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大揺れから始まった、やちむん売り人生

あの日、初めての百貨店への営業のためにやちむんをわらび籠に詰めていた。2月の展示会で声のかかった百貨店のバイヤーを一週間で回るスケジュール。初営業は新宿にあるI社。
準備万端で家を出る15分前、突き上げるような凄まじい揺れを感じた。

そう、東日本大震災が発生した瞬間だった。
家にひとりでいたので、その恐怖はすさまじく…。植木鉢はわれ、冷蔵庫は歩き出し、本棚から本がなだれ落ち、食器棚の上部が傾いて落ちそうになる。必死でおさえながら、初めて「助けて」と声に出したのを覚えている。揺れが収まり、テレビニュースを見ながら、気づけば泣いていた。

もちろん、営業には行けなかった。やっと担当者と電話がつながったのは、次の日の午後。「大丈夫でしたか?」お互いの安否を確認し合うことから始まった。すべてのアポイントはキャンセルに。さっそうと営業を始めるつもりだっただけに、最初から想像もしなかった苦難に見舞われた。

数週間後、また一からアポイントを取り直し、営業を始めた。
その頃の東京は水もトイレットペーパーも品切れになり、エスカレーターは止まり、地下鉄の電気は薄暗く、違うところにきてしまったような、そんな具合。銀座の外資系企業の路面店はすべて閉まっていた。百貨店の中にある店にも鎖がかけられ、閉まっている。(銀座なのに…)心の中でつぶやいた。

そんな中で銀座のM社に出かけた。5か月後の催事「銀座 手仕事直売所」の打合せ。その時、担当バイヤーが口にした言葉が今でも心に残っている。

「私たちが半年後のこと、一年後のことを考えて
今から動かなかったら、日本の経済が止まってしまうんです」

まだ、やちむん売りとして走り出したばかりの頃、沖縄の良いものを伝えなくてはと、ただがむしゃらに考えていただけの自分。(この人は日本の経済のことを考えているんだ)と、目から鱗が落ちる感覚だった。そして、この人とは一緒にやっていけるとも思った。

あれから9年。今年、コロナ禍におちいり、東日本大震災でも閉まらなかった百貨店が休業した。遅れながらも9月の「銀座 手仕事直売所」の準備に入っている。この状況の中で、どうしたら商売ができるのか。模索の日々が始まっている。
※やちむんとは、沖縄の方言で「焼物」を指す。

#やちむん #うつわ #器屋

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