた。
「埋もれたままにしておくと死ぬぞ! 雪を掻き出せ!」
暴風に負けじと怒鳴られ、私は慌てて車外へ飛び出した。
見ると、老人も一緒に車の後部に這いつくばって雪を掻き出してくれている。
私たちは一心不乱に雪を掻いだ。
掻き終える所で、車内で暖を取ろうと老人を誘った。
「助けを呼んでくるから、頻繁に雪を掻き出していなさい」
老人は声の限りに叫び、止める間もなく暴風雪の中へと飛び込んでいってしまった。
すごいお年寄りだと私は唖然とした。
吹雪の中へ姿が消える一瞬、体が片側へ傾いでることに気がついた。
足が悪いのかと思った。
言われた通り、十分おきに外へ出て雪を掻き出し続けた。
やがて風が少し弱まってきた。
路外へ転落してから三時間後、通りがかった二台のトラックの運転手にようやく助けられた。
そのころには、大分視界が利くようになっていた。
「いや、驚いたよ。道の真ん中でさ、すんごい大きい犬が遠吠えしてたんだ。狼みたいな声で」
「あれ? それ俺も聞いたよ。こんな猛吹雪の中、すごい声が聞こえてくるなって、ちょっと寒気が走った」
「そうそう。それで俺びっくりしてトラックを止めたんだよ。あそこで止まらなかったら、あんたの車見過ごしてただろうね」
彼らの会話を聞いている内に、私はどんどん血の気が引いていった。
あの老人は何者だったのだろうか?
片足を引きずる灰色狼のような獣の姿が脳裏に焼き付いていた。
私は昔話のように、恩返しをされたのだろうか。