ふしぎちゃん
私は「ふしぎちゃん」と称されることが多かった。
学生時代はクラスに馴染まず、一人で行動しがちなタイプの私だった。
クラスの女子と何を話したらよいのかわからなかったし、だれかと一緒にトイレに行く理由もなかった。積極的に話すタイプではないが、話しかけられれば楽しく遊ぶ。去る者は追わず来る者は拒まずだった。
そんな私に話しかけてくれるクラスメイトは私のことを「ふしぎちゃん」というのだ。
そのころに世間で「ふしぎちゃん」という言葉が出てきていた。
テレビで出てきたその言葉はだんだん社会の中に浸透していき、私はいろんな人に「ふしぎちゃんだね」とよく言われた。
私は最初、「ふしぎちゃん」と言われてちょっとうれしかった。
自分自身がクラスメイトと馴染めてないことや考えが違うことを気づいていたため、自分の性質が「ふしぎちゃん」であり、それが周りに認知されて理解されたと思っていた。
現在では「ふしぎちゃん」と言われるのは好きではない。
なぜなら私は不思議なことをしていないからだ。私には理由のある言動をしている。皆が理解できないだけだ。
理解できないものを一概に不思議と括り付けて他人を評価しないでほしい。
と、学生時代にはなかった確固たる意志をもっている。それはこれまでの経験で様々な人物を見てきたからだ。
(でも人のことを「不思議」だと思うのは勝手であるから、心の中では好き勝手に思われてもかまわない。)
ある時、たわいない会話で自分の考えを言ったら「個性的だね」と言われて少し引かれてしまったが、その場にいた別の人が私の考えについて意見をくれたこともあった。
今ならわかる。私の考えが理解しがたい人がいることも知っているが、理解してくれる人もいる。
「ふしぎちゃん」という言葉の狭さを感じた。