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初めての海外旅行 10歳の経験

1984年、家族で初めて海外旅行に出かけた。私は小学4年生、10歳だった。
なぜ、明確に覚えているかというと、「84 HAWAII」と描かれたTシャツを買ってきたから。ベタである。
父親がアメリカの会社に勤めていて、一ヶ月くらいアメリカ出張に行くことがよくあったので、きっとアメリカが選ばれたのだろう。ハワイへの海外旅行と聞けば思い浮かべるのは、水着でビーチ。泳いだり、波打ち際で遊んだり…そんな絵が浮かぶ。いわゆるバカンス。でも、私たち家族のハワイ旅行は、まったく違うものだった。

まず、私たちが父に連れていかれたのは、ハワイ島(通常はマウイ島に行く人が多い)。
思い出されるのは、溶岩。どこまでも続く漆黒の溶岩。そして、女神ペレの髪の毛と言われる金色の糸状の物質(これも溶岩なんだそう)。家族6人と祖母で溶岩をまわるツアーだった。ただひたすら続く、代り映えしない溶岩の風景をずっと回った。夜にはキラウエア火山から真っ赤な溶岩が流れ出る風景を指さして、嬉々として喜ぶ父の姿があった。父はそういえば山岳部で、山がこんなにも好きなのだということを、明確に知ることとなった…。

次に向かったのは、マウイ島。連れていかれたのは、なんと真珠湾だった。
小学4年生の私にもわかる。この場に日本人の家族はそぐわない。
アリゾナ記念館で映画を観た。もちろん、英語。まったくわからない言葉なのに、責められているのだけは、ヒシヒシと伝わってきた。「日曜に日本軍が攻撃してきた」と映像が語っていた。沈んだ戦艦アリゾナの上に建てられた記念館なので、海の上にでて戦艦が沈んでいる場所を見ることができる。1984年のその時も、戦艦からは重油なのか、なんなのか、染み出てくるものがあって、それをただ、ただ見つめた10歳の春。
とにかく、周りの目というか、空気が違った。(なぜ、お前たちはここにいるのだ)という空気。圧倒的な敵意を今でもよく覚えている。

大人になって考えてみると、なかなかすごい旅である。
マウイ島のビーチに行ったのは、最後のほんの一日。笑顔の写真があるのだが、ほとんど覚えていない。私の記憶にあるのは、溶岩と真珠湾のみ。
そして、大人になってきづいたことがある。そう、あのハワイ旅行には祖母(母方)がいたのだ。広島で23歳のときに被爆した祖母。お腹には母がいた。父はその祖母をアメリカの真珠湾に連れて行ったのである。きっと、いや確実に、意識的に。
まったく気づいてなかった10歳の私は、祖母の様子を見ていなかった。記念撮影では普通の表情なのだけれど、何を思っていたのだろうか。

2016年、12月。祖母が入院している病院に新聞を持っていった。その日の新聞の一面は「安倍首相が真珠湾訪問」。祖母に見せると、たいした興味もしめさず、「これがどうしたの?」と冷たい。「日本の首相が、やっと真珠湾に行ったんだってよ」と言っても興味なし。「家族みんなで、バアバも一緒にここに行ったことあるじゃん!」と話したら、「あら、そう?」と覚えていなかった。その頃はもう認知症が進んでいたから仕方のないことなのだけれど、あの時のこと、聞いておくのだったと、今思う。
それでも天皇誕生日の新聞には、「あらそうなの。陛下も83歳になったのね」と96歳の祖母は微笑んでいたっけ。もしかしたら、新聞の主語に興味がなかっただけ?なんて思ったりもする。

祖母が亡くなって3回目の8月6日が、もうすぐやってくる。

#海外旅行 #ハワイ #溶岩 #真珠湾 #アリゾナ記念館


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