フェイ・エンダー/おわりびと⑤ 第一章 異能の者「1-3 月夜の麗人①」
第一章 異能の者
1-3 月夜の麗人①
(前作 「 1-2 ならず者の巣立ち 」 のつづき )
街道に辿り着く前に日没を迎えてしまった。
フィオラン一人の足ならとっくに交易の要である街道に出て、近くの隊商宿へなんとか辿り着くことが出来ただろうが、ベヒルが追いつけなかった。
見習い僧時代に散々旅をしてきて鍛えられているはずなのに、呆れるほど足が遅い。
「明日はどこかの集落で騾馬かラクダを手に入れた方がいいな」
石を器用に積み上げた即席竈に火を熾しながら、フィオランは言った。
今夜はこの石灰岩だらけの台地で野営だ。
初夏とはいえ、昼間気温が高くても夜は吐く息が白くなるほど急激に冷え込む。
少しでも暖を取るために、背丈が大人一人分くらいある大岩に囲まれた狭い空間を探し、その間で休息を取ることにした。
この岩壁は石と岩だらけの台地を渡る風をほどよく遮り、炎が白い岩肌に跳ね返って空気を暖めてくれた。
「ここは瞑想するにはいい場所だね。風と寒さから身を守りながら風の音に耳を澄ませ、星を眺められる。こんな所を見つけるなんてさすがだよ。
きみは旅慣れてるね」
「……おまえはお気楽でいいな」
野営場所を探して準備を整えたのはすべてフィオランだ。
最初ベヒルに任せてみると、身を遮るめぼしい岩もない、あろうことか、ちょっとぶつかれば崩れてきそうな危うい窪みに野営しようとしたのだ。
この時点で生存能力ゼロと判定を下し、この先の計画はすべて自分が錬ろうと決心した。
枝を火にくべようと屈み込んだところ、糸くずのようなものが視界を遮った。目を凝らして見ると、フードから曲がりくねった小さいな黒い虫が垂れ下がっていた。
尺取虫か?
どこでくっついてきたのか首を捻りながら、フィオランは虫を摘まみ、
大岩の向こう側へ放り投げた。
「そっちへ行ってもいいかい?」
欠伸をしながら唐突に言われて、フィオランは思い切り眉を顰めた。
こいつはまた一体なにを言い出すんだ?
「ここ、背中に少し風が当たって寒いんだ。寄り添った方が温かいだろ?」
返事も待たずにベヒルは腰を浮かせて移動し、痩せた体をフィオランへぶつけるように近づけた。
「おい、体をくっつけるんじゃねえ。離れろ」
ほんの一瞬肩がぶつかった途端、フィオランは即座に尻ごと体を避けた。
その過剰すぎる反応に、鈍いベヒルもさすがに気がついた。
「そういえば、きみは昔から人に触られるのを嫌ったね。なぜだい?」
「潔癖症なんだよ」
さもあらん、ベヒルは単純に納得した。
フィオランの気難しい性格ならそれもあるだろう、と。
「不意打ちで触れられると色々なものが視えちまうんだよ。疲れるんだ」
「え? なんだい?」
眠そうなベヒルに聞き返されて、フィオランは仏頂面に別にと答えた。
この幼馴染みには何一つ教えていない。
自分もまた異能者の一種であることを。
といっても、大した芸が出来る訳ではない。
触れた相手が持つ記憶や感情、歩んできた歴史が単に視えるだけである。
場合によっては未来も視えてしまう。
その能力を、仲介人や易者という仕事で悪用し、荒稼ぎしてきたが、
その分精神的な消耗も激しかった。
あの酒場で出会ったエリサという女のことを思い出した。
あれはあの女が持つ記憶というよりは、女を取り巻く背景そのものだった。
過去なのか未来なのか判別のつかない映像の羅列。
しかも、あの女とは初対面の筈なのに、その映像のすべてが自分にも関わることだと直感した。
女は媒介役ということか?
明らかにあれは何かの暗示だ。
今まで自分自身を視ることはなかったフィオランは、突如与えられた情報に怖気づいた。
だが、強い興味を惹かれたのも事実だった。
女が言っていた捜し人が自分だということも。
そこまで思考を辿ったとき、不意にフィオランは我に返った。
近くで動物の息づかいがする。
この岩壁を隔てた場所にたむろしている気配だ。
緊張して耳をそばだて、フィオランは赤々と燃える枝の一つを手に取った。
「……おい、起きろ、ベヒル」
岩へしどけなくもたれかかるベヒルを、フィオランはつま先で小突いた。
「何かいるぞ」
言った途端、大岩の頭上から幾人もの人間が降ってきた。
フィオランは目を覚ましかけたベヒルの腕を掴み、強引に引っ立てる。
目の前に立ち塞がろうとする相手に火がついた枝を投げつけ、岩の隙間から外へ這い出た。
外には数人の人影が岩場を取り囲んでおり、重ね合わせた両手を腹の上へ置くという奇妙な格好をしている。
(何の陣形だ?)
上弦の月明かりに照らされた異様な光景。
急に足取りが重くなる。
まるで地面から無数の手が伸びて、両足を掴まれたかのような感覚だった。
「フィ、フィオ、この人たち、昼間襲ってきた人たちじゃあ…」
「どう見てもそうだろ」
力を入れて足を引き抜こうにも、びくともしない。
陣形の外に、例の刺青男が佇んでいるのが見える。
(まさか、ばあさんやられたのか?)
「ど、どうしたんだい、逃げよう。怖いのかい?」
さっきからちっとも動こうとしないフィオランを、今度はベヒルが強引に引っ張った。体を抱きかかえるように腕を回され、足が大根の収穫のようにすぽんと魔の磁場から抜けた。
フィオランはベヒルの顔をまじまじと見つめる。
わずかにだが、驚きが陣形を組んだ集団へ走ったのをフィオランは見逃さなかった。一番近くの小柄な男へ体当たりを食らわせ、取り囲まれていた円を破った。
「走れ!」
岩だらけの台地を二人は一目散に駆け出した。
走りながら、フィオランは上着を脱いだ。中に拳ほどの石を入れて袋状にし、それを武器にした。
すぐ後ろを正体不明の一団が追ってくる。追いつかれたら、これを振り回して叩きのめしてやろうという狙いだ。
足場の悪い道を選びながら走る矢先に、斜面に積み重なった岩が崩れて転がり落ちてきた。
前方を塞がれては別の道を選びの繰り返しで、フィオランは悪態をついた。
「岩に潰されて圧死は一番したくねえ死に方だな」
隣でベヒルが呻き声を上げた。
どうやら足首に岩の欠片が当たって怪我をしたらしい。
立ち止まっては追いつかれる。
斜面の下はちょっとした崖になっているようだが、すぐ横にこんもりしたオリーブの木の塊りが幾つか覗いて見えた。
その豊かな茂みへ、フィオランは躊躇うことなく友人を突き落とした。
「枝にうまく掴まれ!」
この世の終わりのような悲鳴を上げ、ベヒルが落ちていく。
その後をフィオランはすぐに追った。
地面を蹴り、生い茂った枝葉へ勢いよく飛び込む。
頑丈なオリーブの枝はフィオランの体をしっかりと受け止め、ぶら下がると大きくしなった。
一方、枝を次々と折りながら地面に重いものが落ちたようだ。
うまく枝に掴まれなかったベヒルが落下した音だろう。
まともに落ちてなければいいが…。
少し慌てて、ベヒルが落ちた方へ駆け寄った。
ベヒルは一番大きな木の根元で目を回して転がっていた。
近寄って体中をくまなく見たが、幸いなことに大きな怪我はしていないようだった。
「すまねえ。ちょっとばかり無茶したな」
ほっとしたと同時に笑いがこみ上げてきたが、ベヒルが尻に敷いている荷物に気がついた。
「おい、なんだそれ…」
言いかけて、はっと傍らへ顔を向けた。
彼らよりほんの数歩先に人が立っていたのだ。
~次作 「 1-3 月夜の麗人② 」 へつづく