フェイ・エンダー/おわりびと①② prologue
【あらすじ】
太古の昔。
古代神族とモーラの民の間で交わされたひとつの契約。
『竜の目』と呼ばれる古の力は、一人の若者へと受け渡された。
しかし、開眼することなく眠り続けて数千年の時を経る。
中央大陸の辺境で、詐欺師まがいの生活を送る小悪党フィオラン。
モーラ族の末裔である彼は、自分の中に古の力が眠っていることを知らない。
「己が何者であるか知りたくはないか?」
この言葉がフィオランの生活を一変させ、大陸随一の大国へ向けて過酷な旅の始まりとなる。
一方、フィオランに眠る古の力を求めて争う、大陸の覇者と宗教勢力。
この争奪戦の中、ついに力に目覚め、己のルーツを見つけ、そして己の役割を知るのだった。
やがて、未曽有の天変地異が国を襲う。
■ Prologue
西大陸の交易都市のひとつ、サジェット。
西域への玄関口にしぶとく居座り続けること、七百年という歴史を持つ小さな古都。
小さいながらも、東の文明諸国と西の他部族集合体の交易要所としてサジェットは繁栄してきた。
人種も大陸の四方八方から寄せ集まっているから多様であり、市民の職業も街に連なる看板も、人種に掛け合わせて星の数ほどある。
そのうちのひとつ、旅籠を兼ねた酒場に一風変わった若者が現れた。
『一風変わった』と言わせるのは、この人種の見本市のような街では相当なものだ。
大抵は出身地そのものか、それを彷彿とさせる服装をするものだが、この若者の場合は郷土が窺いしれない。
というのも、各地方や国のいいとこ取りで身を固めているからだった。
頭には布をターバン風に巻き付けているので南の砂漠地帯出身かと思いきや、羽織っている長上着は北の中立国ケッフル産。
中の花柄シャツは東の島国デザイン。ぴったりした黒いなめし革のズボンと腰に巻いた重量感ある黄金のベルトは西域調。
とどめが銀の留め金付きブーツだ。これは中央大陸随一の大国ラダーンの貴族や上流市民が履いている。
こんな節操のない服装は嘲笑の的になりそうだが、この若者の場合は不思議と粋に着こなしているので、皆それを個性として受け入れている。
この年季の入った酒場に昼間からたむろする常連客は、派手な人間が馴れた足取りでやって来たのを見て、にやりと笑った。
またどんな面白いことをしてくれるのかと、期待しているような顔つきだった。
「よう、二週間ぶりだな。腹でもくだしてたか?」
ひょろりとした若者がカウンターに寄りかかった途端、髭面の顔馴染みが声をかけた。
「そんなやわな腹じゃねえよ。ここが温かいんで、ちょいと羽を伸ばしてたのさ」
若者は上着の内ポケットを軽く叩いてみせる。
笑うと、きつい印象の緑色の眼が細められ、人懐こい雰囲気になる。
真顔に戻ると、驚くほど整った顔立ちをしていた。
要するに、文句なしの美男。いかにも女性受けしそうな容貌の優男だ。
「それで懐が寂しくなってやってきたって訳か? おまえはまったくよく利く鼻を持ってるぜ。毎度毎度、感心するよな」
髭面の男の言い草に、若者はおどけて眉を片方跳ね上げる。
顎をしゃくられ、肩越しにちらりと後ろを見やった。
カウンターのずっと後方、奥の壁側にある一角で一組の男女が食事をしている。
若者は顔を戻した。
「いいのかい?」
ほとんど唇を動かさずに呟く。
「ああ、俺の手に負える相手じゃねえようだ。…女の方がな。他も全滅だ」
若者は、カウンター周りにちらほらいる同業者たちの冴えない顔つきに、さっと視線を走らせた。
「そのようだ」
給仕が手元に置いた酒を飲もうと、グラスを口に運ぶ。
その腕を、いきなり袖ごと後ろから引っ張られた。中身が生き物のように飛び跳ねて、上着に大きな染みを作る。
「てめぇ――」
「フィ、フィオッ! フィオラン! き、きみ、また人を騙して……」
ぎょっと振り向いた若者は、袖を引っ張った相手の口を塞ぎ、なかば引き摺って外へと強引に連れ出した。
頭ひとつ分低い痩せた青年は口も鼻も塞がれ、瀕死の態でジタバタともがく。外の階段下まで引きずり下ろされ、やっと解放された。
青年はぜいぜいと肩で息を継いだ。
「ぼ、僕を殺す気かい?」
「生っちろいこと言いやがって。これくらいで死ぬかよ」
「わざと鼻まで塞いだだろう。本当にきみは酷い人間だ」
「あんな所でおまえが人聞きの悪いこと言うからだろうが」
フィオランと呼ばれた若者はうんざり気味に吐き捨てた。
(相変わらず、こいつは空気を読まねえ)
「き、きみがそんなことを言うのかい?」
青年は、人の二倍はある大きな目をさらに見開いて抗議を始めた。
「僕の名前を騙って罪を犯しておいて、この僕を批難するのかい?
ぼ、僕に謝罪のひと言もないなんて、後ろめたい顔ひとつ見せないなんて、あ、厚かましすぎるよ!」
「おい、大袈裟に騒ぎ立てるな。ちょっと名前を借りただけだろうが。
大体、俺が人殺しでもしたか? 強盗にでも入ったか? 罪を犯すっていうのはそういうことだろうが。小っせえことを十割増しにする癖、いい加減やめろ」
「僕の名前を使って人様から金品を巻き上げることは罪ではないのかっ」
青年は顔色の悪い顔をさらに青くして叫んだ。大きな眼がぎょろりと最大に剥かれる。
長衣と呼ばれる筒型の白い僧服を着ているが、やせこけた彼には大きすぎて棒に引っかかった布きれのようにバタバタと風にはためいている。その様はまるで幽霊のよう。
「ぼ、僕が布教でこの街を留守にしている隙を狙ってやりたい放題…。
僕は旅先で『サジェットのベヒル』というチンピラの噂を散々聞かされたんだぞ」
「へえ、そりゃまたどこのベヒル様なんだろうな。遠方にまで広まるなんて大した奴じゃねえか」
フィオランは青年の抗議を気にも留めず、耳の穴を小指でほじりだした。
その態度を見て、青年は口をぱくぱくさせる。
「いいか、この街にベヒルという名の人間がどれほどいると思ってやがる。
『稲妻』だぜ。『大蛇』だぜ。この地方では、親が息子に万感の思いを込めてつける名前第一位だ。その名に恥じぬ、実に荒れ狂った男なんだろうよ、そいつは。誰もおまえが当人だとは思わねえから安心しな」
そう面倒くさそうに言いながら、耳の穴に突っ込んいた小指をベヒルという青年に向けて、ふうっと息を吹きかける。
小指の先についていたカスが、ひらひらとベヒルの鼻先で舞った。
「き、きみ…いつか神罰が下るよ…」
「そうかい、そりゃ大変だ。さあ、もう行きな。坊さんがこんな所にいつまでもいるもんじゃねえ」
どこまでも軽くいなして、てんで真面目に取り合おうとしない。
ベヒルはこの幼馴染みに対しての怒りとストレスでまた胃がキリキリと痛み出した。唇が震える。
「僕は、僕はきみに別れを言いに戻ってきたのに…。きみは酷い人間だけど、それでも少年時代を一緒に過ごしてきた仲だから、最後にきちんと話をしたかった」
背を向けかけたフィオランは、ちらりとこの聖職者の道に進んだ幼馴染みを見やった。
「別れ?」
「今日、僕はこの街を出発する。夕べ、布教先から帰り着いた後、司教様から辞令を頂いたんだ。僕はラダーン王国の司祭になるんだ」
ベヒルの落ちくぼんだ目が挑むように見上げてきた。じっと返る言葉を待っている。
フィオランはしばし沈黙した後、口角を吊り上げて笑った。
「へえ、そうかい。よかったな。しかし、あの国はそろそろお山が火を噴くってもっぱらの噂だ。そんな時期に移動だなんて、この先苦労するだろうに。ま、頑張れよ」
ぽんと肩を叩き、そのまま重い木扉を開けて酒場へと姿を消してしまった。
後に残されたベヒルは唇を噛み締めた。
こんな別れは望んでいなかった。
「意地っ張りめ……」
酒場内に再び踏み込んでから、フィオランはしばらく放心したように店内へ視線を彷徨わせていた。端から見れば、薄暗い屋内にのんびりと目を慣らしているようにも見える。
(結局、また俺ひとりか)
腹の辺りにわだかまるものが首をもたげようとするのを無視して、頭を切り換えた。途中、邪魔が入ったひと仕事に取り掛からなければならない。
先にカウンターへ寄って、飲み物をふたつ注文した。
錐で氷を砕き始めた給仕に、何気なさを装い話しかける。
「いつ来たんだ?」
勿論、彼のずっと後方にいる男女についてだ。
「今朝だよ。早々に三人撃沈だ。おまえさんでも難しいじゃないのかい?」
中年の給仕は唇をほとんど動かさずに囁いた。職業柄、身につけた技なのだろう。細かな氷がびっしりと詰まった容器を二つ、カウンターの上を滑らせる。
それを受け止め、フィオランはにやりと笑った。
「まあ、見てな」
しなやかな足でくるりと回れ右をする。
向かう先は、酒場の隅にひっそりと腰を降ろしている男女の所だ。
ちょうど、高窓から陽が差し込み、女の方が顔に当たる陽射しを眩しそうに片手で遮り、顔を顰めているところだった。
席に近づいたところで眼が合った。
お上品そうないい女だ。
歳の頃は二十代半ばといったところか?
中肉中背の均整の取れた体つきだ。
金褐色の巻き毛をひとつに束ねた男装姿。ぴったりとした男の衣服に身を包んでいるため、丸みを帯びた体の線や胸や尻の豊かな出っ張りが強調され、実に、目に楽しい眺めであった。
それに品の良い仕草という刺激が加わって、扇情的な印象を与えている。
フィオランは感じのいい笑顔を浮かべながら、内心そう値踏みした。
「頼んでないわよ」
円卓の上に置かれたふたつのグラスを見て、女は訝しむように細い眉を吊り上げた。ついでに、いきなり近寄ってきた妙な男を警戒するように、椅子を少し後ろへずらす。
「これは彼からのおごりだ。長旅で疲れた客に時々振舞っている」
顎をしゃくられて、女は若者の肩越しに給仕の姿をみとめた。ちらりとこちらに視線を送ってきたような気がした。
グラスに視線を戻すと、細かく砕かれた氷が溢れんばかりに詰められ、中身の液体に溶けて涼しげな音を立てた。
「まあ、飲んでみて。気分が晴れるよ」
女は用心深くまだためらっている。
反対に、整った顔立ちで品が良さそうな他は取り立てて特徴のない男の方は、素直に手を伸ばした。
「ありがたい、それでは遠慮なく」
男はひと口飲んで目を丸くし、途中むせながらも一気に飲み干した。
「これは…なんて美味しいのだ! 実に爽やかで、喉の奥で弾けるようだ」
男の大仰な反応に吹き出しそうになりながら、フィオランは笑顔を崩さない。
女は男の反応に安堵したのか、やっとグラスを手に取り、慎重に口へ運んだ。
形のいいふっくらした唇が花の蕾のように開かれる。
「…美味しい……」
「この辺の特産であるライムがたっぷりと絞ってあるからね。ほんの少し炭酸も入っている。それだけ氷を使うのも贅沢だろう?」
「本当ね。お陰で胃の中がさっぱりしたわ。ずっと揚げた肉やら乾し肉やら、重たいものばかり食べていたから。おまけに、この辺りのお料理は油ものばかりで、青菜がまったくないんですもの」
「この飲み物をもう一杯所望してもいいかい?」
すかさず男から注文が出た。
「ここでも氷は貴重なんでね。申し訳ないが一杯限りだ」
「それは残念だ」
もちろん、給仕からのサービスだなんてことはない。
この値の張る特別仕立ての飲み物は、フィオランが懐から出して特注したものだ。
大きく肩を落とす男を無視して、フィオランは女の左隣に腰をおろした。
その絶妙な間合いは、女に拒絶させる暇も与えない。
「旅は長いんだろう?」
「どうしてそう思うの?」
「そりゃあ、あんた方の格好を見れば一目瞭然さ。東の裕福な土地からの旅行者そのものじゃないか」
指摘されて二人は困ったようにそっと目配せする。
やがて男の方が溜息をついた。
「どこがどう違うというのだろうな。普通の装いをしているというのに」
二十代後半くらいと思われる男は、自分の旅装姿を見下ろす。
草色の地味なフロックコートに赤い留め金付きの革ブーツ。腰には金の鎖を巻いた剣を提げている。
「庶民はそんな仕立のいい服はまず着ていないね。紋章付きの革ブーツも履いていない。ラダーンの人だろ?」
「そうなのだ。王都を出て、かれこれ二ヶ月は経っている。西への玄関口がこれほど遠いとは思わなかったよ」
「アーネス」
女が鋭く男をたしなめた。
アーモンド型の大きな眼が、余計なことを言うなと睨んでいる。
フィオランは攻略対象をアーネスと呼ばれた男の方へ切り替えた。
「ラダーンといえば、そろそろお山が噴火しそうだってね。そんな大変なときに旅行かい?」
「君、詳しいんだな」
男は素なのか演技なのか、鷹揚に返した。
「この街は東西南北、あらゆる国から伸びる街道の交差点だ。人が集まる分だけ情報も集まる。ただの噂もあれば、金を払ってでも聞く価値のある情報など様々だ」
「市井で各国の情勢を知ることができるのは理想的だな」
大いに感心して頷く。
「タルル山の噴火については、かれこれ二年前から国内でも懸念されていることなのだ。どれほどの規模になるかはわからないが、自然を相手にわたしたちがじたばたしても仕方がない」
肩を竦めてそんなことを言う男へ、フィオランは実に感じのよい笑顔と穏やかな口調で応対した。
「達観しているねえ。文明国の人だというのうに、おっとりしてるんだな。でも、ここでは気をつけた方がいい。この街は勿論まっとうな者が大半だけど、日向を歩けない輩も限りなく集まる。要するに掃きだめでもあるんだ」
「ああ、それでわかったよ。この街に入ってから、どことなく観察されているような気がしたのだ。皆、親切で人当たりはいいのだけど、話していると自分が競りに出された豚か羊のような気分になってね。我々はいい鴨なのかな?」
「ちょうど今のようにね」
女はまだ警戒を解いていない。
アーネスという男もとぼけていそうで、なかなか洞察力があるらしい。
だが、こんなことでフィオランは動じない。
「聞いたよ。三人を撃退したらしいね。それで俺が呼ばれたというわけだ」
キインとグラスを指で弾く。
「あの給仕が心配しているよ。彼はこの酒場の雇われ者だが、宿を決めるならここはやめとけってさ。ここはこの界隈じゃあ一番名が知られているけど、客層がよくない。すでに体験済みだろ? 俺も勧めないな」
アーネスが身を乗り出してきた。
「そう、宿泊先に困っていたのだ。当初はここにするつもりだったのだけど、食事中に次から次へと無頼漢がエリサへ絡んでくるものだから、すっかり泊まる気が失せてしまった」
無頼漢という表現に、フィオランは口元が歪みそうになった。
こいつは一体いつの時代からやってきたんだ?
さっきから我慢して聞いているが、古めかしい表現ばかりしてくる。
名を呼ばれて、女はまた小声で男をたしなめる。
よほど身分を隠したいらしい。
「人種によって使う宿は選ぶべきだ。俺が言う人種というのは階級のことさ。ここはあんたら向きじゃない。わかるだろ?」
「君はいい宿を知っているのかい? 呼ばれて来たと言っていたが」
「アーネス! この人が大丈夫という確証がまだ取れてないのよ」
「感じのいい人じゃないか。道中出会った中で一番親切に忠告してくれている」
「それはどうも。これが俺の仕事なものでね。勝手がわからない旅行者に道案内や宿、娯楽場所を斡旋しているんだ。当人に満足してもらう代わりに、仲介料を頂いている」
「……都市公認の仲介者ってこと?」
「これがその証し」
フィオランは腰のベルトにぶら下げている木製の割り符を見せてやった。
大陸協定により、三十年ほど前から大きな都市では、旅行客には仲介者を行政機関が斡旋する事になっている。
悪質な業者から旅行者を守る政策のひとつであった。
ちなみに、旅行者が仲介者に払った金の一部は、上納金としてしっかり地元の行政機関へ流れている。
「自慢じゃないが、今まで顧客から不満が上がったことは一度もない。最終的には感謝すらされている。だが、あんたたちにも選ぶ権利はあるだろう。俺以外にも、仲介者がごまんといるからね。それこそ、千差万別。当たりもあれば外れもある」
考えこむ女を見つめながら、フィオランは足を組んで待った。
男の方は、すでに承諾しているのは顔つきを見ればわかる。
酒場に新しく人の群れが入ってきた。四、五人の団体客のようで、北方の市民らしき服装をしている。
首を巡らして確認したフィオランは、組んだ足を解いて女の方へ屈み込んだ。
「断るんなら、次へ行くよ。俺も食い扶持を稼がなきゃならない」
尻を浮かしかけたところ、女はぱっと顔を上げた。
「わかったわ。あなたにお願いすることにしましょう」
アーネスという男がほっと安堵の色を顔に浮かべた。
フィオランは再び椅子に腰を降ろす。
今入ってきた団体客にはちゃんと仲介人が付いていたのだが、そんなことは一介の旅行客には見分けがつかない。
仲介料の交渉に入り、折り合いが付いた印として、三人はようやく名乗りあった。
「わたしはアーネス・ラムトン。こちらはエリサ・クローリー嬢だ。彼女はともかく、わたしは旅慣れていないのでよろしくお願いする」
人の良さそうな男とは対照的に、女の方は形のいい顎をつんと持ち上げ、斜に構えてフィオランを改めて観察している。
「ひとつ確認しておくけど、あんた方夫婦か恋人同士かい?」
ガツンと痛そうな音が円卓の下で上がった。
どうやら、アーネスが組んでいた足をぶつけたらしい。
どもりながら答えようとしたところ、エリサという女が白けた顔で口を開いた。
「そう見える?」
「いいや。気を悪くしたんならすまないな。これも業務上必要な質問なんだよ」
「別に構わないわ。他に聞きたいことは?」
「旅の目的は?」
エリサは沈黙した。
どこまで情報を与えるべきか、まだ決めかねている様子だった。
「今のは任意の質問だよ」
片目を瞑っておどけてみせる。
この一連の短い接触の間に、二人組の主導権は女の方にあるのは充分にわかった。
エリサはフィオランのウィンクから焦ったように目を逸らす。
「……人捜しよ。ここがその出発点」
「その人捜し、手伝おうか? 実は俺、易者でもあるんだ。よく当たる」
「本当かい?」
アーネスが興味津々で身を乗り出してきた。
フィオランは愛想良く頷いてみせた。
「自分で言うのも口幅ったいが、サジェットでは俺より腕のいい易者はいない。試してみるかい?」
「是非」
アーネスがすかさず手を伸ばしてきたが、フィオランが手に取ったのはエリサの手であった。
見事に肩すかしを食らわされて、アーネスの右手が虚しく卓上を彷徨う。
「ちょっと何するの―」
いきなり手を掴まれて振り払おうとしたが、至近距離で宝石のような緑の眼に覗きこまれ、急に抵抗する気が失せた。
「あんた、貴族だな。それもかなり地位の高い……。王都に恋人を残してきたのか?」
エリサの顔が朱に染まった。
「で、でたらめ言わないで!」
それ以上読まれる隙を与えまいと素早く手を振り払った。
勢いよく立ち上がった拍子に、ちょうど後ろを通りかかった酔客へぶつかった。
弾みでエリサは前へつんのめった。咄嗟に男どもの腕が前へ伸びる。
美女を助けて支えたのはフィオランの方が早く、わざわざ両腕を広げて抱きしめるように素晴らしい肉体を抱きとめた。
同時に、絡もうと近寄ってきた酔客を笑顔一つで追い払う。
そのふてぶてしい笑みが急に凍りついた。
ゆっくりと体を離し、相手の顔を疑惑に満ちた眼差しで凝視する。
エリサは、軟弱なほど愛想のいい仲介人が、急に人格が入れ替わったかのように態度を変えたのを見て、たじろいでしまった。
「ちょっと、いつまで触っているのよ。離しなさい」
掴んだ両肩からフィオランは手を離し、無表情に呟く。
「人捜しね……」
「え?」
「行こう。宿はすぐそこだ」
さっさと背を向けて歩き出すので、二人は面食らって顔を見合わせた。
「待って。名前をまだ聞いてないわ」
「ベヒル」
素っ気ないひと言で済まし、あっという間に広間を横切って行ってしまう。
まるで早く仕事を済ませて別れたがっているかのようだった。
~次作 「 第一章 異能の者 1-1 老婆 vs 刺青男 」 へつづく