愛とユーモアしかない。
20年近く前になるけれど、『able/エイブル』というドキュメンタリー映画の宣伝を担当していたことがある。ダウン症の元くんと自閉症の淳くんが、アメリカの夫婦の家にホームステイをする様子を追ったドキュメンタリー。その頃は宣伝の為に、二人が参加するスペシャルオリンピックスのイベントや元くんが通っている作業所に何度も出かけていた。
ある日、テレビのクルーと一緒に作業所の仕事の様子を取材に行った。カードをPP袋に入れ、セロハンをはがして封をする。そこに商品名のシールを貼る。元くんは丁寧かつ、きれいに、その作業を繰り返していた。私にはとても真似できないきれいな仕上がりに、驚いたのをよく覚えている。
その時、元くんの仲の良いダウン症の少年が話しかけてきた。
「映画の方ですか?」
大きなカテゴリーで言えば、わたしは映画の方ではある。
そして彼は話し続けた
「元くんは映画の主役になりました。今度、僕の映画も撮って欲しいのです。」
そう、彼は私を映画の監督だと思っていたのだ。しかし説明する前に彼は語り始めた。
「内容は決まっているのです…。」
僕には好きな人がいます。彼女のことが大好きなのです。そして僕には大切な幼馴染の女の子がいます。とても大切なのです。だから、悪者が彼女たちを捕まえようとして、僕が二人を助けるヒーロー物の映画が作りたいと彼は語るのでした。
なんだろう、彼のこの優しい気持ちは?
なんだろう、この都合のよい物語は?それを私に語ってくるこのシチュエーション、そして私が感じているこのあったかい気持ち。
私の中でのダウン症のイメージは物静かで真面目。元くんはそのイメージそのものだった。その勝手に作り上げたイメージが崩れ落ち、彼は私に物語を語り続けていた。
その後、今度は作業所が使っているスポーツセンターにも取材にいった。運動だったか、プールだったか、すでに不確かなのだけれど、その時も元くんは物静かでニコニコしていた。
すると「おっ、見かけない美人さんが来たよ。」と声がした。そこにいたのは元くんと私だけだから、きっと私のことを言っているのだと思った。
そしてその声の主と思われる人は、特殊な車椅子に乗った重度の身体障碍者の少年だった。手も足も首も彼の思うようには動かないのが一目でわかった。私はやたら驚いてしまった。彼の不自由な身体をみて驚いたのではなく、その彼から出た言葉に。そして、嬉しくて一人でにやけてしまった。 私の勝手なイメージがガタガタと崩れ落ちた二度目の瞬間だった。
自分が勝手に作り上げていた障碍をもつ人たちは、どうしても弱者のイメージをしていた。でも、そんなのは私が勝手に作り上げたもので、彼らだって恋をするし、大切な人もいる。女性にお世辞を言う事だってあるのだ。もう20年ほど前の数か月、元くんや淳くんと過ごした日々。名前も知らない、一度あっただけの二人の少年が与えてくれた愛とユーモアは、私の中にずっとあり、豊かな想い出としてこれからも育っていくと思う。
この数日に起きたオリンピック、パラリンピックの辞退や解任劇。そこから連なる負の連鎖を傍観しながら、20年前に私が経験した日々が蘇ってきた。彼らは馬鹿にされる存在では絶対にないし、蔑む対象でももちろんない。暴力をふるうなんて言語道断である。だからと言って、尊ぶべき存在というわけでもない。障碍のある人もない人も、共存して一緒に生きていく。それが当たり前のことだと思う。
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