海浜サナトリウム#6

彼は予定していた軍議を急遽欠席し、その日は1日中診療所のベッドの上で絶対安静を余儀なくされていた。感染防止のために隔離された部屋でいるために、人の声や物音は聞こえてこない。ただ、看護師と軍医が代わる代わる彼の様子を見に来る以外は、誰とも口を聞くことは無かった。
彼らは四角形の紙で鼻と口を覆い、それを紐で耳に引っ掛けていた。マスクといって、簡易的に感染防止のために着用するらしい。目元以外の表情が読み取れないため、彼は不審がった。
その日の夜は喀血を起こさなかった。しかし、断続的に続く咳と寝汗のためになかなか寝付けなかった。

翌日、検査結果が出た。やはり結核であった。
軍医は彼のベッドの傍に立ち、診断名を伝えた。
そして軍医の後ろに、見慣れない女性が佇んでいた。
ひどく痩せた女性だった。肌が白く、頬や骨ばった箇所の赤みが強調され、どこか痛々しさを感じるほどだった。
「今日から、治療を進めていきますよ。治療の基本となるのは、4種類の薬。」
軍医が女性のほうをちらりと見ると、彼女は無言で紙の袋から何やら小さな粒を3つ、そして小さな袋に封入された粉薬を取り出して軍医に手渡した。
「この白い薬が、イソニアジド。そして赤いカプセルが、リファンピシン。結核菌にはこの2つの薬剤が覿面に効くんですよ。」
軍医は3つの小さな粒ーこれが薬らしいーと、粉薬を掌に乗せ、笑顔で説明し始めた。
「そして、その2つに加えて、黄色のエタンブトール、粉薬のピラジナミド、この4つを飲んでいただきます。」
初めて見る形の薬に、彼は戸惑っていた。薬といえば、薬草を煎じたものや小さく丸めたものしか触れたことがなかったのだ。小さな粒たちはみな鮮やかに均一に着色され、まるでボタンのようだ。
「6ヶ月間が勝負です。」
軍医は彼の目の前に両手で6の数字を作った。
「6ヶ月間、薬を飲みながら、薬が効いているかどうかを調べていきます。標準治療では、まず最初の2ヶ月は4つの薬を1日2回、朝晩に飲みます。そして薬が効いていることがわかったら、エタンブトールとピラジナミドは中止し、最初に説明したイソニアジドとリファンピシンだけを4ヶ月間飲み続けます。」
あまりにも明確な治療方針と難解な薬の名前を一方的に説明され、彼は考える間もなく受け入れるしかなかった。
「…それで、6ヶ月間薬を飲んだあとは…?」
「そのあとは、結核菌が残っていないかどうか最終チェックをします。残っていなければ、治療終了。元通り生活して結構ですよ。」
彼は絶句した。これまで何人もの人間の命を奪い、不治の病と恐れられていた肺病が、半年で治るだと?
俄に信じ難い話を聞かされ、彼は額を押さえた。
「ご気分でも悪くなりました?」
「いや、持病の頭痛が……」
「頭痛持ちでしたか、頭痛薬も処方しましょうか?」
軍医ののんきな声が部屋に響く。
「いや、いいんだ…少し、混乱しているだけだ。」
「初めてのことですしね。戸惑われるのも仕方がありません。最後に、薬を飲む以外に守っていただきたいことがあるのです。」
軍医の顔から笑みが消え、真剣な目付きで彼を見据える。
「感染防止のために、しばらくはヒースさんを隔離する必要があるのです。この部屋からは許可なく出てはいけません。この部屋には窓がありますが…開けることも控えてください。あなたの唾液や痰には結核菌がいます。結核が蔓延すれば、軍の壊滅に繋がります。」
「監禁状態ということか…。」
「薬を飲み始めて数ヶ月間、痰の検査をします。痰の中に菌がいなくなれば、外出もできるでしょう。少しつらいかもしれませんが、根気強く治療に専念してくださいね。」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?