忍者に会いたくて山越えした話 伊賀の里編
前回の『奈良編』のつづき。
今からウン十年前のひとり旅の話だから、もはやこれは立派な回顧録。
しかも場所もろくに覚えておらず、自分がはたしてどこを彷徨ったのであろうか。うやむやに終わったというしょうもない結末。まさに夢まぼろしの世界なり。
そんなまゆ川ワールドへようこそ。
今回も、わたしが若かりし頃に決行したひとり旅第二弾を語りたいと思う。
前回は奈良での濃密な出来事がテンコ盛りだったので、自分でお腹いっぱいになってしまい、伊賀までは辿り着けず、果てる。
ようやくお腹がすいてきたので、ここでまた奇妙な話をひとつ。
3日目の女ひとり旅の目指す先は、奈良から三重へと県を越えた先にある忍者の里だった。
・突然の天啓
そう、忍者と言えば服部半蔵、風間小太郎、霧隠才蔵、猿飛佐助……。実在でも虚構でもたくさんいらっしゃるわな。有名どころが。
真田十勇士も里見八犬伝も魔界転生も大好きだ。大剣豪で忍者ではないけど、忍者並みの身体能力を発揮する柳生十兵衛ときたら、もう痺れすぎて一時期は理想の人とまで崇拝していた。(注:実在の柳生十兵衛三巌様ではありません)
奈良まで来たのだから、ちょっと足を伸ばせばそこは伊賀の里。行かない選択肢はもちろんない。奈良観光と同じくらいの熱量で、この三重観光もわたしは綿密に計画を立てていた。
禁域なのに唯一女人も受け入れた、女人高野として有名な古刹『室生寺』と天秤にかけ、散々迷った挙句、やっぱり血沸き肉躍る忍者の魅力にはあらがえなかった。
そんなわけで……。
大阪から近鉄・JRと乗り継いで、奈良県のすぐお隣り伊賀市で一日かけて観光をする。点在する磨崖仏や上野城、城遺跡、博物館めぐりと周りきれないほどの計画を綿密に立てていた。それこそ奈良旅行を思い立った、もう何か月も前から。
ところが、その計画を前日の夜わたしはあっさりと覆してしまう。まあ、土壇場でコロッと気が変わるのは生まれながらの習性なので致し方ない。
こういう人間なので、人と連れ立っての旅行は向いていないのだ。お買い物もそうね。
吉野でのイレギュラーな出来事が、わたしに何か燃料を与えてくれたのかもしれない。お決まりのルートでわかり易く名所を見物して歩く観光の仕方に突然反抗したくなった。なんの燃料だよ、まったく。と今は呆れながら振り返るけど、とにかく人とは違う、何かイケナイことをしたくなった。そこでわたしは思い出した。旅行雑誌のとある記事を。
たった1冊持ってきた旅行情報誌に小さく載っていた、とある記事。ベッドの手元灯のもとでババッとページをめくり、改めて貪り読んだ風変わりな体験記事。その内容とはこうだ。奈良から三重への県境ルートで旅をしたルポで、『地元の人しか通らない、観光客なぞはまず及びもつかない穴場の道』といったようなテーマだった。
一度読んでその時は流していたが、この時になってこの記事の記憶が急浮上してきたのだ。これだよ……。これこれ! 地元の人しか通らない山道。つまりは、昔から連綿と使われてきた道ってことだよね。それこそ古代からずっと。情報誌の地図を広げて想像をたくましくする。奈良・三重に広がる緑深い山々の、奥深く密かな抜け道を行き来する古の人々。土地の田夫、行商人、流れ坊主や野武士……時には身分を隠す高貴な人までいたかもしれない。もうこうなってしまってはワクワクが止まらない。最初になぜこの記事を読み飛ばしたのか、理由も忘れたままわたしは決行した。あまりにも無謀な山越え行脚の旅を。
・いのちの一杯
翌日の気温。奈良県32℃~33℃。
今の日本列島の気温と比べれば、当時はまだ遥かに過ごしやすい暑さだよね。きっと。でも、道民のわたしにはとっても堪えていた。こちら近畿・関西地方の酷暑が想像をはるかに超えたもので、この3日間暑さでどんどん萎れていく、最初は瑞々しかった切り花のように。まだ23歳の乙女だったから、ちょっと可愛らしく言ってみた。
伊賀方面へと向かう観光客らしき乗客を満載に乗せた列車を見送りながら、奈良県月ヶ瀬駅で途中下車した。わたしの他は数人しか降りた人はいなかったように思う。山深い土地で、青々とした田んぼや畑と民家しかなかった。ルポ記事の手書き地図を頼りに、山へ向かってアスファルトの道を登って行く。うねうねと緩やかに蛇行する道と両脇に点在する大きくて立派な家屋。その佇まいと建築様式に、ここでもまた感嘆の声を上げる。
だって、どこの家も純日本家屋の瓦屋根で、大きな引き戸の玄関口は大胆に開放。で、何に驚き感心したかというと。広い玄関先に一休さんに出てくるような大きな衝立を置いてるのだ。え? 衝立って、こういう使い方するの? 「麿が……」などとのたまう足利将軍のような雅びな方がお使いになる、格式高い場所で使用されるものではなくて? ああ、そういえば、時代劇でも衝立の向こう側で身支度を整えながら名残を惜しみ合う男女のシーンとかあったよな。実際、一般の民家ではこういった外からの目隠し・風よけ・意匠的な用途など三拍子そろった使い方をするのね。その土地それぞれの風習や暮らしというものは、やはり面白く、異国に来たようで目からウロコだった。違う土地で暮らしていると知らないことがたくさんあるのだ。それを知るのって、ひとつの旅の醍醐味よね。
雲一つない晴天で、人の姿も気配もしない静かな土地。ここでも前日の明日香村のときのような陽炎が行く先々に立ち昇っている。駅でペットボトルの水を買ったけど、すでに飲みきってしまっていた。まずい。まだ山入りしてもいないのに、もう脱水しかけている。早く日陰になる山へと入らなければ。だんだんと勾配がきつくなる狭いアスファルトの道を必死に登り続けた。滝のように汗が流れ、足ももつれ、眩暈もしだした。どうしよう、どうしよう。もう飲料水もないのに……。見知らぬ土地で行き倒れ? という言葉が点滅しかけて、目が四方八方へと泳いだ。その頃には、かなり村の奥まで進んでいた。ほとんど目的の山道入口まで差し掛かっていたのだと思う。
はた、と、とある家屋へ視線が吸い寄せられた。もうほとんど森に囲まれている、一見お寺のようなひと際大きく立派なお宅。たしか漆喰の背の低い白塀が現れて、登りかけた坂を引き返してわたしは塀の中へとよろめき入った。
「お、お水をください…………」
玉砂利に膝をつき、呻くわたし。突然不法侵入してきたあげく、飲み水を要求する女。家内の人はさぞ驚いた事だろう。ちょうど庭に出ていたご内儀らしき婦人が、親切にも嫌な顔一つせずにわたしを介抱してくれた。
今こうして思い出しても、ちょっと赤らむほど恥ずかしい。そのご婦人はわたしを庭に面した縁側へ座らせ、大きなグラス三つに氷をたっぷりいれた麦茶を用意してくれた。この、『グラス三つ』という配慮に、頭がグラグラしていたけどわたしは感激した。一気にグラス三つを飲み干して氷までポリポリ食べているわたしを見て、ご婦人は道に迷った観光客だと思ったらしい。北海道から来たというと嬉しそうに驚いていたが、三重へ山越えしにここまで来たというと絶句していた。
え? なんでそんなに驚くの? おばちゃんの表情を見て少し不安になった。鞄から例のルポ記事を取り出して見せると、おばちゃんは更に口ごもった。
「地図では、もうこちらのお宅のすぐ裏手が山道の入り口みたいですけど……。あってますよね?」
と尋ねたと思う。すると、おばちゃんはこう言ったのだ。
「そうだけど……。でも、今はあんまり通らないよ。地元でも。大丈夫かどうか、ちょっと何とも言ってあげられない」
こんなような言葉を返された記憶がある。
えっ? どういうこと? ここにきてまさかの展開? だってこのルポ記事には、地元の人が昔から日常よく使っている、奈良⇔三重を気軽に行き来できる最短山越えルートって書いてあるよ? この情報誌、もしかしてとても古いとか? 発行日を見直した記憶があるが、最新版だった。……話を盛っているということだろうか。
麦茶四杯目をご馳走になり(たしか塩昆布も頂いたような気が)、迷いに迷ったがここまで来ては後に引けないので計画は続行した。だいぶ気分がよくなったので、おばちゃんには厚くお礼を述べてお暇した。おばちゃんは三重までの山越えをいいとも悪いとも言わなかった。本当に危険ならハッキリ止めたのだろうけど。気をつけてね、と手を振って見送ってくれた。わたしは何だか古の行脚する旅人になった気分で、一瞬翳った不安は空の彼方へと吹っ飛んでいったよう。意気揚々と、教えられた道を駆け上がるように登っていく。急に狭くなった道がアスファルト舗装から土へと変わり、いよいよ山奥へと分け入っていく。数mと進まないうちに、道は突然細くなる。細くなるどころか、こ、これは……。完全な獣道ではないかい! さっき空の彼方へと吹っ飛んでいった不安は、ゴムのバネでもついていたかのようにあっという間に舞い戻ってきた。
・幻想の山
ああ。天空から高く木漏れ日が差し込み、山床に無数の光の鏡を造っている。どこまでも山の起伏にびっしりと林立している太く丈高い杉の木立。まるで東山魁夷の幽玄の世界。あの木立から、今にも矢が突き刺さった甲冑を纏った武者が現れそう。あっちの杉からは鎌を持った田夫……つまり忍者がモモンガのように滑空して、武者に襲いかかる。視界いっぱいに広がる無数の木立からは騎馬武者の大群が雪崩のように押し寄せたり。今思い返すと、それはラストサムライの世界。あのシーンを見たときは、ロケはこの山中で撮影したのではないかと錯覚したくらいだった。そう。単純で妄想癖が強いわたしの山中に足を踏み入れた時の不安は、奥に進むにつれてまた和らいでいった。
あのおばちゃんが言った通り、ここずっと地元の人もあまり通っていないのだろう。元々人の肩幅弱ほどあったであろう道が荒れ果て、両脇から草がぼうぼうに伸びて地面を隠し、道筋をわかりにくくさせてしまっている。
完全に廃れた道。でも、この奈良へと抜ける、伊賀の里からの古より使われてきた生活道であることには間違いないとわかる。
この道をどういう目的で通り抜ける人間がいたのだろうか。そのことに思いを馳せるのはロマンがないか? 家康の伊賀越えなんて有名な逸話があるけど(この道ではないが)、それと似たり寄ったりの事情で走り抜けた人間もいたかもしれない。この山中で戦場となったこともあったかもしれない。だって、この先は伊賀の里なのだから。色んなことを想像してもちっとも不思議ではない。だって、それだけ幾層も歴史を積み重ねられてきた土地なのだから。この神秘的なほど静まり返った静謐な山中には、今わたしだけが存在する。想像をたくましくすればするほど、かつての息吹を無限に聴き取れそうだった。星の数ほど受け取れそうだった。人知れず喪われていった幾多の物語を。山深く分け入った山中で感じる孤独、自然からの無言の威圧、結構感じる畏怖のようなもの。少し肌を泡立たせながら(そう緊張もしていた)、夢見心地で歩いていた矢先。あやうく錆びた鉄板を踏みつけ、滑って転びそうになる。よく見ると『熊出没注意』とあった。出るの⁈ 熊‼ だって、ここ北海道じゃないじゃん! ギョッとして、飛び退く。当時のわたしは無知すぎて、ツキノワグマの生態をよく知らなかった。【熊=ヒグマ→北海道】くらいの図式しか頭にないギャルもどき。せっかく妄想エクスタシーで忘我の世界へ旅立っていたのに、現実に引き戻される。そして、異音が……。
バチッ バチッ
な、なんの音?? 怯えるわたし。なんか、横から聞こえてくるような気が……。
バチッ バチッ バチッ
やだ、音が増えてきてる。足を速めた。両脇の草むらから聞こえてくるのだ。何の音なのか皆目わからないから怖い。足を止めたら襲いかかられそうな予感がしたので、速足からいつの間にかダッシュになった。
バチッバチッバチッバチッバチッバチッ
ギャーッ! いやだあー! 音が早くなってるーっ! しかも追いかけられてる、草むらから! どういうこと? 威嚇されてるってこと? しかも複数?? 頭によぎったのは、スズメバチだった。草むらから隠れて威嚇してくると聞いたことがある。そんな時に鼻先すれすれに巨大なトンボが顔面を横切って行く。腰が抜けそうになった。目の端で捉えたそれは、でっかい銀色のトンボだった。青みがかった銀色に光る胴体、ぶおーんと羽音まで不気味に響くそれはそれは肉厚で大きなトンボ。数匹いた。北海道の可愛らしい小さな赤とんぼからは及びもつかない、わたしから見たら恐竜並みの迫力。たったひとりで山奥で遭遇したからなおさら恐怖に満ちてそう見えたのだろうけど。そのトンボたちからの戯れと正体不明の威嚇音に追い立てられ、わたしは命からがら逃げだした。出ヅルコト能ワズ、今ヤカレラ至レリ、イマワノ時来ル—脱レ得ズ…………。なあんて、ロードオブザリングみたいな精神状態になったのだ。わたし何かしましたか? 失礼な事でもはたらいたんでしょうか? 学生時代に陸上部で鍛えた脚力で山道を駆け下り(途中から綺麗に散策道として整備されていた)、ついに山里へと抜け出た。
・現れ出でた伊賀の里
突如、視界が開かれた下界。緑と茶の洪水から、なだらかに起伏をなして広がるのどかな里。背後の恐るべき自然の驚異と目の間に広がる人の世界の温かさのあまりの違い。どっと安心感が押し寄せ、涙が溢れそうになった。
はた、とそこで横顔に無数の視線をチクチクと感じ取った。振り向くとそこには……、今わたしが躍り出た山道の端、森の裾野に小さな小さな墓地があり、その一画で法要が行われていたのだ。筵のような大きな茣蓙を敷き、老いも若きもたくさんの人たちが集い、ご馳走をお供えして厳かにお参りしている。全員女性。皆、驚愕の表情で合掌したまま、わたしを凝視していた。
無理もない。こんなところから、明らかに地元民にはみえない女がいきなり飛び出してきたのだから。それも髪を振り乱して。硬直したままの方々に、わたしは笑顔で挨拶をした。こんにちは、お参りのお邪魔をしてしまってすみません、と。何事もなかったかのように済ませたかったわたし。落ち着いた態度を無理やり取り戻して、里へと下っていくわたし。こんなはずでは……。雄々しく山越えを果たして伊賀の里へ辿り着いたあかつきには、里のひとたちにたくさん声をかけて話を聞いたり、色々交流したいと思っていたのに。これでは思いきり不審者ではないの。
ふと上空を見やると、陽もだいぶ傾き、陽光が赤くなってきている。もはや、もう夕方? 愕然として、ずっと視線の彼方にある商店の外構に掲げてある時計を見た。夕方4時。えぇーーー。嘘でしょ、わたし山ン中に何時間いたんだよ。……ていうか、彷徨っていたのか? もしかして。ルポ記事にはそんな山越えに数時間もかかるなんて書いてあったっけ? 気づかないうちに遭難しかけてたのか? そういえば、途中道が三股に分かれてたポイントがあったよな……。どんどん里の丘陵をくだりながら思い返して、ゾッとした。
この山から下りながらの里の眺めは格別なものがあった。近代的な高い建物は一切なかったと記憶する。斜面に広がる畑、田んぼ、点在する日本家屋、広がる里の先に見える神社。明日香村で感じた気配とはまた違った、濃密な悠久の流れ。今わたしが辿ってきた経路と同じ足取りで、同じ風景を幾人ものひとたちが山から下りてこうして眺めてきたのかもしれない。古から続くその流れに、自分もその一滴として加われたかな。そう思えただけでも、この変な旅は充分収穫があったかも。
行きついた商店のおじさんに帰り道を尋ねた。いちおう。おじさんは色々遺跡や由緒ある神社を巡ることを勧めてくれたが、お礼を言って断念した。時間的にちょっと……。それに、足腰がほぼ限界なほどガクガクしている。おじさんに奈良から山越えしてきたと言ったら、目を白黒させていた。
最寄りの駅までかなり距離があったけど、途中どんどん増える観光客に混じってひたすら歩き続けた。「摩崖仏あっちだよー!」とはしゃぐカップルに続く気力もなかった。駅に着いて(駅名すらもはや思い出せない)、混雑している構内で虚脱していると、「あの……」と声をかけられた。二人連れの観光客らしき女性が心配そうにわたしの様子を窺っていた。
「足がものすごく腫れてますよ」
えっと驚き、女性たちの視線を追って体を捻って後ろを見る。本当だ。ふくらはぎから太ももまで裏側がパンパンに腫れあがっている。足がやたら重くて痛いと思っていたのは、やぶ蚊かブヨに刺されていたからだったんだ!
山越えするというのにショートパンツ履いていたからね。若さゆえの判断ミス。
大阪のホテルへの帰路では、観光帰りの人たちの会話が至る所で盛り上がっていた。放心状態のわたしは彼らの話を聞きながら、あの夢うつつのような時間を振り返る。
山越えしてまでなにをしたかったのかな? 写真も一枚も撮ってこなかったし。全部頭の中だけに押し込めちゃった。怖さも感じたけど、あんなに森閑とした世界に浸ったのは初めてかも。最後の方で、山から追い出されたと感じたけど、あれはもう帰りなさいと送り出してくれたのかも。すべて自分に都合よくまとめてしまうこの習性。
で、ウン十年経った今。もう一度あの場所に行こうと思っても二度と訪れることができないことを知った。
当時の情報誌はすでに手元になく、ネットや地図で調べてもその抜け道がどこにも記載されていないのだから。私の記憶も朧げだしね。なんだか、まやかしのようなホントにあったような、なかったような話で。二話目はもうわけわからん。もう、一体なんの話だろうか。オチを聞かれても、なにも答えられません。